星を読む人

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星を読む人

 子供の頃からキャラバンに入って旅をするのが夢だった。  僕の街に時折訪れる色々なキャラバン。市場に行って彼らの話を聞くのはとても楽しいもので、街の外には色々な珍しいものがあったり、見たこともないようなものがたくさんあるのだと思っていた。  いつか僕もキャラバンに入って色々なところを巡るのだと、小さな頃はそう信じて疑っていなかった。  もちろん、小さな頃はお父さんもお母さんも本気にはしていなかったし、ある程度大きくなってからは反対したりもした。  でも僕は夢を諦められなかった。  きっと根負けしたのだろう。僕が十二歳くらいの頃、お父さんが僕を連れて街に来ていたあるキャラバンと交渉してくれた。僕のことをキャラバンに入れてくれないかと。  その時交渉をしていたキャラバンのリーダーらしき人は、大きくて厳めしい顔をしていて、けれどもこわいという印象はなく、ただ頼もしい大人の男に見えた。  その人は僕のことをじっと見て、悩む素振りを見せてから僕達にこう言った。 「元締めと相談してみよう。 それで、入れても良いとなったら、その子が十六歳になった頃に迎えに来よう」  とてもうれしかった。僕はこれでキャラバンの一員になれるのだ。  お父さんと一緒にお礼を言って、その時はその人と別れた。  それからの数年間は、キャラバンに入るために色々な勉強をした。商売の基本だとか、旅をしている途中で賊にあった場合、身を守れるように棒を使った護身術の訓練もした。  キャラバンに入れて貰う約束をしたあの日からお父さんは僕に厳しくするようになったけれども、それは納得できない厳しさではなかった。  しっかりと身を立てることができるようになるための勉強と、身を守るための護身術。そのふたつを厳しく教えてくれるお父さんは信頼できたし、お父さんのことがもっと好きになった。  僕が十六歳になった年、あのキャラバンは僕の街にやってこなかった。  ああ、僕はキャラバンに入ることを許されなかったんだ。そう思って、涙が止まらなくなった。お父さんは、キャラバンはとても長い旅をしているから今年たまたま来なかっただけかもしれないと言って慰めてくれた。  やけくそになりかけたけれども、それでもあのキャラバンはいつかこの街にも来るだろう。その時に、僕がなぜキャラバンに入ることが許されなかったかの理由を訊けばいい。そう自分に言い聞かせて、でも万が一キャラバンが来るのが遅れているだけという可能性も考えて、また僕は商売の勉強と護身術の訓練を続けた。  そして僕が十七歳になった年、あの時僕をキャラバンに入れてくれないかとお父さんが交渉したあの人、やはりキャラバンのリーダーだったあの人が、僕の家までやってきて、こう言った。 「遅れてしまってすまないね。迎えに来た」  その言葉に、僕は思わず泣いてしまった。十六歳の時に迎えが来なかったのは、本当に遅れていただけだったのだ。僕はキャラバンに加わって旅をする事ができるのだ。  涙を拭ってキャラバンのリーダーに大きな声で挨拶をする。 「これからよろしくお願いします!」  キャラバンに入るにあたり、僕は自分が持っていきたい荷物をまとめ、キャラバンの仲間達が宿泊しているキャラバン・サライという施設で寝泊まりをすることになった。  この街を出るまでは家にいるものだと思っていたけれども、街を出る前に教えなくてはいけないことがあるとリーダーは言った。  キャラバン・サライへと向かう道中、リーダーは、浮かれ気味の僕にこう言った。 「おまえはこれで夢が叶ったと思ってるかもしれないが、これから先は厳しい生活が待っている。 これから先は夢の先の生活だ。わかったな」  そう、キャラバンに入ることが最終目的ではないのだ。僕はキャラバンに入ってなにをしたかったか、改めて思い出す。  色々な街を巡って、いろいろなものを見て、そして、そして、それを僕はどうしたいのだろう。そこまでは今の僕にはわからない。けれども、旅をはじめて続けていけば、いつかその先の目的も見つかるのではないかと思った。  リーダーの言葉に僕は覚悟を決めるように、はい。と返す。リーダーは僕の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。  キャラバン・サライに入り、案内された部屋では、今日の仕事を終えた、これから仲間になる人達が四人ほど待っていた。  リーダーが彼らに声を掛ける。 「前から言っていた、キャラバンの新入りだ」  背中を押されてリーダーの前に出たので、僕は緊張しながら名乗る。 「はじめまして、これからお世話になるルスタムです。 よろしくお願いします!」  それから、深々と頭を下げると、濃紺の髪を編んで結い上げた細身の男性が、にっこりと笑って僕に返す。 「俺はヴァンダク。よろしくね。 これから一緒に旅をするんだよね? 楽しみだなぁ」  すんなりと僕を受け入れてくれたヴァンダクの言葉に他の仲間達も続いて、声を掛けてきてくれる。  リーダーとここに来るまでの間、僕のことを受け入れてくれない人がいるんじゃないかと心配していたけれども、その心配は杞憂だった。みな僕のことを受け入れてくれて、新しい仲間だといってくれる。  これから家族と会えることが少なくなるのは寂しいけれども、この仲間達となら、その寂しさも越えられるような気がした。  キャラバンの仲間入りをした翌日、みな商売のための市場へ行かないで、僕をキャラバン・サライの敷地内にある庭へと連れ出した。大きな荷物を持たされて、他のみなも荷物を持っていて、なにをするのだろうと思った。  ある程度広さのある庭に出ると、リーダーが言う。 「さて、新入りが来たことだし、街を出る前にユルタを立てる練習をするぞ」  ユルタというのは、話には聞いたことがある。キャラバンや遊牧の民が旅の最中、空の下で過ごすための家のようなものだ。それは知っているけれども、実物を見るのははじめてだった。  まずは支柱となる大きな木の棒を地面に立て、その木の棒に組み合わせるように天井を支える棒や、壁を支える棒を立てる。