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62 略奪編 熱情の虜
「運命の番?」
あどけない程透明感のある声で聴き返すヴィオに、カイは再び目線を絡め唇を合わせようとした。しかしヴィオはふいっと顔を背けて長い睫毛を伏せながら掌でカイの口をあえかにふさぎそれを拒んだ。
分かりやすい拒絶にカイは僅かに丹精な顔をこわばらせたまま、大きな手でヴィオの手を包むように握りこむと、瑞々しい掌に愛を乞うように口づける。
ヴィオが怯んでこちらを見つめてくると、カイは懸命に自分の番と思い定めている青年の髪を掻き分けて、包帯を緩めるようにして長く太い指先で項をなぞった。オメガは急所であるそこをなぞられるとぞくぞくとした刺激が辛いほどでヴィオはぎゅっと瞳を瞑って顎を上げ、苦しげだが艶めく表情を見せつける。
支配欲をもそそられるその色香溢れる貌にカイはごくりと唾を飲みこむと、胸の奥にせり上がる『このオメガの全てを奪いたい』という欲求が再び満ち溢れるのを感じた。
「運命の番は互いのフェロモンの誘発に逆らえない。まだ開花する前の幼いお前からでも俺にはお前のフェロモンが香った。お前は俺のために生まれてきてくれたオメガだと思えたんだ。小さなころからお前が可愛くて仕方なくて、一番大切だったが、今はもっと狂おしいほどにお前が愛しい。お前を手に入れたくてたまらないんだ。前にも言ったよな? お前がいるから俺は里から出ても頑張ってこられたんだ。お前が俺の生きる理由だ」
「でも……。でも僕は」
伝えたい気持ちをヴィオが言葉にしようとしているのに、カイはまるで聞く耳を持たない。強引に自分の気持ちだけを伝えようとするから、ますますヴィオの心は冷え閉ざしてしまう。一方的な熱い告白はまだまだ続き、カイのフェロモンはヴィオを絡めとろうかというほどにさらに強くなる。心とは裏腹に、その香りに訳が分からなくなるほど心惹かれる自分が恐ろしくて、ヴィオを正気を保つように半ばカイに拘束された身体の中で自由な唇を強く噛みしめた。
カイは腕の力だけで軽々とヴィオを抱え上げて寝台の上に胡坐をかくと、子どもの頃のように向かい合わせに膝に抱きあげる。カイの厚みのある身体をぎりぎりで跨ぎ、膝立ちになりのけぞって逃げようとしたヴィオの背を押しとどめ、宥めるようにさすりながら、腕の中に強引に抱きしめてきた。欲で掠れ色気のある声色でなおも耳元で囁く。
「なあ、ヴィオ。このままここで番になって、一緒に里に戻ろう。伯父さんに話をしてヴィオがこっちで俺と暮らしながら学校に通って勉強ができるようにしてやるから。俺に任せてくれれば大丈夫だから」
『番』の単語が飛び出してヴィオはぎょっとする。まさかカイがそこまでの強硬手段に打って出ると思わなかったのだ。今さらながらここで無理やり番にされるかもしれない可能性が急激に膨らんだことに恐れ慄いた。
(番になったら……。もう絶対にセラフィン先生の傍にはいられない。カイ兄さんに縛り付けられて、僕の心にはもう何の自由もなくなるんだ)
「勝手に決めないで! 番になんてならない!」
顔が胸の中に押し付けられるように抱えられた状態で、ヴィオはもがいてカイの胸板を左拳でどんどんと叩くが、悔しいことに相性抜群のカイの甘美なフェロモンの香りを嗅ぐと、まるで魔物にでも魅入られたかのように四肢に力が入らないのだ。
上目遣いにカイを見上げるヴィオは、睨みつけたいほどの怒りを抱えた心とは乖離した蕩けた年若いオメガらしい優艶な表情をみせている。その潤んだ菫色の瞳の艶めかしさに見惚れ、カイもここに来てから初めて男らしい口元に笑みを這わした。
「綺麗だな、ヴィオ。お前は嫌がるけど、俺はいつだってお前のことを、可愛い、綺麗だって褒めたくてたまらなかった。なあ……。お前にも、俺のフェロモンが分かるだろ? 俺は感じるよ。お前のフェロモン。甘くて、清純なのに、官能的で。お前を頭から全て食べつくしてやりたくなるほど、俺を煽ってくる」
