第1話

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第1話

『決意表明』  木下流里(きのしたるり)  恋とは、すなわち戦いである。  昨日の友は今日の敵。  見知らぬ誰かはずっと敵!  恋は女をきれいにするし、女を強くする。  中学生のワタシは「子ども」だと言われるけれど、子どもであっても間違いなく女だ。だから、ワタシは強い!  ワタシのライバルはすごい大人だけど絶対に負けない。  とりあえず、若さなら圧勝なんだから! ------------------------------  小学校とは、なんだかんだで部外者の出入りを厳しくしているらしいけど、結構すんなりと校舎の中に入ることができた。そりゃ、セーラー服を着たかわいい女子が悪いことをするなんて疑わないだろう。  実際に悪いことをするつもりなんてないから当然だと思う。  職員室にたどり着き、入口からそっと中を覗いていると「どの先生に用事があるんだい?」と通りかかった初老のおじさん先生が声を掛けてくれた。そして目的の人物の名前を告げると、「三鷹(みたか)先生、お客様ですよ」と、その人を呼んでくれた。  なんとなく優しそうな感じの先生だから、児童にも人気があるんじゃないかな? と思っていると、「あ、はいっ」と返事が聞こえる。  入口から声のした方を見ると、三鷹先生こと樹梨(じゅり)ちゃんが、作業の手を止めて振り返っていた。  そしておじさん先生の横にいるワタシの顔を見ると、漫画ならば背景に「ゲェッ」という文字が浮かんでいそうな表情を浮かべた。  かわいい元教え子に対して見せていい表情じゃないと思う。  だけどワタシはそれを気にすることなく、笑顔を浮かべて手を振った。  樹梨ちゃんは周囲の先生たちにあからさまな愛想笑いを浮かべつつ立ち上がってそそくさとワタシの側までやってきた。  おじさん先生は、樹梨ちゃんがやってくるのを確認するとニッコリ笑ってから自分の席にゆっくりと歩いていく。やっぱり優しそうな先生だなと思う。一方の樹梨ちゃんは笑顔を作っているけれど全く目が笑っていない。 「こんな所まで来て……一体何の用なの?」  樹梨ちゃんはいかにも嫌そうに小声で言った。  いくらなんでも塩対応過ぎる。ちょっと文句を言いたいところだけど、職員室の入口で、樹梨ちゃんの立場もあるだろうから、ワタシはそれをグッと堪えた。これでも結構大人なのだ。  樹梨ちゃんはワタシが小学二年と三年のときの担任の先生だった。  その教え子が立派な中学生になって訪ねてきたのなら、きっと普通の先生はうれしそうな顔で歓迎してくれると思う。  それでもワタシが文句を我慢したのは、樹梨ちゃんの対応が塩になる理由もわかっているからだ。  樹梨ちゃんは確かに元担任の先生だけど、それだけじゃない。  樹梨ちゃんはすみちゃんの恋人なのだ。  すみちゃんはワタシのお母さんの妹だから、ワタシの叔母さんにあたる。その叔母さんの恋人だから、樹梨ちゃんはワタシにとっては家族みたいなものなのだ。  家族みたいなものだけど、家族ではない。友だちかといえばそうでもない。  すみちゃんと樹梨ちゃんは恋人だけど、ほとんど夫婦……婦婦みたいな感じだ。  例えばお姉ちゃんが誰かと結婚をしたなら、その結婚相手は義兄とか義姉になる。つまり、樹梨ちゃんがすみちゃんと結婚をしたら義叔母になるのだろうか?  そうして本当に家族になれるのならとても素敵なことだと思う。 「ねぇ、樹梨ちゃん。すみちゃんと結婚しないの?」  ワタシは素朴な疑問を投げかけてみた。  もちろん、日本の法律では、まだ同性同士で結婚できないことは知っている。その場合はパートナー何とかという制度を使うとか、養子縁組をして家族になるとお母さんに教えてもらった。  樹梨ちゃんよりもすみちゃんの方が年上だから、養子縁組をするなら、樹梨ちゃんはすみちゃんの娘ということになるはずだ。そうすると、ワタシと樹梨ちゃんは義理のいとこになる。  そう考えるとなんだかうれしくなってきた。  ところが樹梨ちゃんはなぜだか目と歯を剥き出しにしてギッとワタシを見た。  どうやらここで言ってはいけないことだったらしい。  