組み立てている間、小太りで人のよさそうなリペーヤという仲間が、僕に細々とどこをどのように組めばいいか教えてくれた。けれども、重い棒はなかなか思い通りの位置に持っていくことができず手間取ってしまう。  他の仲間はどんどん何本も棒を組んでいくのに、結局僕が組み上がるまでに手を着けられたのは、屋根を支える棒のうちの一本だけだった。 「すいません、手間取ってしまって」  ユルタの骨組みにすっかりフェルトをかけて立ておわったあと、僕がそう言って頭を下げると、リペーヤは朗らかに笑って僕の頭を撫でる。 「いやいや、初めてにしては上出来さ。 組んだ他の柱を崩さなかっただけで万々歳だ」  リペーヤは褒めてくれてるのか、慰めてくれてるのか、それはわからなかったけれども、まだ上手くやれてる方なんだと自分に言い聞かせる。  すこしもやっとした気持ちを抱えてその場に立っていると、ユルタの中に入っていた、緑の髪の長身の、マリエルという仲間が手招きをして声を掛けてきた。 「お疲れ様です。 とりあえず、ユルタの中に入ってみてください。火のおこし方などを教えますので」 「はい、わかりました」  入り口の布をまくってユルタの中に入ると、マリエルが把手の付いていない鉄の鍋のようなものを置いて、その中に木を組んでいた。 「ルスタム、こちらへ。 火をおこすときは、周りに火が燃え移らないようこれの中に入れて薪を組んで、それから、乾いた草を入れ込んでそれに火を付けます」 「そうなんですね」  火の付け方自体は、家でお母さんがかまどに火を入れるときと同じ手順のようだった。 「いつもはマッチで火を付けますが、万が一マッチを切らしたときは、火打ち石で火を付けます。 できますか?」  そう言ってマリエルは、ふたつの石を僕に手渡す。火打ち石での火おこしは、家でもやったことがある。 「たぶん、できると思います」 「そうですか、では早速、この薪に火を付けてみてください」  言われるままに、僕は石をぶつけ合って火花を出す。なかなか思うように火が付かなくて時間はかかったけれど、なんとか薪を燃やすことができた。  それを見て、マリエルは満足そうだ。 「お見事。これなら道中安心ですね」  思わずはにかんでしまう。僕はきっと、上手くやれている方なのだと思ってしまう。 「そういえば、マリエルは火打ち石で火をつけられるんですか?」  その問いに、マリエルは苦笑いして答える。 「実は、火打ち石で火をおこすのはどうにも苦手で……時間が掛かってしまいますね」 「そうなんですね」  そうか、旅慣れしたキャラバンの一員といえども、苦手なこともあるのだとなんとなく安心する。  そうしていると、ユルタの外から声が聞こえてきた。 「火起こしできた? できたら次はラクダとラバの乗り方だよ。おいで」  すこし素っ気ない口調で呼ばれてユルタから出ると、そこには紫の髪を伸ばした小柄な仲間が、ラクダとラバを連れて来ていた。  乗る練習をする前に、僕はその仲間に訊ねる。 「カイルロッドは普段どっちに乗ってる?」  するとカイルロッドは視線を斜め上にやってからこう言った。 「僕は普段亀に乗ってるけど、どちらかというとラバの方が慣れてるかな」  亀に乗るというのはどういうことだろう。そんなに大きな亀がいるのだろうか。  それはさておき、カイルロッドからラバの乗り方を教わる。跨がるところまでは簡単に出来た。それから、手綱の取り方、それに進む先の指示の仕方など、そんなことを教わる。  ラバはこの街でもよく見かけるので、そこまで乗ることに抵抗はなかった。けれども、念のためと教わったラクダは大変だった。乗っているととにかく揺れる。大人しい性格だとカイルロッドは言っていたけれども、どうにもラクダは僕向きじゃないようだった。  一通り仲間達から旅に必要なことを教わったあと、ふとユルタの側で僕の様子を見ていたヴァンダクに目をやった。目が合うとにっこり笑って手を振ってくれるけれども、彼は僕になにを教えてくれるのだろう。もしかしたら、実際に旅に出ないと教えられないようなことがあるのかもしれない。それなら、その時にまた教わろうと、僕はラクダの背から降りた。 あれから数日、僕がユルタを立てるのになんとか要領を得てきた頃、キャラバンは街を発った。はじめて街から出て、街の外に広がっている広大なステップを見て、僕は感動した。  こんなに広い世界があったことを、今まで上手く想像できていなかったから、それを目の当たりにして胸が弾んだ。  僕の様子に気づいたのだろうか、みなを先導しているヴァンダクのすぐ後ろについていたリーダーが歩を緩め、僕の側に来てこう訊ねてきた。 「どうだ。外の世界は」  僕は今の感動を上手く表現できない。だから、こう言うことしかできなかった。 「こんなに広いなんて、知らなかった」  それを聞いたリーダーは、にっと笑って僕に言う。 「世界はもっと広い。 おまえはこれから、その世界を旅するんだ」  世界はもっと広い。リーダーの言っている世界というのは、どれほどの広さを持っているのだろう。まだそれはわからないけれども、僕はこれからその一端に触れるのだ。旅をして、いつかはリーダーのように世界は広いと、他の人に言えるようになりたい。  僕の旅はまだはじまったばかりだ。  キャラバンでの旅は、楽しいことだけではなかった。慣れないラバに長時間座っていると腰が痛くなってくるだとか、野宿や小さな村に泊まってユルタで食事をするときなど、街にいた頃のような料理は出てこないだとか、そういった些細なことが細々とあるのだ。  ステップをラバで移動しているときに、ラクダに乗ったリペーヤがそっと近づいてきて僕に訊ねた。 「どうだ。旅は楽しくなってきたか?」  それを聞いて、僕は思わず苦笑いをする。旅をするのがこんなに大変だなんて思っていなかった。でも、不便なことはあっても。 「慣れるまで大変そうだけど、楽しいかも」  それを聞いてリペーヤは意外そうな顔をしてから笑顔を浮かべる。 「いい根性だ。おまえは旅に向いてる」  僕は本当に旅に向いてるのだろうか。まだ不慣れなことがあるので自分では実感が無いけれども、長く旅をしているリペーヤが言うのなら、そうなのだろう。  