ヴィオは再び口を開いてなんとかカイに反論しようとするが、ヴィオの抵抗を嘲るようにやわやわと悪戯するかのように口を塞がれたのち、再び濃厚に合わせ唇を奪われる。くちゅりと水音が立つほどに口内を貪られ、嫌がって押しのける手首は児戯のように軽々とカイの片手で抑え込まれて抵抗を軽々と封じ込まれた。息をつく間もなく、頭がぼうっとしてくるほどに、激しい接吻からはカイの思いが込められているかのようだが、セラフィンとの口づけに感じた胸躍る悦びに及ぶはずもない。
(どうやったら、わかってくれるの? セラフィンせんせい、助けて)
ヴィオ突然言葉が通じなくなったかのようなもどかしい気持ちと焦燥感、そしてこみ上げてくる怒りに我を忘れそうになった。
しかしヴィオの身体の扱いを知り尽くしたかのようなカイがヴィオの柔らかな尻から細い腰、滑かな背中に至るまで優しく撫ぜる手つきは悔しいがツボを得て心地よく、奥まで深く侵略し勇ましいほどに攻めつくされる口づけは全身に甘い痺れをもたらした。哀しいことにカイの香りには嫌いなところがまるでない。それはまるで里の森の奥のような安らぎと爽やかさを感じるもので、カイの胸を打つ手からはどんどん力が失せていくが、それでもヴィオはあきらめなかった。
(兄さんに頭に来てるのに、気持ちよくて、わけわかんなくなる。でも嫌だ。今度こそ自分の気持ちをきちんと伝えないと)
「んっ、ああ。カイ兄さん、聞いて」
キスの合間に色っぽい声で喘ぐが、カイはまるで意に介さない。それが逆にヴィオの中の『フェル族の男』たる気持ちに火をつけた。瞬時に燃え上がる熱い気持ちに呼応して刹那、金色の環が目の中に広がった。
「やめてカイ兄さん!」
ぱしん、と兄の精悍な褐色の頬を掌で張り付けると、カイは緑色の美しい瞳を見開いてやっと動きを止めたのだ。
「……姉弟そろって、行動の型が同じだな」
このまま前戯にも連れ込みそうになるほどの滾る気持ちに冷や水をかけられたカイは忌々し気に言い捨てるが、ヴィオは同じく欲に金色の環を広げた兄に対峙するように見据えて唸った。
「僕が番になりたい人は、兄さんじゃないんだ!」
一瞬の沈黙に互いの視線が火花が散るように交錯する。
「言いたいことはそれだけか?」
顎を僅かに上げ、形が良く大きな瞳を細めて言い放ったカイの顔は表情が抜け落ちたかのように冷たく、しかし目だけはギラギラと金色に煌めく。
「え……」
(僕の気持ちなんてまるで無視なの? 聞く耳持たないっていうの?)
昏い眼差しでヴィオを見つめてくるアルファの男。
そこにはいつもヴィオを見守ってくれた温かく優しい保護者代わりの従兄はいない。まるで初めて出会ったような見知らぬ男のそれに見え、ヴィオは背筋が凍る思いがした。
「俺のフェロモンを感じて蕩けた顔してただろ? ここも」
「あうっ」
再び寝台にヴィオを組み敷きなおし、身体の上に体重をかけないように乗り上げていたカイがヴィオの足の間に膝を無理やり入れてぐりっと摺り上げる。恥ずかしさに頬に朱が刷け、涙目で睨めつけてくる様にカイは口の端を歪めるようにして嗤うと指先でダボっとしたシルエットのズボンをまさぐった。
「や、やめて!」
「固くなってきてた」
「やめて」
「やめて、なんて、可愛い抵抗だな? ヴィオ。やめない」
いいしなヴィオの耳朶を舐め、熱い息を吹きかけながら柔らかな耳に噛みついてくる。
ぞわぞわと痛みが同時に襲い、あまりに意地の悪いカイの仕打ちに、これ以上はけして泣くまいと思っていたのに涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「知ってたか? フェル族は同族の相手に最も強く発情するようにできてるんだ。他の男が好きでも、結局は俺を拒めない」
だぼっとしたズボンの中に大きな手を入れられた。哀しくも半起ちに近い状態になったヴィオの陰茎をカイは遠慮なく握りしめてくる。力を籠められたら潰されてしまうような恐怖に苛まれ、ヴィオは恐れと焦りからまた大粒の涙を零した。
「触らないで! やめて、やめろ!」
「喚くな。滾る。乱暴に犯したくなる」
カイはヴィオの肩のあたりについて身を起こすと、寝台に寝転んだままのヴィオを脅すように目を合わせた。昏い声で端正な顔に赤い夕焼けの放つ暗い影を落とし、顔は支配者のようにそう命じた。ヴィオはなんとかいつもの優しい兄に戻って欲しくて訴えかけるように、また涙声で抵抗を試みた。
