01:出会いは最悪

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01:出会いは最悪

目の前の男に、欲望の色がともったその瞬間、俺の身体は歓喜に震えた。 心はもちろん、チンピラに簡単に絡まれるような情けない男なんてまっぴらだ、と断固拒否しているはずなのに、本能は運命を求めて蠢いている。 身体の中心は心を裏切り、ずくりと熱を持ち始めた。 男のぎらついた瞳が俺の頸部を捉え、尖った犬歯が近づいてくる。 性急なはずのその動きが、なぜかスローモーションのようにゆっくりと感じられた。彼のあつい吐息を首元に感じ、過ぎた快楽に思わず目を閉じる。 あと3秒…2…1。 痛みを覚悟し、強く目をつぶった。しかし、期待したはずの刺激は一向に訪れない。 恐る恐る目をあけると、男は地面に崩れ落ち、だらしなく地面に転がっていた。 「…まじかよ」 しかも、すうすうと寝息を立てている。こんな状況でまさかこいつ、寝落ちしたのかよ? 「ほんと情けない奴」 ため息をつき、辺りを見回すが誰もいない。このまま放っておいてやろうかとも考えたが、また暴漢に襲われたりしたら夢見が悪い。 「おい!起きろよ」 男の体を引き起こして、はっと気づく。こいつ、熱があるらしい。 額は熱く、寝息は徐々にゼエゼエと苦しそうな音に変わっていく。一向に起きる気配はない。男が自分のせいで発熱した可能性も捨てきれず、良心がとがめた。 幸い、発現したはずのヒートはを寸前で食らい損ねた衝撃からだろうか、先ほどの熱が嘘のように収まっているものの、もしもアルファと接触すれば再発するかもしれないため、みすみす助けも呼べない。仕方なく俺は飲み会を中座し、人気のない道を選んで歩きながら、情けないアルファ様を1人暮らしの部屋にお持ち帰りする羽目になったのだった。 背負ってみると、ヒョロヒョロの見た目のわりに着やせするタイプなのか筋肉はそこそこついており、丸めていた背丈も想像より高い。背負う時に邪魔になるからと、長い前髪を振り払い、眼鏡をはずすと、目鼻の整った端正な顔立ちをしていた。 「ほんとにアルファの無駄遣いだ、俺ならもっと最大限に生かすのに、馬鹿野郎が」 目をあけると、見たことのない景色が広がっていた。目を刺すほどの真っ白な壁紙。大きな窓から差し込む、眩い光に目を細める。 「ここどこだ?」 目覚める前のことを思いだそうとすると、ズキズキと頭が痛んだ。 最後に覚えているのは、蠱惑的なまなざしと、赤く濡れた唇だけ。 …誰の? 「御目覚めか、腰抜けアルファ様」 聞き覚えのある声にはっと目を向けると、開いたドアから、綺麗な男性がニヒルな笑みを浮かべ、腕を組んで立っていた。 朝の眩しい光に照らされて、まるで後光がさしているような美しさに、思わず見とれてしまう。しかし、投げられる言葉やまなざしに、針で刺されるような痛みを感じた。 「いいご身分だな、かよわいオメガに介抱させるとは」 その瞬間、昨日の記憶が怒涛のように流れ込んでくる。あろうことか、自分は、この男性のうなじを嚙もうとしたのだ。心がすうっと冷え、顔が青ざめていく。 「君は…昨日の」 「世話になったな?アルファ様」 「…」 「飲み会中だったのに、お前のせいで飯食いそこなったし、30分以上その無駄にでかい巨体を担いでここまで歩く羽目になったんだけど?どうしてくれんの?」 「それはあの…ごめんなさい…お詫び申し上げます。」 ベッドの上で土下座をする。一瞬の沈黙の後、嘲笑の声が響いた。 「お詫び申し上げますだって?笑わせんなよ!お前みたいなアルファ風情は、オメガに謝らせる立場じゃねえのかよ?」 男性は心底可笑しい、といった様子で笑い転げている。彼からは強い拒絶の意志を感じた。苦々しい気持ちで、ゆっくりと口を開く。 「…そんなことはしません。男女も、アルファもオメガも、そしてベータも関係なく、悪いことは悪いと思います。きのうの行いは本当に申し訳ありませんでした。それに…」 そこで男は言葉を切って、うなだれた。 「昨日の今日で説得力がないのは分かってます。でも、僕はベータとして生きてきたし、これからもそうやって生きていきたいんだ。だから、あなたも、きのうのことは事故だと思って忘れてほしい」 一息で告げて、真っ直ぐ彼のことを見据えたつかの間、左頬に激痛が走った。 いつのまにか自分の前にいた彼が、自分を殴打したのだと気づくまでに、数秒かかった。鉄の味が頬にじんわりと広がっていく。 「ふざけんな。俺は自分の運命を受け入れて、必死で生きてきたんだぞ。アルファのお前だけが逃げるなんて絶対に許さない。許さない…」 強い言葉とは裏腹に、彼の顔からは挑発の色は消え失せ、駄々をこねる幼い子供のように顔をゆがめ、瞳からぼろぼろと涙を零し、泣きじゃくる。 意思より先に、身体が動いた。 気づくと、彼の頭を引き寄せ、小さい子供にするように、片手でその背中をさすり、もう一方の手で彼の頭を撫でていた。 男は一瞬固まっていたが、すぐに自分の胸や腹を殴り、腕から離れようとする。 見た目と対照的に武闘派な彼から繰り出される拳は痛んだが、それよりも、抱きしめたかった。 理由は分からない。 でも、アルファである自分に向けられる棘のある言葉や不遜な態度から、彼の歩んできた道が決して平坦なものではなかったことは、想像に容易い。きっとたくさん差別もされ、自身なりに抗い、努力を重ねてきたのだろう。 「本当に頑張ってきたんですね」 しみじみとそうつぶやくと、続いていた攻撃が止んだ。 「たしかに僕はずっと、アルファ性から逃げてきました。オメガ性と真っ向から向き合い、努力を続けてきた君とは真逆です。…僕は一生あなたに敵わないかもしれません」 「ふざけんな…わかったようなこと言いやがって」 威勢の良い声が聞こえてきて、少し安心する。その声はまだ少し震えているようだ。 「それでも、もうしばらく、こうさせてください」 自分のことが不思議だった。殴られた頬は痛いし、敵意むき出しでかけられた言葉に傷ついた。それでも、こんなふうに、抱きしめたいと思うなんて。 こんな気持ちは初めてだった。 優しい気持ちに包まれて、僕は…また気を失った。 気を失う寸前、「おい、またかよ!」と悲痛な叫び声が聞こえたような気がした。
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