ふと、遠くから早い蹄の音が聞こえてきた。  こんな事は旅に出てからはじめてのことなので戸惑っていると、リーダーとヴァンダクが寄ってきてこう言った。 「賊が来たぞ。迎え撃つ準備をしろ」  あの蹄の音は賊なのか。そう思っている間に、僕はヴァンダクの手でラバを下ろされ、ユルタに被せるためのフェルトを被せられた。ヴァンダクも一緒に被っている。 「護身術はやっていたと聞いたが、実戦は初めてだろう。 まずはそこでヴァンダクと一緒に見ていろ」  リーダーの声が聞こえた。それからすぐに、剣戟の音が聞こえてきた。賊の声と、剣がぶつかる音、それに鈍い音も聞こえる。フェルトの中でもぞもぞしてリーダー達の方を見ると、リーダーとマリエルが剣を振るい、リペーヤが大きな棍棒で賊を殴りつけている。カイルロッドはいつか彼が言っていて、本当に乗っている亀から降りて、先端に大きめの石を括り付けた紐を振り回している。カイルロッドの乗っていた亀もまた、賊が敵だとわかっているのかやつらの脚に噛み付いていた。  これが実戦なのか。いつかは僕もあれに加勢しなくてはならない。その時のために、僕はリーダー達の戦い振りをじっと見ていた。  ふと、側にいるヴァンダクのことを思い出す。彼もキャラバンに入って長いはずだけれども、戦わないのだろうか。もしかして、僕がいるから僕を守るために一緒にフェルトにくるまっているのだろうか。  そう思ってヴァンダクの方を伺うと、目をぎゅっと瞑って、耳を塞いでいる。それを見て僕は察した。  この人は戦えないのだ。  僕が見ているうちに、賊達はみな倒された。 「もう大丈夫だ」  賊達の息の根が止まったのを確認したリーダーが僕とヴァンダクに言う。すると、ヴァンダクはそろそろとフェルトの中から出て周りを確認している。僕もフェルトの中から出て、改めて周りを見た。  血の匂いがする。どこまでも広がる爽やかなステップに、それは似つかわしくないように思えた。  ヴァンダクと一緒にくるまっていたフェルトを畳んでいると、リーダーが僕に話しかけてきた。 「実戦はあんな感じだ。どうだ、やれそうか?」  僕はすぐに返す。 「やれそうか、ではなくやります」  それを聞いてリーダーはすこし笑みを浮かべたあと、真面目な顔をして言った。 「いい心がけだ。だが、慎重になって周りを見ることを忘れるな。 戦いは多くの場合、一対一じゃあない」 「わかりました」  先程の戦いをみて、合間に合図を送り合って仲間と連携をとるのが大事なのは、なんとなく感じた。問題は、いざその時になって僕がその合図に気づけるかだ。その時は来ないにこしたことはないけれども、リーダーの言葉を胸に刻みつける。  そして思った。僕も、リーダーのように頼れる男になりたいと。  それからも、平穏な旅路は続いた。何か変わったことはあるかといわれると、ある晩野宿をしたときに、マリエルから料理の仕方を教わったのが変化のひとつだろう。  みんなでユルタを立てて、ラクダとラバを繋いで中に入り、火を焚く。練習も兼ねて僕が火打ち石で薪に火を付けると、マリエルがくすくすと笑って僕に言った。 「火打ち石の扱いは、もう私よりもルスタムの方が上手かもしれませんね」  その言葉を聞いて、僕が思わず得意げになったのは言うまでもない。  火をおこしたあと、いつものようにマリエルが鍋を用意して、その中に水と干し肉を入れて煮立たせる。乾燥させたスパイスも少々入れて、ほんの少しドライフルーツも入れている様を僕はじっと見ていた。  それに気づいたマリエルが、にこりと笑って僕に野宿の時の料理の仕方を教えてくれた。  野宿の時は、そんなに凝った料理は作れない。だから、僕でも簡単にできるだろうというのだ。  でも、教えて貰っても、僕ははじめ、料理は女の仕事だという印象が抜けなかった。女の人がいないこのキャラバンでは男が料理をするのは当然のことなのだろうけれども、なんとなく違和感があった。  そんな僕にマリエルが言う。 「明日は、あなたが作ってみますか?」 「えっ? うーん、うん」  なぜかすぐには断れなかった。それはきっと、マリエルが作った料理をみんながおいしそうに食べているのを、すでに何度も見てしまっていたからかもしれない。  そしてその翌日、また野宿をすることになったので、今夜は僕がマリエルに教わりながら料理をすることになった。  あんなに違和感があったのに、実際にやってみると料理はとてもスリリングで、心躍るものだった。簡単なものしか作っていないはずだけれども、出来上がったときは達成感があった。 「おっ、出来上がった? 早く食べたいなぁ。 なんせ腹へりたもうた」  そう言って鍋の近くに来たリペーヤに、器に盛った干し肉のスープを渡す。それから、他の仲間達にもスープを注いだ器を渡す。  食前の祈りをしてからスープに口をつける。味見はしていたけれども、ちゃんとおいしく仕上がっていた。これもまた達成感がある。  そして、僕の作った料理をみんなが食べてくれる。これが一番嬉しかった。 「はじめての料理はどうでしたか?」  マリエルにそう聞かれて、笑顔を返す。  これ以来、僕とマリエルは一日交替で料理を作ることになった。  料理を教わって数日、僕達は大きな街に着いた。この街で僕ははじめて、市場に出て商売をすることになる。  市場に行く前に、キャラバン・サライへと向かう。キャラバン・サライがある街では、そこを拠点として生活をするのだ。  いつもキャラバン・サライの滞在手続きをしているというリーダーに連れられ、一緒にキャラバン・サライの手続き所へと行く。もしなにかあって僕が手続きをしなくてはいけないことがあった場合を考えて、どうやってやるのかを見ておけと言うのだ。  手続き自体は、そんなに難しいものではなかった。これなら僕にでも出来そうだ。けれども、こうやって見ることをせずにいきなりやれと言われたら、きっと戸惑っていただろう。リーダーの気配りは、まとめ役としてふさわしいものだと改めて思った。  キャラバン・サライの部屋に入り、荷物をまとめてから市場に向かうことになる。