「いやだ。僕は兄さんと番にはならない。兄さんが好きなのはオメガの僕でしょう? 僕がベータだったり、アルファだったらこんなことしたの? しなかったはずだ。僕がオメガだったから婚約して、番になろうとした。姉さんがオメガだったら姉さんと結婚したはずなんだから」
「違う……。俺はお前のことを愛しているから。番になりたい。それにオメガはお前だろう? そんな仮定の話は無意味だ」
「僕は、ベータの僕だったとしても、好きな人を変えたりしないよ。兄さんが押し付けてくるのは愛じゃない。オメガの僕を屈服させたい。そんなのただの支配欲だろう?」
身体の大きな軍人同士であっても、カイが威圧的な態度を取った時には怖気づきすぐ怯むが、ヴィオは夕陽に神がかかるほどに清く力強い瞳でまっすぐに兄の目を睨み返して告げた。
「僕が愛しているのはただ一人。セラフィン先生だけだ」
ついにヴィオが白状した愛しい男の名前を聞いたカイは身の内の巣食う嫉妬の炎に苛まれ、今すぐにヴィオを滅茶苦茶にしてしまいたい衝動に駆られたが、今自分の手の中にヴィオがいるのだからと平静さを装うように自分自身に言い聞かせ、耐えた。
(だからなんだっていうんだ? 金輪際あの男と二度会わせなければよいだけのことだ。ヴィオは今夜、俺の番になるのだから)
しかし逃しきれぬ激情から、激しい台詞を口走る。
「これから先、他の男がお前に触れたら、その男を殺してやる」
「させないよ。僕の男は、僕が選ぶ」
勝ち気にそう言い切ったヴィオだが、大好きだったカイの瞳に浮かぶ狂気に心の内には色々な感情がこみ上げてきて憐憫と哀しみに打ちひしがれた。
(僕がオメガだったから、優しいカイ兄さんがこんなに怖い人になってしまった。オメガじゃなかったら、こんなことにならなかったのに。神様はどうして僕をオメガに生まれさせたの?)
「それでもお前は、俺の番だ」
カイはどこか苦し気にそういうと、大きな掌でヴィオの顔を両側からつつみ、親指を含ませながら口を大きく開かせたカイは狼のように大きく口を開いて全てを喰らうように口を合わせる。じゅるっと音がなるほど滑らかで柔いヴィオの舌を絡め吸い上げた。指の間から伝って落ちるヴィオの涎を首筋から音を立てて舐め上げる。まるで先祖の獣人にでもなったかのような野性的な動きに恐ろしくもヴィオの身体は熱く火照り鼓動が益々高まった。
「抑制剤もじきに切れるだろう。そのまま俺が一晩掛けてお前の発情を誘発してやる。ヴィオ、たまらない、良い香りだ。どんどん強くなる」
すんっと首元の匂いを嗅がれ、もやは乱暴に包帯を解かれ、項に舌を這わされる。淫靡に動くそのぬめったその動きは味見をされているようで……。いつでもヴィオを受け止め愛してくれたカイがまるでカイではない別の獣に乗り移られたように思えて、アルファ性の凶暴な一面にヴィオは急所を握りこまれたまま身を竦ませた。
「ひっ」
「ヴィオ? いいぜ。俺と勝負しようじゃないか。淫蕩なオメガが同族のアルファに誘発されても他の男の番になりたいなんて、果たして明日の朝になっても同じことがいえるのか? 俺の番になりたいって、もっと俺が欲しいってすぐに強請らせてやる」
野性的で強い獣の雄っぽい顔つきで瞳を金色にぎらつかせたカイは、どうあっても話を聞いてはくれないのだとヴィオは絶望した。
(カイ兄さんは、僕の気持ちなんてどうだっていいんだ。僕が番になりさえすれば、僕の全てが手に入るって思ってる。嫌だ。僕は絶対に屈しない。こんなわからずやの番になんてならない)
頭によぎるのはヴィオのフェロモンに導かれながらも一線は越えずに慰めてくれたセラフィンの暖かな思いやりと愛情だった。アルファの身でありながらセラフィンは性的に幼いヴィオを奪わず、誘発どころか抑制してこの欲を封じてくれた。
(先生に会いたい。自分から屋敷を出てきたのに、本当にごめんなさい。素直に言えばよかったんだ。先生の番になりたい。何もできないただの僕でも傍に置いて欲しいって。僕は……本当に愚かだ)
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