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「どうやったらあんなに意気地なしな子供になるんだ。まったく。信じられないよ」 いつもは温厚な父親が、家族3人の夕食の席で、ビールをあおりながら怒りを露わにしていた。 「どうしたんですか?今日の患者さん?」 「ああ。まだ高校1年だって言ってたな。彰と同じ年か。アルファなのに、ベータとして生きていきたいから抑制剤をくれって。運命の番に気づかなくなるかも、と忠告したのに、それでもくれというから処方はしたが…まったくふざけてる。彰みたいな人もたくさんいるのに失礼な話だよ、自分の持って生まれた贈り物を活かさないなんてさ」 和やかだった食卓の空気が凍りつく。俺は真っ正面から父親の顔を睨み付けていた。 「ちょっとお父さん、お酒飲み過ぎよ…」 「彰もかわいそうになあ。ごめんな。俺も母さんも、親父もお袋もみんなアルファなのに、お前だけオメガでなあ。お前がアルファだったら、うちの病院も継いでもらえたのにな…」 ガン、と俺は机に両の拳を思いきり叩きつけた。 「俺だって好きでオメガに生まれたわけじゃねーよ!」 くそじじい、と叫んでやりたかったが、横で心配そうな目で俺を見ている母さんを傷つけてはいけないと思ったので思いとどまる。 母さんが俺のことをなだめようとするのを制して、俺は大声で叫んだ。 「子供の時からずっと言ってるけど、俺は医者になるし、家も継ぐから。性別のせいになんか絶対しないから」 そう言うと、俺は立ち上がって自室のドアを乱暴に開け、閉めた。 生まれ持った性別を変えることはできないから、どうしようもない。頭では分かっている。それでも悔しかった。自分がアルファでないことが。 俺、猫宮彰(ねこみやあきら)は幼少期から周囲にアルファであることを期待され、自分でもアルファであると思って生きてきた。平均身長よりもはるかに高い背丈、優れた容姿、優秀な成績、武術で鍛えた頑丈な身体。優秀な父母の元に生まれ、生まれながらにして社会的な地位もあった。男女ともに人気があり、小中学校ともに生徒会長を務めあげた。唯一の悩みと言えば、告白されることも多いのだが、心を強く惹かれるような人になかなか出会えないことくらいだった。 絵に描いたような完璧な人生をこれからも歩み続けるはずだった。 しかし、高校入学と同時に受けた性別検査の結果で、すべてが変わった。 俺に下された診断はΩだった。信じられなかった。嘘であってくれと願った。でも再検査をした父親から告げられた結果も同じだった。 「お前はオメガだ。もういい加減認めなさい」 一般的にオメガは庇護の対象となるようなか弱い見た目や、3か月に1度の発情期があり、社会的に弱い立場であるとされ、アルファやベータと比較して差別されることも多い。 これまでアルファとして、人々の注目や尊敬をほしいままにし、堂々と生きてきたのに、急にオメガとして社会に守られながら生きていくことを受け入れられるはずもなかった。 診断を信じられない俺は、抑制剤を持ち歩きなさいと言う両親の勧めも聞かず、ひたすらアルファとして努力を重ねた。 しかし、診断から数週間後、高校で授業を受けていると突然下半身が疼いた。耐えがたいほどの熱いうねりを、必死でこらえた。発情期に入ったのだとすぐに分かったが、診断を拒否していたため抑制剤は手元にない。両親の勧めをききいれなかったことを後悔したが、時すでに遅しであった。オメガのフェロモンはじわじわと教室中を満たし始め、生徒たちは飢えた獣の目で熱源を探し始めた。他の生徒と同じようにオメガを探すふりをしながら、必死で疼きが収まることを願った。なんとかその場は耐えしのいだが、発情期への恐怖心で心身ともに押しつぶされそうだった。 学校を休めば、その頻度ですぐにオメガであることが周囲にばれる。