店を出すのは、リペーヤとカイルロッドのふたりで、リーダーは街の得意先回りを、マリエルは商品の仕入れを、ヴァンダクは店番の補助を主にやっているようだった。  市場に行って、キャラバン・サライで指定された場所に店を開く。折りたたみ式の台を出してその上に布を敷き、さらにその上に商品を並べていく。 「準備自体はね、そんなに難しくないんだ」  僕に準備の仕方を見せてくれたリペーヤは、にこにこ笑ってそう言う。 「じゃあ、なにが難しいんですか?」  僕がそう訊ねると、リペーヤは当然といった顔で答える。 「そりゃあもちろん、売るのが大変なのさ。 仕入れも大変だけど、それはまた順を追って教えるよ」  それから、リペーヤは台の上に並んだ陶器を僕にじっくり見るように言って、どの陶器がどんなものなのか、どの部分が優れているのかとか、逆に、どう言った部分が欠点となるのかを詳しく教えてくれた。  そうしていると、ちらほらと僕達の店を見る人がではじめた。リペーヤは興味を持った人にどの陶器がどこで作られた物だとか、こんなにすばらしいところがあるだとか、そういったことを話して、最終的には買わせてしまう。押し売りという雰囲気でもないのに、リペーヤの言葉を聞いていると、なんとなく欲しい気持ちになってしまうのだ。そう、僕もリペーヤの話を聞いていて、台の上に並んでいる陶器全てが欲しくなってしまうほどだった。  とはいえ、全てのお客さんが陶器を買っていくわけではない。これだけ陶器のことに通じていて口の上手いリペーヤでさえ、売るというのは難しいことなのだ。  僕はリペーヤほどに、上手く売ることができるようになるだろうか。いや、できるようになりたい。商売という駆け引きを、楽しめるようになったら、きっと僕の旅はもっと楽しくなるのだ。  しばらくリペーヤと一緒に店番をしていたら、ヴァンダクがマリエルに連れられてやって来た。 「どうしました?」  ヴァンダクはカイルロッドの所で店番をしていたはずなので、どうしてここにいるのか疑問に思った。  僕の問いに、マリエルはにこりと笑って答える。 「そろそろルスタムもカイルロッドの所に行ってもらえますか? リペーヤから陶器のことは聞いたと思うので、今度はカイルロッドから装飾品の手ほどきを受けて欲しいんです」 「そうなんですね、わかりました」  マリエルに手招きをされて、僕はリペーヤの店から出る。すると、入れ替わりにヴァンダクが店の中に入った。  ヴァンダクはにこにこと笑って僕に言う。 「覚えること多くて大変だと思うけど、がんばって!」  僕は頷いて見せて、マリエルと一緒にカイルロッドの店へと向かう。その道中で、マリエルに訊ねた。 「そういえば、ヴァンダクはキャラバンでどんな仕事をしてるんですか? 店を持ってるわけでもなさそうだし、護衛というわけでもないし、料理を作るとも聞かないし」  すると、マリエルは困ったように笑う。 「そうですね、あの子はその辺りのことは苦手です。 でも、街から街へと進むのに、あの子が先導していたでしょう? 方角を見るのが得意なんですよ」 「そうなんですね」  それを聞いて、なにかもやっとしたものが胸にわだかまった。方角を見るくらい、ヴァンダクだけじゃなくて他のみなもできるし、僕だってある程度は見られる。ヴァンダクは、このキャラバンに本当に必要なのだろうか。なんせ僕は、ヴァンダクからだけはなにも教わっていないのだから。  もしかしたら、ヴァンダクから教わる必要のあるものはないのかもしれない。  話をしながら歩いているうちに、カイルロッドの店に着いた。カイルロッドの店には、いつもカイルロッドが乗っている亀も一緒にいた。 「きたねルスタム。 それじゃあお店の中に入って。装飾品の話をするから」 「はい、お邪魔します」  カイルロッドの店に入り、ふとマリエルを見上げる。するとマリエルは、にこりと笑ってこう言った。 「それでは、私は仕入れの続きに行ってきますね。 カイルロッド、あとはよろしくお願いします」 「あいよ」  マリエルが並ぶ店の影に消えていくのを見守ってから、布の上にきれいに並べられた装飾品を見る。見た感じ銀でできているようだけれども、そこに填められている石がなんなのかはわからない。  売り物のうちのひとつを手に取ってカイルロッドが言う。 「先に言っておくけど、僕が売ってる装飾品は、リペーヤが売ってる陶器ほどは売れない」 「そうなんですか?」 「そう。その代わり、上手くやれば利益は大きい」  それから、装飾品ひとつひとつを僕に見せて、装飾品のことを僕に話した。装飾品は基本的に街の古道具屋で仕入れるとか、そういうことをしているから、仕入れた装飾品は他の街に行ってから売るとかという話に加え、どのように仕上げられている装飾品が価値あるものなのか、価値の低いものの見定め方など、そんな話を聞かされた。  それは興味深い話だったけれども、さすがに一度に聞かされると全部を飲み込むのは大変だ。僕の困惑に気づいたのか、カイルロッドは台の上の装飾品を並べ直しながらこう言った。 「興味があるなら、追々覚えればいいから」  どうやら、根気よく教えてくれるつもりのようだった。  リペーヤが教えてくれる陶器と、カイルロッドが教えてくれる装飾品、どちらを取るかと訊かれたら、僕はまだ選ぶ事はできない。  興味溢れる魅力的な世界はこれから開けていくのだ。  そうしてしばらく店番をしていると、市場が閉まる時間になった。僕達は昼過ぎにここへやってきたので短い営業時間だったけれども、それでも僕はへとへとになってしまった。きっと、ずっと気を張っていたからだろう。  商品をまとめ、台だけその場において店を離れる。これからいったんキャラバン・サライに戻ったあと、みなで食事をするのだ。街での食事は久しぶりなので、なにを食べようか楽しみだ。  キャラバン・サライに戻る途中で、リペーヤとヴァンダクとも合流した。売り上げがよかったのか、それとも単純に食事が楽しみなのかわからないけれども、にこにこしているヴァンダクを見てまたあの胸のもやもやが顔をだしてきた。  彼は本当に、このキャラバンに必要なのだろうか。なぜこのキャラバンにいるのだろうか。これがわからない。  リペーヤやカイルロッド、それにマリエルやリーダーは、ヴァンダクがいることになにか必要性を感じているのだろうか。  