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67 略奪編 対決1
「怪我したくなかったらここに近づくなよ!」
ジルがそうがなり立てながらテンの椅子に乗っている足に手をかけ、引きずり落とそうとしていた男を引き剥がし長い脚で蹴り飛ばすと隣のベンチに飛び乗った。
「ヴィオ! 大丈夫か?」
ヴィオは乱れた髪の間から赤い顔をなんとか上げて瞳を潤ませながら力なくこくこくと頷いた。しかし今度はジルのほうがその香りの強さに身体の奥に火がつけられたように熱くなり、くらくらと身体が傾ぎそうになった。
(抑制剤飲んでてこれか。フェロモンの分泌が多いタイプなのか、もはや発情期に入りかかっているのか)
ジルは上着の袖で口元を覆いながら、それでも胸ポケットをボタンを外してセラフィンと一本ずつ携帯しておいた小瓶を取り出だすと、手早くキャップを開けて急いて蓋を放り投げた。
「ヴィオ、抑制剤だ。早くこれを飲むんだ。……お前首に怪我してるな」
ヴィオは力なく悲しそうに頷いたのでこれはきっとカイがらみでついたものなのだろう。爪でひっかかれたような擦過傷には血が滲んだ跡がある。首を噛まれそうになって抵抗したのか。何かを巻き付けられたのか……。
セラフィンから預かった抑制剤は頭痛や吐き気など副作用が強く出るかもしれぬほどきつい薬だと道中説明を受けた。遠縁には自分のせいでヴィオが傷を負い、これを飲む羽目になってしまったとジルも流石に罪悪感から胸が痛む。
「ヴィオ、ごめんな……」
小さく詫びを入れながらガラスの飲み口を雛に与えるように口元に持っていくと、ヴィオはやや苦そうな顔をしながら素直にそれを飲み干す。
それを見計らうとジルは転々と連なるベンチに飛び移り、窓を大きく開け放つ。玄関ホールに涼しい夜風が髪を揺らすほど強く吹き込んできてジル自身がまとった熱気を冷ましていくようだ。
すっかり日は落ち、建物の外には転々と鈍い光の街灯がともっている。外には人けがないため跳び出してもここよりはずっとよさそうだ。ジルは再びヴィオの隣のベンチまで戻ってくると、テンからヴィオを預かろうと思ったがアルファであるジルが抱き上げるのは万が一に備えて危険と考える。
「君、ベータだよな? そのままヴィオを抱いてこの窓から外にでてくれ」
「わかりました!」
今までこんなに至近距離でヴィオを抱いていたのにけろっとしている青年。これは使えると判断し呼び寄せる。テンはジルの当て身を受け足元で呻く友人たちに心の中で詫びながらちらっとカイを振り返ると、こちらに向かってくる彼がセラフィンに回り込まれてもみあいが始まっているのが見えた。
「おい! 早くしろ」
二人の様子を見届けられないのは後ろ髪をひかれたが、腕の中にいる少年が荒い息を繰り返しはじめたので、テンは優れた跳躍で難なくベンチを飛び越えていくと窓枠を蹴り上げて表へ飛び出していった。
「ヴィオ!」
ヴィオを追って駆け出そうとしたカイの戦うために鍛え上げられた巨躯の前にセラフィンは再び大きく手を広げると臆せず立ちふさがった。
「そこをどけ。これは俺とヴィオ、家族の問題だ。他人のあんたに指図はされない」
もはや顔見知りで目上の、しかも軍では上官に当たる者への不敬に溢れた威圧的なふてぶてしいまでの態度だった。セラフィンも負けじと彼を睨みつけたまま絶対に退かない意志を見せつけむしろ一歩前に進み出た。
カイの瞳は地色の緑の他に半分ほど金色の光を帯びている。顔を寄せギラギラした肉食獣の野蛮さでセラフィンを上から見下ろしてくる。
