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15:鼠色の不審者
「あー…やっちまった」
猫宮はイライラしながら帰路を急いでいた。
鼠田が女子に連絡先を聞かれそうになっているのが偶然耳に入り、思わず大声を出して邪魔してしまったのだ。
(関係を断ったのは自分の方だし、あいつのことなんかどうでもいい)
そう言い聞かせてきたはずなのに、つい頭ではなく体が先に動いてしまった。慌てて言い訳をしたが、周囲の人間にはその後も揶揄われ、恥ずかしい思いをした。
鼠田は女子と楽しそうに話していた。自分がそばにいなくても、きっと鼠田の良さを分かってくれる人たちはたくさんいるだろう。いつかは、恋人もできるかもしれない。そう思うと胸がずきりと痛んだが、首を振ってかき消す。
こんなのはただの気のせいだ。周囲の人間に柄にもなく笑顔を振りまいたり、愛想笑いの連続で頬をつりそうになったりと、慣れない環境で疲れているからに違いない。
鼠田と距離を置くと決めてから、猫宮は学部内でも一際目立つ、派手なグループの輪へ入ることに成功した。しかし、Ωやβを馬鹿にして嘲るような話題が多く、神経が磨り減る思いがした。鼠田とは他愛ない世間話でも楽しく、思ったことを正直に話しても受け入れてもらえる感覚があり、気を遣わずに側にいられた。
鼠田が時折心配そうにこちらを見つめたり、話しかける機会をうかがうような視線を投げてくるたびに、罪悪感が募った。
(決めたことだ。考えても仕方ない。早く帰って寝よう…)
自宅のマンションに近づくと、エントランスの前で中年女性たちがひそひそと話しているのが見えた。
「あの人…いったい何してるのかしら」
「怪しすぎるわよね…警察に通報したほうがいいかしら?」
「でも、うつむいてるだけで、危害を加えてきそうな気配はないわね…」
心配そうに話しこむ婦人たちの視線の先を見遣ると、そこには鼠色のスウェット上下に大きな黒のバケットハットをかぶり、マスクをしてサングラスをかけた男がいた。猫背のシルエット。無駄に長い手足。ひょろっとした身体つき。
「…」
すぐに誰なのかわかってしまった自分が悔しい。なぜこんなに怪しい格好をしているのかは謎だが、今は彼と関わりたくない。
(無視して通り過ぎよう)
目を伏せ、そのまま男の隣を走り去ろうとしたが、
「ね、猫宮くん!!」
「…」
無視をしてそのままマンションへ入ろうとすると、待って、と腕をつかまれた。
「せめて、あの日のこと、謝らせてほしい。君のことを傷つけて、怖がらせて、本当にごめん。謝っても許されないかもしれない、けど、また、前みたいに、僕と仲良くしてほしい」
鼠田は泣きそうに顔をゆがめ、腕に縋りついてくる。
「お前、あの日、俺が何したのか分かってんのか?仲良くなんて無理に決まってんだろ」
ゴミを見るような目で、思い切り振り払う。
「俺はお前のことが嫌いだ。もう連絡してこないでくれ」
そのとき、鼠田が左腕をさっと背中に隠したのが見えた。もしかしたら、さっき自分に振り払われた拍子に痛めたのかもしれない。
「……傷、まだ痛いのか?」
項垂れていた鼠田がはじかれたように顔を上げる。
「どうして知ってるの?」
「お、親父に聞いたんだ」
嘘だ。親父は自分が目覚めた時、「自分が何をしたのか、よく考えなさい」と言ったきり、何も言及してこなかった。自分が狸寝入りしていたこともバレている気がしたが、お互い何も言わなかった。
「そっか…全然痛くないよ。心配かけてごめんね」
「ふざけんな!心配とかしてないから!うぬぼれんな」
突っ返すと、鼠田は弱弱しく笑みを浮かべた。
「ごめん。でも、久しぶりに君と話せてよかった」
「…もう話しかけてくんな」
そう言って背を向けたが、前を向いたまま小声でつぶやいた。
「悪いのは俺だから、謝るな。もう俺に関わるなよ」
(お前は、俺のいない人生に戻れ。そして一生、俺を赦すな)
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