たしかにいい人だし、いつもにこにこしていて、いると場が和むけれども、それ以上のことはわからず、僕はヴァンダクとどう接すればいいのかわからなかった。  ある日のこと、リペーヤと一緒に市場で店番をしていた。この日は昼食時までじっとその場にいても、果ては市場の閉店時間が近づいてきても全く商品が売れず、僕はどうしようもなく苛ついていた、リペーヤは苦笑いをして、こういうこともよくある。と言っていたけれども、それでも気持ちは収まらなかった。  なんで売れなかったんだろう。リペーヤの口の上手さはあいかわらずだったし、それに加えて、僕も上手く商品についての説明をできていたはずだ。そう、実際に昨日も一昨日も、僕は陶器をいくつか売ることができていたのだ。それなのに今日はだめだった。  なにか悪いことでもしてしまっただろうか。そう悶々と考えてしまい、苛立ちは募るばかりだった。 「商売は、どうしても運もあるからな」  そう言ってリペーヤは僕の背中をぽんぽんと叩く。それではっとして、店じまいの手伝いをした。  商売は運もある。この時僕は、その運すらも自分の手で操れると、そう思ってしまったのかもしれない。そうでなければこの苛立ちの理由に説明を付けられないような気がした。  店じまいをして、リペーヤと話ながらキャラバン・サライの部屋に戻ると、一足先に戻ってきていたリーダーとマリエル、それにカイルロッドとヴァンダクが部屋で床に座ってくつろいでいた。  僕達の話し声で帰って来るのには気づいたのだろう。マリエルがこちらに向けて片手をあげて、にっこりと笑う。 「マリエル、今日はどんなものを仕入れてきたんだ?」  重い荷物を置きながらリペーヤがそう訊ねると、マリエルは満足そうに笑って、陶器を詰め込んだ袋を開けてみせる。 「今日は主に陶器ですね。 工房に行ったら出来の良いものがたくさんあったので、他の街で売るのに多めに仕入れてきました」  するとリペーヤは足音を立てないように、すすすっとマリエルの側に寄って、陶器の詰まった袋を覗き込む。 「へぇ、いいねぇ。中身見てみていい?」 「もちろんです。いつも通りこの陶器も、リペーヤにも確認して欲しかったので」  一体どんな陶器を買ってきたんだろう。そう思って少し離れた場所からじっとマリエルとリペーヤの手元を見ていたら、ヴァンダクがマリエルの側に寄ってこう言った。 「俺もその陶器見ていい?」  にこにこしているヴァンダクに、マリエルは袋の中から紙で包まれた陶器のお皿を一枚取りだして渡す。 「どうぞ、ヴァンダクも見てみてください」  そのやりとりを見て、先程の苛立ちがまたぶり返してきた。ヴァンダクが陶器を見たって良し悪しなんてわからないだろうに、なんでわざわざ見せる必要があるのだろう。  その不満が視線に乗ってしまったのだと思う。うれしそうに陶器を見ていたヴァンダクが僕の視線に気づいた途端、びくっと身を固めて手を滑らせた。手から滑り落ちた陶器のお皿は固い床にぶつかり、がしゃんと鈍い音を立てて割れてしまった。  僕は咄嗟にマリエルに訊ねた。 「そのお皿、売り物にするつもりでしたか?」  すると、マリエルは気まずそうな顔をして、僕とヴァンダクの間で視線を揺らしながら答える。 「そうですね、他の街で売れたら。とは思っていました」  それを聞いて、僕はかっとなってヴァンダクに向かって大声で怒鳴りつけた。 「なにやってるんだ! 役立たずのくせに!」  とげとげしくて大きな声に、ヴァンダクはびくっと身を震わせて俯く。余程驚いたのか、こわかったのか、陶器を割ったことに対する謝罪の言葉も出てこないようだった。  これは、本当に間が悪かったのだと思う。市場で店の売り上げが悪くていらいらしていたところに、ヴァンダクが売り物の陶器を割るという失敗をやらかした。きっと僕は、自分で抱えていた自分勝手な苛立ちも含めて、全部ヴァンダクにぶつけてしまったのだと思う。けれども、キャラバンに入ってからずっと胸の中でもやもやしていた、ヴァンダクがこのキャラバンにいる必要性に対する疑問も、怒りを爆発させてしまう要因のひとつだったのだろう。  とにかく、これは間が悪かったのだ。  僕の怒鳴り声のあと、部屋の中がすっかり静まりかえる。リペーヤもマリエルもカイルロッドも、突然のことに戸惑っているようだった。きっと、新入りの僕が前からキャラバンにいるヴァンダクを怒鳴りつけるとは思っていなかったのだろう。  怒り覚めやらぬ僕に、リーダーが静かに声を掛けてくる。 「ルスタム、ちょっと部屋の外に出てくれないか。 おまえに話しておかなきゃならんことがある」 「わかりました」  きっと、突然ヴァンダクに怒鳴ってしまったことを厳しく戒められるのだろう。いくらヴァンダクが気に入らないからといって、迂闊なことをした。そう思いながら部屋の外に出ると、リーダーもその後に続いた。 「すこし歩こう」  リーダーはそう言って、暗くなりはじめたキャラバン・サライの中を、僕を連れて歩き始めた。  キャラバン・サライの建物は丈夫そうにできている。固い壁に、固い床。靴の擦れる音が響く中、リーダーはキャラバン・サライの庭へと僕を連れ出した。  これから僕を叱りつける声を、他の仲間達に訊かれないようにという配慮だろう。ほかのみなの前ではないとはいえ、これからリーダーに叱られると言うことが、にわかにこわくなってきた。先程僕がヴァンダクにやったように、怒鳴りつけられるかもしれないと思ったのだ。  緊張で身を固めてリーダーの言葉を待っていると、リーダーは意外にも落ち着いた、静かな声で話し始めた。 「ルスタム。おまえはまだ、キャラバンに入ったばかりで組織というものがわかっていないようだ。 もっとも、わかるまでには時間が掛かるものだからしかたはないが」  なんの話だろう。僕が不思議に思っていると、リーダーはさらに言葉を続ける。 「たしかにおまえから見たら、ヴァンダクは役立たずに見えるだろう。 商売もできない、仕入れもできない、戦えない、料理もできない。ないないづくしだ。 正直言えば、街にいる間はおれだって、ヴァンダクが本当は役立たずなんじゃないかと思うことはある」  リーダーでもそう思うことはあるのか。