しかし、発情期期間中は手近なアルファやベータに見境なく欲情してしまい、発情と繁殖以外に何もできなくなるほどの脱力感や溢れる性欲に悩まされ、普段の生活を送ることもできない。 家族とも何度も話し合った末に、俺は通っている高校を退学し、国外の高校に留学することを決めた。実際、国外の方がオメガの差別解消法の施行が進んでいることもあり、オメガの俺を受け入れてくれる高校はすぐに見つかった。周囲の人間には残念がられたものの、俺は自分のことを誰も知らない、未知の場所に飛び出していくことにワクワクしていた。 海外での学生生活は順調に進んだが、身長が伸びなくなり、女性のように線の細い体格に変化していく自分の身体や、必ずやってきて意志とは無関係に自分を欲望の波にさらっていく発情期に振り回されるたび、オメガであることを自覚させられ、苦しい思いに押しつぶされそうになった。そのたびに同じオメガの仲間たちと慰め合い、助け合いながら耐えしのいだ。そうしている間に、俺には新しい夢ができた。 将来は医者になって、オメガ性に苦しむ人のために、オメガ専用病院をつくりたい。現行の薬よりもよく効いて、副作用も少ない発情期抑制薬を作りたいと。夢の実現のため、俺は日々勉学にいそしんだ。また、オメガを守れるオメガでありたいという思いから、武術の訓練を続け、身体の鍛錬にもさらに力を入れた。 ある日、オメガの仲間の1人であった友人が突然寮を出て行くと言い出した。理由を問うと、彼は照れくさそうに笑った。 「実は、番ができたんだ」 「…番?まさか、運命の番なのか?いつ、どこで出会ったんだ?なんで分かったんだ?」 「一気にたくさん聞かないでよ」 彼はそう笑いながら、相手とのなれそめを丁寧に話してくれた。 相手と初めて出会ったのは3年前で、すれ違った際に、何かに引き寄せられたように思わず振り向いたらしい。相手も同じタイミングで振り返っていて、目が合った瞬間にお互いが運命であると分かったそうだ。そしてプラトニックな付き合いを続け、先日ついに身体を重ねた際、お互いが運命の番であると確信した。うなじの大きな噛み跡を撫でながら、番契約を済ませ、親への挨拶も終えたことをとろけそうな瞳で語ってくれた。 「じゃあこの寮を出たら…」 「彼と一緒に暮らすよ。高校には今まで通り通って欲しいって、彼も言ってくれるんだ。本当に優しい人だよ」 「…そうか」 「これまでずっと、アキラと俺は発情期に悩まされてきただろう。だから、抜け駆けするみたいで申し訳ないんだ」 「お前が幸せならそれでいいよ。良かったな」 本心から言ったつもりだったが、彼は少し悲しそうな顔で言った。 「アキラは同級生の誰よりも優秀だし、尊敬もしてる。でも、オメガだってことを否定的にとらえすぎだよ。見方を変えれば、僕たちは男だけど愛する人の子供も産めるし、オメガだからこその幸せもあるんじゃないかな」 「…」 俺は黙って唇を噛み締めた。 返事をしない俺に、彼は優しく笑った。 「アキラもいつか、運命の相手を見つけられるといいな」 高校を首席で卒業後、俺は日本最難関の大学の医学部に入学した。海外での生活は楽しかったがそろそろ疲れが出始めており、生まれ育った地に帰りたいという気持ちが年々強くなっていた。オメガ向けの抑制剤の開発も数年前より格段に進んできており、適切に服用すれば発情期をわずか数時間で抑えることができるようになったことも安心材料の1つだ。父親は医学部合格を報告すると、泣きながら喜び「お前は俺の誇りだ」と言ってくれたが、思ったほど満たされた気持ちにはならなかった。自分の身を削るような努力が、アルファの父に理解できるわけがないからだ。ただ、それを父親に言っても仕方が無いことはわかっていたので、小さくありがとうとだけ告げて家を出ようとした。そんな俺に父は言った。 「…酔っぱらっていたとはいえ、以前お前には本当にひどいことを言った。反省している。前にも話したかもしれないが、アルファ性でもベータ性として生きていこうとする人もいる。