side:α

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「嘘だ…まさか、君は」 「ああそうだよ。俺がお前の運命だ。嬉しいか?」 僕はくらくらする頭を抑えながらその場にしゃがみこみ、両眼を覆おうとした。しかし、力強い手が僕の身体を引き上げる。 「出会ったからには、逃げられると思うなよ?」 じっと瞳を覗き込まれた。不意をつかれたその瞬間、雷に打たれたかのように、背筋をビリビリと衝撃が駆け抜け、目の前が赤くなっていく。 「まさか…君、ヒート…」 「運命を楽しもうぜ、俺のアルファ様?」 自分がアルファであるという診断書を受け取ったあの日から、平凡だった僕、鼠田(ねずみだ)颯斗(はやと)の人生は変わってしまった。 アルファはこの広い世界でも数少ない稀有な存在で、カリスマ性、容姿、リーダシップ、身体能力全てにおいて優れていると言われている。エリート、お金持ちであることは当然で、世界の富裕層のおよそ95%はアルファ性であるとまで言われている。神に選ばれたと言っても過言ではないほど、恵まれた人間なのだ。 しかし、僕はそんな世の定説とは逆行するかのように、平凡な家庭に育ち、平均的な身長・容姿・成績でこれまでモテ期を経験したこともない。いじめられたことはないものの、学生時代は友人も少なく、一人で昼食を食べることもざらだった。自分がベータであることを疑ったこともなかった。自他共に認める地味な性格で、なるべく目立たないように、普通に生活することをモットーとし、このままそんな生活を続けて行って、ちゃんと働いて、いつか然るべき時に素敵なベータの女性と結婚できたらしたいな、とぼんやり考えていた。 しかし、高校入学直後、新入生に課される性別判断を受けた際、なぜか再検査に引っかかってしまったのだ。 親もベータだし、親族にはアルファもオメガもいない。 機械が故障したとか、何かの間違いだろうと両親にも言われ、軽い気持ちで受けた再検査。 数週間後に再検査の結果が届き、両親と一緒に開封した。 結果には、僕の性別がアルファであると太字で書かれていた。 両親も僕も信じられなかったが、否定しようにも、様々な数値によって科学的に証明されていることがはっきりと記されており、ぐうの音も出ない。 その日の家族会議は実に5時間にも及んだ。そして決まったのは、 ・これからもできる限りベータのふりをして生きていくこと。 ・もしも運命の番であるオメガに出会ってしまったら、気づかないふりをして逃げ、決して接触しないこと。 これまで通り普通の生活を続けていくことを、僕も、両親も望んでいたからだ。もしアルファであることが同級生にばれたら、アルファ性を狙ってたくさんの人が自分に寄ってくるのは明らかだった。アルファのくせに平凡だ、と罵られるかもと思うと息が止まりそうだった。 「心配するな。学校には、再検査の結果お前はベータだったって報告しておくから」 「あなたがアルファだってことは、家族3人の秘密にするからね。誰にも言わないからね」 優しい両親に励まされ、僕は涙をこらえて頷いた。そして、これからもきっと普通の生活を続けていけると信じていた。 …しかし、そうは問屋が卸さない。 それまで平凡だった背丈が急に伸び始めた。顔のパーツは変わっていないはずなのに、なぜか街中でスカウトされるようになり、女子生徒の告白もどんどん多くなってきた。学校の授業が、これまでより格段に簡単になったように感じ、成績が急上昇し始めた。 明らかに周囲の僕を見る目が変わり始めていた。 慌てて両親と一緒に医者に駆け込むと、医者は笑顔で言った。 「アルファ性の目覚めですね!颯斗くんは発現が平均よりも遅かったようですが、心配はいりませんよ。これからの颯斗くんの将来がほんとうに楽しみだ!羨ましいことだ…あれ?どうしたのかな?」 僕はさめざめと泣いていた。普通の人生が壊れていくことが、ただただ怖かった。 「私共は、息子がずっとベータ性であると考えてここまで育ててきました。今でも彼がアルファだなんて信じられませんし、これからもできるだけ普通の人生を送らせてあげたいんです。先生、なんとかなりませんか?この子をベータに戻す方法はないですか?」 「ふーむ…名家のご子息が、ベータ性をアルファ性に変えたいと相談に来ることはあるんですが、逆は初めてです。僕もできることなら自分の息子をアルファに変えてあげたいほどなんですが、今のところ性別を変える方法はないのが実情です。ただ性別の発現を抑制する薬はあるにはあります。しかし、重大な副作用がありまして…」 「なんでしょうか?」 「非常に残念なことですが、運命の番の放つフェロモンに気づきづらくなるのです。運命の番の香りは、この世にあるどんな香りよりも素晴らしいとされているのに、それを嗅ぐことも出来ず、見わけもつかないとは、アルファであることを無駄にしているようなもので…」 もう涙は引っ込んだ。 運命の番に気づかなければ、僕は順当にベータの女性と結婚できる。 僕はなおも話し続ける医者の手を握り、満面の笑みでいなずいた。 「ぜひその薬を服用させてください!お願いします!もうそれしかないんです!」 「でも…」 「お願いします!」 僕が医者の目をまっすぐに見つめてそう言うと、医者は慌てて僕から目をそらし、苦しそうにゴホゴホと咳をした。後ろにいた両親も咳をしている。 「あれ?どうしたの?父さんも母さんも…」 「うっ。お前、少しその力を緩めてくれないか?」 「え?力?何のこと?」 「どうやら、アルファ特有のフェロモンが出ているようです。16歳でこれとは…あなたはやはり、人の上に立つべきお方だ。今からでも遅くないんですよ、抑制剤なんて使わずに自分の運命をお受け入れになっては…」 僕は怖くなった。すこし医者を見つめただけで、フェロモンを出して周囲の人を苦しめてしまうなんて。 「いやです、僕は絶対運命なんかに屈しません…普通に生きていきたいんだ」 僕はフェロモンを出さないように、両眼を掌で覆いながら叫んだ。 医者はため息をつきながら処方箋を出してくれた。 その後は前髪を長くして眼鏡をかけマスクをする、テストではわざと手を抜き成績を落とすなど、自身をなるべく隠すように涙ぐましい努力を重ねた。薬の効果もあってか、僕はもとの普段通りの生活に近い日々を取り戻していった。しかし、身長はどんどん伸び、ついに185㎝に到達した。学年一の高身長ともなればどんな猫背でも隠しきれず、運動部からスカウトされるようになってしまった。目立ちたくないのでもちろん断ったけれど、しつこい勧誘は止まらず、断り続けていると、ついにいじめが始まった。 とにかく悔しかった。これもすべてアルファになったせいだ。何度も泣いた。いじめてきた学生はみんな成績が悪かったので、僕は成績で黙らせてやろうと考え、手を抜くのをやめた。結果、全国模試で1位になった。周囲が僕のあまりの成績急上昇に驚き、カンニング疑いをかけてきたため、僕はやむなくその後も手抜きせずに勉強を続けるはめになった。やがて神童とまで言われ、学校中で称賛の的になり、いじめはなくなった。もう後戻りはできず、僕はそのまま国内最高峰の大学でも最難関の医学部に入学した。 今思えば、油断していたのだと思う。薬を飲んでさえいれば、そして、手を抜いていれば、自分がアルファだなんて誰も思わないと、過信していたのだ。 運命はいつでも僕たちに執着する。 いくら逃げても逃げても、追いかけてくるものなのだ…
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