なんとなくの安心と、それと同時に疑問を感じる。リーダーも役立たずだと思うのなら、なぜヴァンダクをキャラバンに置いておくのか。その必要性がわからなかったのだ。 「不思議そうな顔をしてるな」  リーダーが苦笑いをする。それから、組織というものは。と前置きをしてこう続けた。 「キャラバンも含めて、無駄だと思う人員を削れば削るほど疲弊していく。 無駄な手間は省けた方がいいものだけども、人だけはそうじゃあないんだ。 役立たずで無駄だと思っている人間が、一体何をできるのか。全てを把握することはできない。 だから、ふとした拍子に思いがけない出来事にぶつかったとき、その無駄だと思ってた人間が意外な能力を発揮して役立つこともある。 一見無駄に見える人員も抱えて養っていくのが、結局の所は自分たちが生き残るための最善手なんだ」  リーダーの言っていることは、理論としては正しいのだろう。けれども僕は納得できなかった。納得できないのは理論的に、ではなく、完全に僕個人の感情としてだ。  僕の気持ちを察したのか、リーダーは僕の目をじっと見てさらに話を続ける。 「すぐには納得できないだろう。でも、はじめはそんなもんだ。 おれみたいにキャラバンのリーダーをやってるやつでも、これがわからないやつはいる。 それなのに、キャラバンに入ったばかりのおまえに心の底からわかれっていうのは、なかなか難しいもんだろ」  僕は黙って頷く。リーダーは僕の心の中のなにもかもを見透かしてるようだ。 「あと、一応言っておくがヴァンダクは役立たずじゃあない」 「えっ?」  ヴァンダクが役立たずじゃないときいて、僕は驚いた。方角を見る以外に、一体何ができるというのだろうか。なにかができるような素振りは、全く見せていないのに。 「ヴァンダクは、方角を見ることしかできないんじゃないんですか?」  僕がそう訊ねると、リーダーは一回頷いて答える。 「たしかに、あいつは方角を見ることしできない。だけども、その精度や正確性はおれが今まで見てきた誰よりも高い。 おれたちのキャラバンは、たまに道なき道を行くことがあるが、それが出来るようにしているのは、誰よりも正確に方角を見ることが出来るヴァンダクだ」 「でも、方角を見るくらい」  他のみなでもできる。そう言おうとした僕に、リーダーはさらに続ける。 「ああ、大まかな方角を見ることはヴァンダク以外でもできる。 だけども、方角を見ることに関してだけはあいつは桁違いなんだ。 あいつがいなかったら進めなかった道、越えられなかった旅路はいくらでもある。 下手をすれば全員のたれ死んでたかもしれないなんてこともたくさんある。 それくらい重要な役割なんだ」  リーダーがここまでヴァンダクのことを信頼しているなんて、思ってもみなかった。それと同時に、正確に方角を見ることの難しさ、大切さを、リーダーは僕に伝えてくれた。 「誰だってできるようなことを極限まで突き詰めるのは難しい。けれどもあいつは、それをやったんだ」  いつもにこにこしていて、ひとつも苦労を知らないように見えるヴァンダクが、そんなにすごいのだということを、僕は今まで気づかなかったし、考えもしなかった。誰でもできることしかできないのだと、侮って見下していたのだ。  本当は役立たずではなかったのだということにようやく気づき、先程怒鳴りつけてしまったことを反省していると、リーダーは僕の頭を撫でてにっと笑った。 「誰だって得意不得意はある。ルスタム、それはおまえだってそうだろう」  そう言われて、僕は頷くことしかできない。思い返せば、僕だって出来ないことはいくらでもあるのだ。なんでその事に気づかなかったのだろう。 「ヴァンダクは、それがちょっと極端なだけだ」  リーダーの言葉に、ふとキャラバンが賊に襲われた時のことを思い出す。あの時、どうしたらいいのか僕が戸惑うその前に、咄嗟に僕を抱えてラバから下ろし、フェルトを被せて守ってくれたのはヴァンダクだった。あの時僕はヴァンダクのことを戦えない人なのだと思ったけれども、今思えば、戦えなくても守ることは出来る人なのだ。あの人は、戦えないなら戦えないなりに、守る方法を知っている人なのだ。  僕は、初めてのことをやってたくさん褒められてたからといって良い気になっていたけれども、実際はまだまだ未熟者で、ヴァンダクを含めたキャラバンのみなに守られているのだ。そのことを忘れて、なんて傲慢なことをしてしまったのだろう。  僕は、ヴァンダクに謝らなくてはいけない。 「リーダー、お話ありがとうございました」  そう言ってリーダーに頭を下げると、リーダーは軽く僕の背中を叩いて、キャラバン・サライの入り口に向かって歩き出す。 「部屋に戻ろう。あいつらが心配してる」 「はい」  すっかり陽も落ちて暗くなったキャラバン・サライの中を歩いて部屋へと戻る。すこし気まずい感じはしたけれども、はやくヴァンダクに謝りたかった。許してもらえるかどうかは、わからないけれども。  部屋に戻ると、誰がやったのかはわからないけれども、先程の割れた陶器のお皿はきれいに片付けられていて、でも先程と同じ場所に、ヴァンダクがしょんぼりした様子で俯いて座っていた。  部屋の壁に寄りかかって目を閉じていたリペーヤが、僕とリーダーの方を見て言う。 「話は終わった?」 「ああ、後はこいつに任せる」  リペーヤとリーダーの短いやりとりを聞きながら、僕はヴァンダクの正面に座る。すると、ヴァンダクはおどおどした目で僕を見て、小さくか細い声でこう言った。 「……ごめんなさい……」  それを聞いて、僕はなんてひどいことをしてしまったのだろうと思った。  きっと、ヴァンダクは陶器を割ってしまっただけでもそうとう気落ちしたはずだ。そこに畳みかけるように、僕からあんな風に激しく怒鳴りつけられて、こんな風に弱々しくなってしまうのも仕方がない。  僕はヴァンダクに頭を下げて口を開く。 「僕の方こそ、ごめん。言い過ぎた。 いらいらしてたのをヴァンダクにぶつけたのは本当に悪いと思ってる。 だから、あの……」  言いたいことを上手く言葉にできない。しどろもどろになりながら謝罪の言葉を告げると、ヴァンダクは今にも泣き出しそうな顔で僕を見て言った。 