お前には性別の概念にとらわれずに、自由に生きてほしいんだ」 大学入学後すぐ、俺は新入生の歓迎会に参加することになった。適当に話を合わせていたものの、英語圏で数年暮らしていたこともあり会話になんとなく疲れてしまい、俺は休憩のつもりで店の外に出た。 深呼吸をし、よどんだ空気をはきだすと、少し心が軽くなったように感じた。店に戻ろうとしたとき、近くで何か言い争う声がするのに気づいた。トラブルには巻き込まれたくないが、もしかしたらオメガが襲われているかもしれない。そう思い声の聞こえる方を目指し走った。 たどり着いた路地裏には、情けない顔で震えるもやしみたいにヒョロヒョロした細い男性と、その男の胸倉をつかみ、殴り掛かろうとしている体格のいい男5人がいた。 男達全員がアルファだったら、いくら武術で鍛えたとはいえオメガの俺に勝機はないだろう。しかし、外見からして見るからにオメガであると分かるような男性を罵倒し、恐喝しようとするような奴らは許せなかった。意を決して、声をかける。 「…お前ら、何してんだ?」 そう言うと、何か男達がゆっくりとこちらを振り向く。品定めするようにおれを見つめたのち、にやりと下品な笑みを浮かべてくる。 自分達に比べて体格の小さい俺を見て、油断していることは明白だった。 「なんだ?兄ちゃん」 「その男性に何してるんだ」 「お前には関係ないだろう」 「嫌がってるじゃないか」 「金を持ってるみたいだから少し借りようとしてるだけ…ウッ」 最後の声を聞く前に、俺は男の急所を思い切り蹴り上げた。男が倒れる。それを見た他の男どもがとびかかってきたが、俺は器用にかわし、顔面に数発パンチをお見舞いした。 「まだやりたいなら相手するけど?」 拳についた相手の鼻血を拭いながら不敵に微笑んで見せる。 男達は弱そうに見えた俺が思わぬ強さを見せたことにびっくりしたのか、蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げて行った。 ふう、と俺は息をつく。見た目のわりに弱くて助かった。襲われそうになっていた男性を介抱しようと、ゆっくりと近づく。 「大丈夫ですか?」 声をかけ、うなだれた彼の顔をのぞきこもうとしたときだった。 足がその場に縫い付けられたように、動けなくなった。 彼が発する圧で、立っていられないほどに頭がくらくらする。 これまでも何度か彼らの圧に当てられたことはあるが、ここまで酷いのは初めてだ。 細い体に、見上げるほどの高身長。モヤシみたいだ。それに、目をしきりに泳がせて困惑しているおどおどとした態度。しかし、このオーラは、彼が外見とは異なる性を持ち合わせていることを雄弁に語っていた。 「お前、アルファだな」 思わずこぼれた俺の言葉に反応したのか、男性が身体をぴくりと震わせる。 うつむいているので顔は見えないが、暴漢から逃れた安堵感からか、もしくは俺に自分の性を見破られた衝撃からなのか、街灯の明かりが、両目から溢れ出す涙を照らしていた。 「ちがう…お、れはベータだ。ベータなんだ。」 か細い声で否定する。本当に弱っちい奴だ。 「嘘をつくな。こんなに圧を出しておいて。…なんでさっき、あいつらを追い払わなかったんだよ。アルファなら楽勝だろ?」 「…あ、アルファだからって、み、みんな強いわけじゃ、ない。」 「へー。俺が来なかったらどうするつもりだったわけ?っていうか、助けたのに礼もなしかよ?」 「…あ、あ、…ありがとうございます」 全身を震わせて言葉を発そうとする男の姿がなんだか滑稽で、俺はわざと挑発した。 「あ?聞こえないんだけど。なに?」 「あ、あ、あり…」 「なんだよ?あ?」 笑いを噛み殺しながらなおもからかうと、男は突然顔を上げ、長い前髪と眼鏡越しに俺を睨みつけた。 「ありがとうって言ってる!!」 瞬間、目と目が絡みあった。 彼の圧が先ほどよりずっと濃くなる。首を絞められたように、息ができない。苦しい。それでも、目が離せない。どうしてだ。