小学生のとき、樹梨ちゃんは若くてかわいくてやさしい先生で大好きだった。クラスメイトも樹梨ちゃんのことが大好きだった。その大好きな先生が、こんな鬼のような形相でワタシを見る日が来るなんて、あの頃は夢にも思っていなかった。  ちょっとショックなんだけど、なぜだかちょっとうれしいような気持ちもする。  そのとき、樹梨ちゃんの後方から樹梨ちゃんと同じくらいの年齢に見える女の先生が現れた。 「三鷹先生の教え子さんですか?」  その声が聞こえた瞬間、樹梨ちゃんの顔が鬼から女神に変わった。前にテレビで見た、中国の伝統芸能みたいに一瞬で表情が変わって、大人ってすごいなと思っていると、樹梨ちゃんが私の肩にそっと手を置いた。 「はい。前の小学校の教え子なんです。今日はわざわざ顔を見せにきてくれたみたいで」 「転任先に顔を出してくれるなんてうれしいですねぇ」 「えぇ、本当に」  樹梨ちゃんは本当にうれしいように見える笑顔を見せた。ワタシもそれに倣って笑顔を浮かべてみせる。だって、肩に置かれた樹梨ちゃんの手のひらからとてつもない圧力を感じたのだ。 「こんなところで話をするのもなんだから、ちょっと場所をうつしましょうか?」  樹梨ちゃんは笑顔のままワタシに向かってそう言ったが、多分、話しかけた女の先生に向けた言葉だと思う。だからワタシはそれに逆らわず「はい」と返事をした。  樹梨ちゃんに引きずられるようにして移動したのは保健室だった。 「ちょっと場所をお借りしたんですけど」  樹梨ちゃんはそう言いながら保健室のドアをくぐった。  白衣を羽織った保健室の先生はデスクに向かって仕事をしていたようだけど、椅子を半回転させて私たちを見る。 「三鷹先生の教え子さんですか?」 「はい……まぁ……」  樹梨ちゃんは歯切れの悪い感じで返事をした。 「じゃぁ、私は席を外しますね」 「いえ、鍋島(なべしま)先生は大丈夫です」  おそらく気を利かせてくれた鍋島先生に対して樹梨ちゃんは言う。ワタシも鍋島先生も少し首を傾げた。  鍋島先生は少しぽっちゃりとしていて、それが余計にやさしくてやわらかいオーラを出しているようだった。表情も柔らかくて、もしもワタシがこの小学校の児童だったら、保健室に入り浸ってしまうかもしれない。  年齢は、多分樹梨ちゃんと同じくらいか少し若いくらいだと思うけれど、全身から母性のようなものを発しているようだった。  樹梨ちゃんにも、ワタシのお母さんにも備わっていない性能だと思った。 「大丈夫なの?」  ワタシは樹梨ちゃんに尋ねた。さっき樹梨ちゃんは鬼のような顔をしていたのだ。下手なことを言えばもっと怖い顔をされてしまうかもしれない。 「鍋島先生は……すみちゃんのことを知ってるから」 「え? そうなんだ!」  ちょっとびっくりして鍋島先生の顔を見ると、鍋島先生は少し首を傾げてワタシの顔を覗き込むようにして見ると少し笑みを浮かべた。 「この子はすみ枝さんのことを知ってるの?」 「すみちゃんの姪の流里さん。私の教え子でもあります」  樹梨ちゃんが少しぐったりした様子で私の紹介をしてくれた。 「あぁ、すみ枝さんの姪御さんなんですね。そう言われれば少し似ているかもしれませんね」  そうして鍋島先生はニッコリ笑う。  ワタシは心の中で「イヤイヤ、全然似てないでしょう!」とツッコミを入れつつ、なんとなく作り笑顔を返しておいた。  私のお母さんとすみちゃんはあまり似ていない。そしてワタシはお母さんにもすみちゃんにも似ていない。なぜだかワタシはお父さんにも似てしまったのだ。  お父さんのことは好きだけど、お父さんに似ているのはちょっと嫌だった。 「では、私は席を外しますから、ゆっくりお話してください」  鍋島先生は穏やかな表情のまま席を立とうとした。 「あ、別に大丈夫です」  ワタシは言う。  押しかけておいて部屋の主を追い払うなんて、なんだか気持ちがいいものでもないし、すみちゃんと樹梨ちゃんのことを知っている人なら、話を聞かれても大丈夫だと思う。  それに、むしろ知らない人の意見も聞いてみたいと思った。 「わざわざここまで来たのは私とすみちゃんが籍をいれないのか? っていう話をするためなの?」  樹梨ちゃんが言う。 「ううん。