「俺のこと、許してくれるの?」  ああ、悪いのは自分なのだと、そう思って疑っていなかったのだ。こんなに純粋な人を疵付けて、僕は一体なにをしているんだろう。  僕は頷いて、ヴァンダクの手を取る。 「許すもなにも、僕が悪かったんだし、あの、仲直りしてくれる……かな?」  最後の方は小さくなった言葉でそう訊ねると、ヴァンダクは一瞬きょとんとした表情をしてから、いつもの明るい笑顔を浮かべる。 「仲直りする!」  嬉しそうなその顔をみて、僕はようやく気持ちが落ち着いたし、安心できた。僕がリーダーと話をしている間に、ヴァンダクがほかのみなに、僕に対する恨み言を言っていたのではないかとすこし思っていたのだけれども、その様子も窺えないし、あんなことをしたうえにヴァンダクのことを疑うなんて僕はなんて小さくて愚かしいのだろうと、自分を恥ずかしく思った。  僕達の様子を見ていたリーダーがヴァンダクに言う。 「ところで、割った陶器を仕入れてきたマリエルと、それを売る予定だったリペーヤには謝ったのか?」 「うん。割っちゃったのは仕方ないって」 「そうか」  普段の口調のせいかすこし子供っぽい雰囲気があるとは言え、自分の非を素直に認められて謝ることができる、反省することができるヴァンダクは、僕よりもずっと大人のように見えた。  リーダーが続けて言う。 「次からは、手を滑らせて割らないように気をつけるんだぞ」  すると、ヴァンダクはきりっとした顔をして答える。 「うん、気をつける」  すると、陶器の袋の整理をしていたマリエルが、苦笑いをしながらこう言ってきた。 「まぁ、陶器は割れやすいので、どうしてもこういうことがありますから。 運搬中に割れることもありますし、それを見越した数を入れてはいますし」  そして、なんなら私もやらかします。と言うマリエル。それに続いてカイルロッドが言う。 「それに、そのリスクも踏まえた上での値付けだからね。一枚割れるくらいは想定内でしょ」 「そうですね」  そういう仕組みになっていたのか。それを知らずに、僕は本当になんてことをしてしまったのだろう。家である程度勉強したとはいえ、僕はまだ商売のことを全然知らないと言っても言いすぎではないのだ。そう思うとどうしようもなく恥ずかしくなって、目の前にいるヴァンダクにしっかりと抱きついてしまった。するとヴァンダクは、なにを思ったか子供にするように、僕の背中を優しくぽんぽんと叩いてくれたり、頭を撫でたりしてくれた。僕はあんなにひどいことをしたのに、ヴァンダクは本当にもうすっかり許してくれているようだった。  ふと、後ろからリペーヤの声が聞こえてきた。 「ところで、そろそろ夕飯の時間も過ぎてるんじゃないかなぁ。早く食べに行かないと食堂が閉まってしまう」  それを聞いて、ヴァンダクがはっとしたような声を出す。 「そうだ、晩ごはん! まだ食べてなかった!」  お腹空いたと言いながらも、ヴァンダクはまだ僕のことを抱きしめている。その様子を見て、リーダーが笑いながら言う。 「たしかに、色々話してたらこんなだ。食べに行かないと食堂が閉まっちまう時間だな。 さすがにそろそろどこかの食堂に行くか」  晩ごはんを食べ逃すのは嫌だ。僕はヴァンダクから離れて自分の荷物の所に行き、貴重品を持って立つ。ヴァンダクも、他のみなも同じようにして出かける準備を済ませた。  暗くて静かなキャラバン・サライの中を歩きながら、どこで食べるかという話をする。 「俺は肉。肉をがっつり食べたいなぁ。 なんせ腹へりたもうた」  食事が待ちきれないといった様子のリペーヤの言葉に、カイルロッドが難しい顔でお腹を撫でてからこう返す。 「僕はちょっとあっさり目のものがいい」  ふたりのそのやりとりを聞いてたリーダーが、みなを先導しながら言う。 「希望はなるべき聞きたいが、この時間だ。 とりあえずあるものしか食べられないさ」  リーダーのこのなるようにしかならないという考え方は、一見すると無計画のようにも見えるけれども、実際はそうではないのだろう。なにが起こるかわからない旅路の中で、あるものでなんとかする生活が、その無計画で諦めを孕んでいるように聞こえる言葉に繋がるのだろう。  少なくとも僕には、リーダーのなるようにしかならないといったその言葉に強い意思を感じるのだ。  もしかしたらリーダーは、僕がヴァンダクに怒鳴りつけたあの時、なるようになるしかないと思ったのかもしれない。けれども、そのなるように。というのは、自分が改善のために補助を入れた上でのことで、僕の心を野放図にするものではなかった。僕に大切なことを伝えた上での、なるように。だった。  そしてなるようになって、僕とヴァンダクは仲直りできたので、リーダーには感謝しかなかった。  あの出来事からしばらく。僕達はいくつもの街を巡って旅を続けていた。  あの後全く諍いがないというわけではなかったけれども、いや、元々ある程度、小さなケンカはどんな集団でもあるものだとリーダーは言っていた。僕とヴァンダクの間だけでなく、他の面々の間でたまにとげとげしい雰囲気になることはあったけれども、おおむね仲良く、協力し合って過ごしていた。  このキャラバンのみなは、随分とからっとした性格をしている。多少諍いがあっても、お互いある程度すっきりしてしまえばそれをあとに引きずらない。この点においては、僕が街で家族と過ごしていた頃よりも随分と快適なものだった。  そんな人達に囲まれてはいるけれども、僕がヴァンダクを怒鳴りつけてしまったあの一件以来、やっぱり僕はヴァンダクとどう接すればいいのか掴みかねていた。  なかなか自分から声を掛けるのも難しく感じられて、でも、ヴァンダクは気後れなく僕に話しかけてきてくれて、それをきっかけに言葉を交わすことはできたけれども、やっぱりどことなくこそばゆさというものがあった。  何日も何日もステップを旅して、野宿をして、そうしているうちに僕は気がついた。僕が作った料理を、一番おいしそうに食べてくれるのはヴァンダクなのだ。ヴァンダクはすこし細めの身体付きなのに食べるのが大好きらしく、大体なにを食べてもおいしいというのだけれども、ある日僕が作って出した干し肉のスープを食べたとき、ヴァンダクは僕がはじめて見る動きをした。 