10:術中の鼠②

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10:術中の鼠②

「マジかよあいつ。まだ1時間も前だぞ」 マンションの自室から、カーテン越しに外の景色を見ていた猫宮は、あきれたようにつぶやいた。 鼠田は頼りなさげにマンション前に佇んでおり、空を見上げてみたり手元の腕時計を見てみたりと落ち着かない様子である。 「あいつ、お前に会ったらどんな反応するんだろうな。なあミケ」 猫宮は腕の中の三毛猫にささやいた。 ミケは「にい」と甘く鳴いて、ふかふかの前足を伸ばしてくる。彼女と握手しながら、猫宮は先日交わした会話について考えていた。 ー本当に、僕が行って大丈夫なの? 鼠田は八の字眉で猫宮に何度も尋ねた。 その言葉の意味に隠された不安に、わざと気づかないふりをして、猫宮は返した。 ーさあな。来たいんなら来い。来たくないならやめれば? 彼の不安の根源は、きっとあの日の記憶にあるのだろう。抑えていたはずのα性が爆発してしまったことは、穏やかな性格の彼にとって大きな衝撃であったに違いない。初対面の時よりも大分距離が縮まった今でさえ、鼠田はどこか猫宮に怯え、警戒した様子を崩さないのだ。あの日のことを忘れたわけではないし、α性への嫌悪が消えたわけではないけれど、一方的に距離を置かれることに対し、どこか苛立たしく感じていた。 何らかの形で、鼠田の警戒を緩める方法はないだろうかと考えていた矢先のことだった。猫の話題を出され、漫画のように目を見開き、頬を上気させ、興奮を隠しきれずに叫んでいた光景を思い出し、猫宮は思い出し笑いをした。 鼠田は基本的に寡黙であり、自分から積極的に喜怒哀楽を表することはない。だからこそ、猫の話題だけであんなに笑顔を引き出せたことは想定外だった。 そして結果的に、迷いながらも鼠田は猫宮の誘いに乗ってきた。 コーヒーを飲みながらもう1度窓の外を見やると、鼠田は若い女性2人組に声をかけられていた。 「あいつ何してんだ?」 どうやら逆ナンパというやつらしい。鼠田は断っているようだが、相手方はなかなかにしつこい様子だ。 鼠田の丸眼鏡から覗く切れ長の瞳や、猫背ではあるが185㎝の高い長身とそれに見合った手足の長さは周囲の目を引いていた。彼はいつもマスクをしているが、マスクで顔の下半分が隠れていても、顔立ちが整っていることはわかる。いわゆる隠れイケメンというやつで、周囲からさりげなく熱視線を集めていることも多いのだが、本人は全く気付いていない。そんな様子を見るたび、どこかつまらなく感じていた。 (最初に見つけたのは俺だし…) 煮え切らない様子の鼠田に腹を立てたのか、やがて女性たちは鼠田を引っ張り始めた。鼠田は反抗しているが、今にも押しの強さに負けそうである。あまりにも頼りない様子に、猫宮は居ても立っても居られなくなった。 「馬鹿すぎんだろ」 猫宮はミケを床へ降ろし、鼠田の救出へと向かった。 家主が、2時間前から窓際でそわそわと外の景色を眺めている様子を見つめていたミケは「みい」と短く鳴き、カーペットへそろりと横になった。 「お兄さん、一緒にカフェ行きましょうよ!すぐ済みますから」 断っても断っても、女性2人はなかなか離れてくれない。 「いや、あのでも、僕には待ち人がいるんです」 「いいでしょ!ちょっとですから!!すぐ終わりますから!!」 「いや、あの…」 断り文句を必死で考えていた時だった。 「わりぃ、遅くなった」 不意にポンと背中をたたかれて、鼠田は大仰に竦みあがった。 恐る恐る振り向くと、してやったりという顔の猫宮が立っていた。 「すんません!俺たちこれからちょっとデートなんで、失礼しますね」 猫宮は軽く頭を下げ、さっそうと鼠田の腕を引っぱり、マンションのエントランスへと入った。女性2人は突然現れたイケメンに唖然としており、引き留める余裕もないようだ。 エレベーター内に2人きりになると、猫宮はニヤニヤと意地悪く笑いながら鼠田のことを小突いてきた。 「朝から楽しそうじゃん。邪魔したか?」 鼠田は気まずそうにうなだれた。 「ごめん、なんか絡まれちゃって…猫宮くんが来てくれて助かったよ。しかも、待ち合わせより早い時間になっちゃったよね。ごめんね」 「外の景色見てたらたまたま気づいただけだし、起きてたから別にいい。やっぱ、直接家に集合の方がよかっただろ?」 猫宮は最初から、直接家に来いと言ってくれていたのだが、鼠田は気後れしてしまい、マンションの前での待ち合わせを提案したのだ。猫宮は面白くなさそうな顔をしたが、何も言わず了承してくれた。こんなことになるのなら、最初から提案に乗っていればよかった。 「ごめん…」 「次からはそうしろよ。わかったな?」 上目遣いで睨まれて、鼠田はまた竦み上がる。 「わかったな?」 念押しされて、慌てて返事をする。 「はい!わかりました!」 威勢よく答えると、猫宮は満足した様子で鼻を鳴らした。無言になったとたん、鼠田はじわじわと羞恥心がこみ上げてくるのを感じた。 「次」って言われてしまった!しかも子供みたいに返事しちゃった…。次もあるのか?それに、猫宮くん、さっき「デート」って言ったけど…噓も方便と言うし、ただの口実だよな?それともこれは俗に言うおうちデートなのか?猫目当てで家にお邪魔させてもらうことは、デートに入るのか?そもそもデートってどこまでがデートでどこまでがデートじゃないんだろうか?デートってなんだ? ぐるぐると頭を働かせオーバーヒート寸前になっていると、猫宮が顔を覗き込んできた。慌ててのけぞると、猫宮が思い切り背中を叩いてくる。 「おい!家着いたぞ、入れよ」 気付くと家の前まで来ていたようだ。 鼠田は神妙な面持ちで頷くと、お邪魔しますと直角に頭を下げ、玄関へと慎重に足を踏み入れた。あまりにも大げさすぎる様子に笑いそうになったが、本人はいたって真面目なので、猫宮は必死で笑いをかみ殺した。
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