それはちょっと気になったから聞いてみただけ」 「そう……」  ワタシの答えに樹梨ちゃんは大きなため息をついた。 「だって、樹梨ちゃんとワタシの関係って一体何だろう? って思ったんだもん。樹梨ちゃんとすみちゃんと結婚はできないでしょう?」 「そうね。もしも籍を入れる方法をとるのならば、私がすみちゃんの養女になるわね」 「そしたら……樹梨ちゃんは、叔母さんの娘でしょう」 「叔母さんの娘になるなら、流里さんと三鷹先生はいとこになるのかしらね」  ワタシの言葉を引き継いでくれたのは鍋島先生だった。 「そう! いとこだよ! それってすごくいいじゃない! すぐに籍を入れればいいのに!」  ワタシが両手を広げて歓迎を表しているのに、樹梨ちゃんは腕を組んで小さな笑みを浮かべるだけだった。 「考えていないわけじゃないのよ。ただ、今のままでもいいかなと思っているから」 「そうなの? なんで? すみちゃんはもうすぐ四十歳になるんだよ。すみちゃんがかわいそうじゃん」 「色々あるのよ。……で、本題はなんなの?」  樹梨ちゃんに答えをはぐらかされてしまったけれど、確かにワタシは樹梨ちゃんとすみちゃんの入籍の話を聞きに来たわけではない。 「うん……。えっとね。ワタシ、好きな人ができたの」  言葉にしたのはこれがはじめてだった。  言葉にすると、それが本当のこととして世の中に生み出されたような気持ちになる。うれしいようなはずかしいような、ムズムズした気持ちだ。  そして、先ほどまで気の乗らないような顔をしていた樹梨ちゃんがパッと明るい笑みを浮かべた。 「そうなの? そっか、そうだよね。流里さんも中二になったんだもんね。って、その話をするためにわざわざここに来たの?」 「そうだよ。だって樹梨ちゃんたち引っ越しちゃったから家に行けなくなっちゃったじゃない。どうせ、ワタシやお姉ちゃんが押しかけるのが邪魔で遠くに引っ越したんでしょう」  ワタシが言うと、樹梨ちゃんは「バレたか」とでも言うように舌を出した。  聞いた話によると、樹梨ちゃんとすみちゃんが付き合いはじめたのは、ワタシが小二の頃らしい。そのことを教えてもらったのは、樹梨ちゃんが転任した後で、ワタシが小五の頃だ。  そして、それを機に樹梨ちゃんとすみちゃんは引っ越しをして一緒に暮らしはじめた。  この行動にワタシとしては少し不満はあるけれど、小二のワタシにバラしていたら、うれしくて言いふらしていただろうし、二人が一緒に住むのもむしろ遅すぎたくらいだと思う。  だた、ワタシが一人では遊びに行けない場所に引っ越したというのがちょっと許せない。別に邪魔をするつもりなんてないんだから、もっと近くに住んでほしかった。 「樹梨ちゃんの学校に来たら迷惑かもと思ったけど、家に行けないんだからしょうが無いじゃない。高校生だったらお姉ちゃんみたいに樹梨ちゃんの家に行ってたよ」 「あー、うん、そうだね。ごめんごめん。それで、その好きな人のことで何か相談があるの?」  もう少し責めてもいいかと思ったけれど、樹梨ちゃんの機嫌をそこねて相談に乗ってもらえなくなったら元も子もない。 「あのね、好きな人が年上なの。だから、年上キラーの樹梨ちゃんにコツを聞きたくて」 「年上キラーって……別にそんなんじゃないからね」 「でも、樹梨ちゃんは年上のすみちゃんを落としたんでしょう?」 「落とそうと思って落としたわけじゃないもの……」  なんとなく、樹梨ちゃんのその返事にイラッとした。 「それって、樹梨ちゃんはモテるから何もしなくて大丈夫ってこと?」 「いやいや、そういう訳じゃなくて……」  樹梨ちゃんが慌てて否定しようとすると、これまで黙って話を聞いていた鍋島先生がクスクスと笑って口を挟んだ。 「確かにすみ枝さんの方が三鷹先生にメロメロって感じですよね」  それを聞いた樹梨ちゃんが、なんだか照れ笑いを浮かべてデレデレするものだから余計にイライラしてしまう。 「もう、樹梨ちゃんの役立たず!」  自分でもこれは八つ当たりのような気がしたけれど、言わなければ気が済まなかった。  樹梨ちゃんは眉を下げて苦笑いを浮かべる。 「流里さんの好きな人はすみちゃんと似ているの?」 