「このスープ、ウマーイ!」  スープを口に含んで飲み下したあとそう言って、器とスプーンを置いてほっぺたを両手でなでなでと揉みはじめたのだ。  ほっぺたを揉みながら、ヴァンダクが言う。 「ほっぺた落ちちゃうよぉ」  その様子に僕はびっくりしたのだけれども、他のみなは微笑ましそうにその様子を見ている。 「おっ、ほっぺた落ちちゃう出ました!」  リペーヤがそういうので僕は訊ねる。 「リペーヤ、あの動きは一体どんな意味が?」  すると、リペーヤはにこにこと笑って答える。 「あれは、ヴァンダクがすごくおいしいものを食べたときにやる癖なんだよ」  それを聞いてかっと顔が熱くなった。そんなにおいしいものを作れたのがうれしかったし、それに対してこうやって反応してくれるのもうれしかったのだ。  思わず俯いてしまった僕に、マリエルがくすくす笑いながら言う。 「ほっぺた落ちちゃう、私もたまにしかもらえないんですよ。 ルスタムもだいぶ料理の腕が上がってきましたね」 「えっと、へへへ」  マリエルに褒められたのももちろんうれしい。でも、やっぱりヴァンダクが一番おいしそうに僕の料理を食べてくれるというのが心の支えになっていた気がするし、これが料理を続ける理由にもなっていたようにも思う。  それなのに、僕はなんでヴァンダクとなかなか打ち解けられないのだろう。本当は、いろんなことを語り合ったり、これはもしかしたらなのだけれども、たまには甘えてみたりもしたいと思っているのに。  食事が終わった後、食器を片付けて僕はヴァンダクと一緒にユルタの外に出た。  外は乾いた空気で満たされていて、だいぶ気温も下がっていた。ステップの果てには太陽が沈みかけていて、反対側の空は藍色に染まっている。  ヴァンダクが空を指さして言う。 「一番星だ!」  それを見つけたヴァンダクは、子供のようにはしゃぐ。他の仲間から聞いた話なのだけれども、ヴァンダクは星を見るのが好きなのだそうだ。  たしかに言われてみると、日が沈む前にユルタを立てて夕食を食べたあと、ヴァンダクは度々外に出ていることがあった。しばらくするとまたユルタの中に入ってくるのだけれども、なにをしているのだろうとしばらく不思議だった。  ヴァンダクが次々と星を見つけていく。隣にいる僕のことを気遣っているのか、それとも話したいだけなのか、それはわからないけれども、ヴァンダクは星の名前と位置、星座の名前、その謂われや物語を僕に話して聞かせてくれた。  こんな話は、今まで聞いたことがなかった。つまり、僕が全く知らなかったことを、ヴァンダクはこんなにもたくさん知っていたのだ。  リーダーの言葉を思い出す。役立たずで無駄だと思っている人間が、一体何をできるのか。全てを把握することはできない。たしかにその通りだった。あの時まで役立たずで無駄な人間だとヴァンダクのことを思っていたけれども、それは本当に間違いだった。だって、ヴァンダクはこんなにも星のことを知っていて、語ることができるのだ。キャラバンに所属しているうちに役立つ能力かどうかはわからないけれども、星に関して言えば、ヴァンダクはたしかに有能なのだ。  ヴァンダクが聞かせてくれる星の話は、聞いていて飽きない。話を聞きながら空を見上げていると、沢山の星が姿を現しはじめた。まだ太陽が沈みきっていないのに、空の星は豊かに実っていた。  これから先、きっと何年も何年も先、僕達はこのキャラバンで、この仲間達と過ごすのだ。だから、多少の諍いは仕方ないにしても、上手くやっていこう。上手くやれるようになろう。自分のことを過信しすぎず、けれども卑屈になりすぎず、上手い塩梅でやっていくのだ。  はじめのうちは、それは難しいことかもしれない。僕はまだまだ未熟で、自分のことを正確に把握できていないし、それ故に調子にも乗りやすい。  けれども、それを改めていくことは出来るはずだ。少しずつ自分の能力と自信を確かめて、立派な大人になっていくことが。立派な大人の見本は、このキャラバンに何人もいるのだから。それはリーダーであったり、リペーヤであったり、マリエルやカイルロッド、それにヴァンダクだ。みなきちんと自分のするべきことと、他の人に頼るべきことをきちんとわかっている、自立した大人なのだ。  星を見上げていたヴァンダクがくしゃみをする。乾いた冷たい風が吹いているので、身体が冷えたのだろう。 「そろそろユルタの中に入りましょう。寒いでしょう?」  僕がそう言うと、ヴァンダクは僕を見てから、名残惜しそうにもう一回空を見て、こう返した。 「もっと暗くなると星がきれいなんだけど、冷えてきたから戻ろうか」  それから、ユルタの入り口の布をめくって中に入る。僕もそれに続いた。  ユルタに入ってから、また少しだけ入り口の布をめくってもう一度空を見る。  太陽が沈む。星が輝く。零れるほどに星が輝く。夜が来る。  昔は、この時期の夜は寒くて凍えるだけだったけれども、今はこのユルタの中で、キャラバンの仲間達と一緒に、心温かく過ごす安らぎの時間だ。その温かさは、家にいた頃の心の温かさとはすこし違うけれども、なんという名前を付ければいいのかはわからない。  焚いた火を見送りながら、この心の温かさにつける名前を考える。それはどうにもふわふわとしていて、上手く捉えられない。  僕がそんなことをぼんやり考えていると、リペーヤが僕に話しかけてきた。 「何を考え事してるんだ?」  その言葉に、僕はすこし照れながら返す。 「みんなと一緒にいると、なんか心が温かくなる気がするんだけど、それがなんでなのかわからなくて。 これになにか名前があるのか、無いならなにか名前が欲しいと思って」  それを聞いてリペーヤは僕の頭をぽんぽんと叩いてこう言った。 「それは無理に名前を付ける必要のないものなんだがなぁ。 でもまぁ、敢えて言うならあれかな?」  あれとはなんだろう。そう思って言葉を待っていると、リペーヤはにっこりと笑ってこう言った。 「絆ってやつだ」
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