こんな平凡で、弱弱しい男から、なぜこんなに目が離せない? 本能は迷うことなく、ただ1つの答えを告げている。 ーこいつが俺のアルファだ。弱弱しくて、β相手にもカツアゲされるような、臆病で情けない男。 ふつふつと、これまで自分がオメガ性のおかげで受けてきた差別の数々がよみがえる。こんな男が俺の運命だとは、信じたくないが、運命の本能は、俺にこの男が欲しい、と強く訴えかけてくる。 もう相手も俺の正体に気づいただろう。 興奮して沸騰しそうな頭を押さえながら、相手の反応を待った。しかし相手の男は依然として俺を睨んだまま動こうとしない。 何かがおかしい。 運命の相手であれば、普通はここで反応するはずだ。 「おいお前…何も感じないのか?」 「さっき謝りましたよね?」 こいつは自分の運命から逃げようとするのか? 途端に、いつかの父親の話が脳裏でよみがえる。 ー今日の患者は、アルファなのに、ベータとして生きていきたいから抑制剤をくれと言ってきた。運命の番に気づかなかくなるかも、と忠告したのに、それでもβとして生きたいと… まさかこいつも、その抑制剤を飲んでいるのか? これまで感じたことがないほど大きな怒りに支配され、目の前の景色が赤く染まる。 こいつはこれまでずっと、自分の運命から逃げてきたのだ。 一生自分はβだと隠し通して平凡に生きようとしてきたのだ。 …もしできるなら俺だって、オメガ性を隠して生きていきたかった。なのに、俺はそれができない。アルファを惑わせ誘惑する、この忌々しい体質のせいで。 「お前だけ逃げるなんて絶対に許さない。」 そうつぶやくと、相手は怪訝そうに首を傾げた。 「…なんのことですか?誰かと間違えてます?」 黙りこくる俺に恐れをなしたのか、彼はおびえた表情で、きょろきょろ辺りを見回し必死で逃げ道を探している。 その姿はさながら猫に迫られた鼠のようだ。 ダン、と力強く右足で壁を蹴り飛ばすと、彼はあきらめたのか身じろぎをやめた。 俺はお前なんかより数倍強い。逃げられるわけがないだろう? 「誰かと間違えたか、だと?お前のことを間違えるわけないだろ。…俺はお前の運命だ。嬉しいか?」 彼の顔は目に見えてどんどん真っ青になる。 「嘘だ…」 「てめえのつまんない薬のせいで、お前にはわからないようだがな」 「なんでそれを知ってるんだ」 「うるせぇよ」 もう一度壁を蹴り上げると、男は頭を抑えながらその場にしゃがみこみ、自分の見たものを否定するかのように、何度も首を振り、両眼を覆おうとした。そんなことは許さない。力強く相手の身体を引き上げ、じりじりと壁際に追い詰め、逃げ道をふさぐように、壁に手をついた。 「…お前がわからなくても、俺たちは運命なんだ。出会ったからには、もう自分だけ逃げられると思うなよ?」 そう言ってじっと瞳を覗き込むが、彼は必死で目をそらそうとする。俺はその顎をすくい、無理やり自分の方を向かせた。視線をからめとり、ぺろりと舌なめずりをする。そして俺はTシャツの下に隠した首元のチョーカーを乱暴に引き裂いた。あたりに一気に自分のフェロモンが充満していくのがわかる。 …最近発情期が不順だと思っていたが、身体は目の前のに対し正直に反応したようだ。 「まさか…君、ヒート…」 俺のヒートに充てられたアルファ様は情けない顔で俺を見つめ、全身を震わせている。どうやら、番の香りは分からなくともヒートは認識できるらしい。 本当にどうしようもない奴だが、こいつこそが運命の番だと、俺の全身が五感をゆうに超え、第六感で伝えてくる。 「運命を楽しもうぜ、俺のアルファ様?」 そう言うと、怯えて震えていた彼の瞳がじわじわと絶望の色に染まっていく。そしてその目は、俺の出すフェロモンに侵され、じわじわと欲望の色を宿していく。 さあ俺だけに見せろよ、隠してきた本当の姿を。 ありのままの獣性を。
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