「全然似てない」 「だったら、すみちゃんの攻略法は使えないと思うわよ」 「うーん……でも、何か参考になることがあるかもしれないし」 「実はね、私やすみちゃんが……というより、みち枝さんに乗せられたというか……はめられたというか……。だから、本当に参考にならないのよ」  樹梨ちゃんが指先で眉間をポリポリと掻きながら言った。  それは参考にならない。樹梨ちゃんの言う「みち枝さん」とは私のお母さんのことだ。多分、この世界で一番強烈な人だと思う。 「本当に参考にならなかった……」 「究極の方法として、みち枝さんにお願いするというのがあるけれど……」  樹梨ちゃんは声を潜めるようにして言う。まるで名前を呼んではいけない人的な扱いだ。  だが、樹梨ちゃんの言うとおり、お母さんに相談すればなんとかなってしまうかもしれない。でも、それは絶対にしたくなかった。 「お母さんに相談したら『押し倒してしまいなさい』くらい言いそうじゃない。やだよ!」 「さすがにそれはないと思うけれど……。頼んでいないことも色々やってくれたりするかもしれないね」  ワタシは樹梨ちゃんの言葉に大きく頷いた。 「結局、何のヒントもなしか……」  落胆するワタシに鍋島先生が言う。 「まずは流里さんの好きな相手がどんな人なのか教えてくれない?どうしていけばいいのかを考えるには、まず相手がどんな人なのかを知らないとね」  鍋島先生の言うことはもっともだ。 「今年からウチの中学に来た新任の体育の先生」 「先生、か……。新任だと二十二、三歳かな。年の差が九つなら私とすみちゃんの年齢差と同じだけど……。うーん、先生かぁ……」  樹梨ちゃんは眉根を寄せて頭を軽く掻いた。  鍋島先生も渋い顔をして「うーん」と唸っている。 「なによ! 二人とも!」  ワタシは立ち上がって叫んだ。 「同じ教師としての立場だと、軽々しく『がんばれ』とも言い難くて……。教師としての倫理問題もあるし、流里さんは未成年だしね」 「それくらいのこと、ワタシにだってわかってるよ! だけどさ、好きって気持ちは止められないでしょう!」  ワタシだってバカじゃない。先生と生徒だとか年齢のことだとか、それが許されないことだとわかっている。それでも好きなのだ。 「そうだよね。好きなんだもんね。その気持ちを否定しようとは思わないよ。ただ、正直に言えば、私もどうしたらいいのかわからないのよ」  樹梨ちゃんは真っ直ぐに私を見て言った。その言葉にワタシの気持ちも少し落ち着く。 「大きな声を出してごめんなさい」 「もう少し詳しく、その先生のことを教えてくれる?」 「うん。志藤薫(しどうかおる)先生っていってね。すごくカッコイイ先生なの」  そこまで言うと、なぜか鍋島先生が体勢を崩して椅子から落ちそうになった。 「志藤先生? もしかして、髪が長くてちょっと顔がキリッとした印象の?」 「うん。鍋島先生は志藤先生を知っているの?」 「ええ。前に地域の学校の先生が集まる会議で目を付けた……じゃなくてお会いして……」 「今、目を付けたって言った?」  ワタシは鍋島先生を睨み付ける。鍋島先生は困ったような笑みを浮かべていた。  まさかこんなところにライバルいるとは思わなかった。ワタシはライバルに恋愛相談をしようとしていたことになる。  ワタシは改めて鍋島先生をじっくりと見た。  親しみやすい雰囲気と、包み込むような包容力があるように見える。  突然訪問したワタシと樹梨ちゃんを快く招いてくれて、一緒に話を聞いてくれた。  大人の色気みたいなものがあるような気がするし、そもそも保健室の先生というだけで何かエロい! 「ワタシ、帰る」  それだけ言ってワタシは出口に向かった。 「え? 相談はもういいの?」  樹梨ちゃんがとぼけたことを聞く。 「ライバルの目の前で作戦を立てられるわけがないでしょう!」  ワタシはそう言い放って大股で出口に歩み寄り、扉に手をかけたところで振り返って鍋島先生をキッと睨んだ。 「絶対に負けないんだから!」  これは宣戦布告だ。  鍋島先生はいい人だと思う。だからこそ負けたくない。  年齢とかで足踏みをしている間に鍋島先生に志藤先生をさらわれてしまう。  ワタシの中の迷いは消えた。
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