野性の大型獣に襲われたらこんな気分なのだろうか。しかしセラフィンの心に恐れは浮かばなかった。なぜならこの15年、もはや癖のように。常にどう倒せばよいのか考え続けた相手に彼は酷似していたからだ。
(これが、何度も想像した『フェル族』の戦士の目か。戦場でこれを間近で見たものは生きて帰れないという伝説を生んだ)
ラグ・ドリ。カイの実の叔父である彼は先の戦争の英雄にして敵国には魔物の化身のように恐れられたという怪物。この15年、セラフィンの仮想敵はいつも彼だった。それはこの大陸最強の敵と言っていいだろう。
セラフィンは自分の中の炎が大きく風に煽られ燃え上がるような心地になった。じわじわと出していたアルファの威圧フェロモンを我が身から逆巻く炎が噴き出しているようにまとわせる。カイはその威圧をもろに受け、金色の瞳の翳りを強めた。
(今じゃないのか? 今この時のために俺は……)
一瞬の間にセラフィンの脳裏に今までの人生での一つ一つの出来事や心の変化、悔しさや楽しかったことなど様々な想いが交錯し流れていった。
しかし不思議と意識は冴えわたりカイの筋肉の動き、重心の傾け方、どう打って出てくるかと動きに注視することもできている。
(カイを足止めするためには手段は選ばない)
真剣に相手を倒さないと思わなければ、自分の方が怪我では済まない。人間相手と思わず、狼や熊を素手で相手にするような無謀さだと考えつつ。セラフィンは自分に向けて手を差し伸べていたヴィオを思い出すと、負ける気はしなかった。
「お医者様? 俺を邪魔するのなら、あんたでも容赦しない。 大怪我してもいいんだな?」
セラフィンの喉元に食らいつく準備ができたカイはセラフィンをかみ殺さんばかりの目つきで睥睨するが、逆にセラフィンが相手の頬に挑戦状をたたきつける勢いで凄み、鬨の声を上げた。
「通りたかったら腕ずくで通れ! 俺は絶対にどかない。君にヴィオは渡さない」
戦いの火ぶたが切って落とされ、掴みかかってくる男の大きな手の平と長い腕から、セラフィンは素早く一度大きくしゃがみ逃れると、足払いを食らわせてカイのバランスを崩させる。テグニ国の柔術とベラに叩き込まれた立ち技の動きが身体に染みついているが、立ち技の打ち合いではリーチの長さと体重差による拳の重さでカイに叶わぬと判断し、得意の寝技に持ち込むことにしたのだ。首を締め上げて一旦落とすまで絶対に許さずに気を抜かないつもりだ。
しかし座り込むと思ったカイは腕をつきながらも身体の大きさにそぐわぬ機敏な動きですぐに起き上がろうとする。その顔目掛けてセラフィンは容赦ない角度で斜め下から重力を感じさせぬほど跳躍し、身をよじって飛び膝蹴りを叩きこむ。頭から脳天を揺さぶられたカイは流石に仰向けに吹っ飛んでいった。
するとまだ出て行って幾ばくもしていないというのに、玄関の方からもみ合う声が聞こえてきたのだ。
「先生! カイ兄さん!!」
抑制剤が効いてきたヴィオが無茶苦茶に揺さぶられるほどの目眩と痛む頭を抱え、胃の腑のムカつきを押しながら、二人を心配して再びロビーに駆け込んできたのだ。
ジルとヴィオを挟んでテンも、それぞれがその腕とその肩とを支えるように立っている。
「ヴィオ駄目だ。早くここから二人と一緒に離れてくれ」
セラフィンはヴィオの声に気を取られて玄関を振り返り、乱れた長い髪に塞がれた視界を取り戻そうと髪をかきあげた、その時。
「先生!」
「セラフィン!」
あの一撃を浴びてもなお、立ちあがってきたカイが、膝が当たり割れた額から血を滴らせながらセラフィンに後ろから組み付いてきたのだ。
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