63 略奪編 ジルの策略2

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63 略奪編 ジルの策略2

「はは……。本当に、効いたのか」 自分でしておいてその言い草はないが、ベラの教えは正しかったということになる。 暗示が掛かったセラフィンの身体は自らを支えることができずにずるずるとソファーの上から床へずり落ちていった。 ジルは一度ソファーから降り彼を抱きとめると宝物のように大切に彼を抱えたままゆっくりと立ち上がった。 身長も背格好もそう変わらぬ男の身体を担ぎ上げるのはそう軽々とはいかない。ぐったりと力の抜けたセラフィンの腕を肩に担ぐと脇に手を入れて、寝室まで引きずるように運んでいく。 幾分日当たりのいい寝室にはカーテンがゆらゆらとした影を落としながらはためき、涼しい午後の風が壁に貼ったポスターを揺らしかさかさと鳴らす。 街の喧騒すら遠く聞こえ、時の流れから自分たちだけが取り残されたかのような静かな空間。青いシーツが波打ちくしゃくしゃの生活感あふれる寝台の上、セラフィンは目を瞑り、さながら安らかに眠っているかのようにも見えた。少年の日にジルが焦がれた絶世の美貌と謳われた双子の兄と違わぬ、白い顔が揺らめく光に照らされる。 既視感のある光景だ。初めてセラフィンの家に泊まったあの夜。寝台の上でしどけなく眠ったふりをしていた悪戯なこの男は、あの頃はまだ誰のものでもなかったのだろうか。 あの夜、若さと勢いで行き着くところまで向かえば良かったのだと何度後悔したのかわからない。タイミングを逃し、ずっと友人の域から抜け出せずにいた。 あまりに静かで清らかにすら見える瞑目した美しい姿を今だけは自分の物のように眺め、ジルも冷静な頭に立ち返る。 「セラ?」 あのまま呼吸すら止まってしまったのかと思い、ジルは慌ててセラフィンの口元に顔を寄せると、吐息が薄くはかれていて安堵する。 寝台から投げ出されていた腕を持ち上げ、完全に力の抜けたその指の長い手を持ち上げて手の甲に口づける。同じ性別の、しかもアルファであるのになぜこんなにも彼に心惹かれてしまうのだろうか。 先ほどまでの激情を洗い流された静けさの中、自分も寝台に腰を掛けると思わぬほど無防備なその顔を見降ろした。 流石に30を過ぎた男の顔をあどけないとまでは思わないが、こうして長い前髪もめくれ額を全開にして微睡むような表情を浮かべているとぐっと若く見えた。 長く黒いまつげに縁どられたジルが恋する海の青を宿した瞳は今は見ることはできないが、形の良い唇、すんなりと通った鼻筋、滑かな頬など余すところなく観察してジルは泣き笑いのような複雑な顔をした。 「やっぱり綺麗だな、先生」 もっとずっと若い頃から。憧れ続けた美貌が手の届く位置にある。 指先で薄く形の良い唇をするっとなぞる。勿論同じ男のものだからフワフワとまではいかないが柔らかいそれに指を含ませながら試しに命じてみた。 「セラ? 口を開けて」 欲を帯びた低い声色でなぶる様に告げた。禁欲的で高潔な唇が僅かに開かれ、ジルは背徳感にぞくぞくしながら再び命じる。 「ねえ、セラ。舌出して」 強請るようなジルの甘い声に反応し、素直にゆるゆると赤い舌が差し出され、ジルは頭の中に何かが爆ぜたような興奮を覚える。 はだけたシャツを脱ぎ去り筋肉質で鍛え上げられた身体を日差しの中に晒すと寝台に手を付きセラフィンに覆いかぶさった。 「んっ、ふっ」 キスまでは幾度となく交わしたことがある。差し出された舌を舐め上げぬるぬると絡めあう。しかし意識がある時の方がよほど官能的だった口づけが、今は僅かに喉元で声を上げるだけで反応はない。ジルは一度顔を離すと澄ましているようなセラフィンの顔つきの変化を確認した。 (なんだよそれ、どうにでもしてくれって感じだな) そうなってくるとへそ曲がりなジルは逆にやる気を失い。セラフィンの頬に軽快な音を立てて口づけると、隣に寝転んで天井を見上げた。 沈黙が流れ、遠くで車の走行音が聞こえてくる。どこかの階の住人が扉を開けたような音。生活音が潮騒のように遠くに聞こえてジルは瞳を閉じた。 「なんだ、もう終わりか」 「もういいかげん、あんたの寝たふりには騙されないよ。暗示、かかってなかったんだな」 腕を枕にしてごろりとセラフィンの方に向くと、長い睫毛が開かれ炯炯と光を湛えた蒼い目がいつも通りの静けさでジルを見つめ返してきた。 「かかってたさ。王子様のキスで目が醒めただけだ」 「王子様、な」 ジルはふうっと大きくため息をついて再び天井の方に向きなおって仰向けになった。その像は不意に歪み、ジルは無意識の涙がこみあげてきているのを知ると両手で顔を覆った。 「ジル? 大丈夫か?」 「優しい声出すな。つけいるぞ」 セラフィンも吐息くと身体の力を抜き、同じように天井を見上げた。 窓からの光が紋を描き、それを見るとはなしに眺めると傍らのジルに穏やかな声で話しかけた。 「付け入っても良かったんだぞ。別に、お前になら……。身体ぐらいならくれてやるさ」 「そういうとこだぞ、あんたの。そういうとこ」 起き上がって情けない涙声でそういうと、セラフィンも一度寝台の上で起き上がり流れてきた前髪を後ろにかきあげる。 『欲しいのは身体だけじゃない。心ごと全てだ』 そういいたかったけれど、本当は違う。心は通じ合えたと感じていた時期があったから、欲が出て全てが欲しくなった。ただそれだけだったのだ。 年下の友人の本音と自分を想う暖かな気持ちに触れて、セラフィンもたまらない心地になってあえてまた寝転がると、彼の方を見ずに天井に向けて呟いた。
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