お父さん、娘に嫌われたいですか?

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「結芽、まだ起きてるの?」 鍵をかけた部屋のドアの向こうから、母親の声。 慌てて、ノートの下にスマホを隠す。 「宿題が終わらなくて。終わったら寝るから大丈夫」 「そう、頑張ってね」 足音が階段を降りていく。 結芽はホッとして、ノートの下に隠したスマホを取り出した。 時刻はもうすぐ0時。 父親がまだ帰ってこない。 宿題は終わっているけども、帰ってこない父親と、更新されないakiのアカウントが気になって眠れそうにない。 気晴らしに宿題終わらないやばい、とSNSに投稿して、すぐに詩織からからかうようなコメントがついて、苛立ちを覚えた。 (終わってるよ。でも、眠れない) お父さんが帰ってこない。 ただ起きていても睡眠時間の無駄だから、今日の復習と明日の予習まで終わらせた。 結芽ががむしゃらに勉強するようになった時期と、父親の不倫に気がついた時期は一致する。 父親の気を引くために悪いことをするより、自慢の娘になるほうがいいと思った。 好成績で、家の手伝いをよくして、門限を守る。 学校では詩織以外にも仲のいい友達が出来た。 動画アプリを立ち上げて、今日、学校で笑いながらみた動画を見返してみる。 一人だと笑えないことに気がついて、すぐに閉じた。 またSNSを開く。 美味しそうなアフタヌーンティーの画像が目に飛び込んでくる。 (そういえばお腹すいた、でもこんな時間に食べたら太る) もう寝ないと、明日起きられない。 結芽は諦めてベッドに入った。 暗い部屋でもう一度、SNSを開く。 煌々と目に痛い光。 (寝る前にスマホをみると…睡眠の質が下がるんだっけ…) うつらうつらと目を閉じて、そのまま寝落ちしてしまった。 がたん。 階下の物音に目が覚めた。 枕元で充電コードに刺さっているスマホを手探りして、時間を確認する。 (…4時半) 静かに階段を上がってくる気配。 父親がやっと帰ってきた。 (朝帰り、か) 眠い目をこじ開けてSNSを開いて、アカウントを切り替え、akiの投稿をチェックする。 最新の画像は昨夜と同じ。 24時間で消える機能に、最新の投稿を示すマークがついている。 結芽はこの機能が好きではない。 どのアカウントに見られたのかわかってしまうから、結芽はわざわざ裏アカウントを作ることになってしまった。 akiの投稿はどこかのホテルのベッドと、ペディキュアの足。 コメントはない。 生々しさに眠気が去ってしまった。 (…きも) どこのホテルなのか特定しようと思ったけど、画像を保存するのもおぞましい。 ここでakiと過ごして、明け方、家に帰って、母親の隣で眠る父親。 そんな父親を好きでいられるわけがないのに、結芽はあと二時間後には笑顔で朝食を食べなければいけない。 スマホを放り投げて枕に顔を埋める。 (とりあえず寝直す、寝る、寝るんだから) まぶたの裏に焼きつくホテルの白いシーツ。 それがなかなか消えなくて、何度も寝返りを打った。 トーストと茹で卵とカフェオレ。 いつのもメニューがいつものように並んだ食卓。 「おはよう」 朝帰りしたくせに、父親はもう出勤の支度をしてテレビのニュースを見ている。 「…おはよう」 父親の正面に座るのが嫌で、結芽は椅子を少しだけ横にずらした。 「昨日遅かったの?」 「残業だよ」 「…お疲れ様」 よくこんなに白々しく嘘をつけるものだと、結芽は茹で卵に苛立ちをぶつける。 「あ、やっちゃった」 派手に砕ける殻。 半熟より少し硬めの黄身までボロボロとテーブルに溢れる。 結芽は崩れた茹で卵をトーストに乗せて半分にたたむと、大きく口を開けてかぶりついた。 味が薄い。 「お母さん、マヨネーズ欲しい」 「ちょっと待ってね」 結芽と父親の分のお弁当を作っている途中なのか、母親はバタバタしている。 「それくらい自分でやりなさい」 父親に言われてムッとした。 (不倫朝帰りしておいて、娘に説教ですか) 無言で立ち上がり、冷蔵庫を開けて、マヨネーズを取り出す。 「結芽、ついでにケチャップも取って」 「…はい。お弁当何?」 「ウィンナーのケチャップ炒め、コールスロー、おにぎらず」 「あ、おにぎらず好き」 「あらそう?良かった」 母親が作るおにぎらずは具が多くて、いわゆる『萌え断面』だ。 これが同級生にけっこう受ける。 SNSに投稿した時も、いいねがたくさんついた。 (…いいねはつかなかったけど、見てたんだろうな) akiのアイコンが頭をかすめた。 「俺は普通のおにぎりがいい」 父親がテーブルから、テレビを見ながらそう言う。 「作る前に言ってよ。まぁ、私がお昼に食べるわ」 そう答えて、母親は急いで炊飯器からご飯をボウルに移し、ふりかけを混ぜておにぎりを握っている。 こんな男の言うことを聞かなくていいのに、と結芽は朝からモヤモヤする。 「包むの、やるから」 「いいから、先に食べちゃってね」 「…うん」 マヨネーズを持ってテーブルに戻ると、半分に折ったトーストを開いて、マヨネーズを絞り出す。 茹で卵とマヨネーズと、冷め始めて硬いトーストが口の中粉々になっていく。 嫌な気持ちも飲み込むみたいに、結芽はカフェオレを喉に流し込んだ。 「はい、できた」 母親が二つのお弁当包みをテーブルに置く。 「やるって言ったのに」 「時間ないでしょ?」 「あっやばい!」 テレビの左上に光る現在時刻をみて、結芽は焦った。 テーブルに溢れたままの卵の殻をそのままに、お弁当をリュックに入れて玄関に向かう。 「いってきます!」 「気をつけるのよ」 母親の声が背中にかかる。 …結芽が出かけると、今から数十分、両親が二人きり。 その間、どんな話をしているのか、結芽は考えたこともなかった。 玄関タイルの上に、父親の革靴がきちんと揃えられている。 時々akiのSNSに映り込んでいる、履き古した革靴。 嫌なものを見てしまった。 結芽は革靴の爪先をわざと踏んで、そのまま玄関を出た。 「おはよう結芽!ニュースみた?」 「なに?」 教室に入るなり、最近仲良くなったミチルが、スマホ片手に近づいてきた。 「斉藤明文がまた不倫だって、今度は地下ドル」 「…へえ」 去年か一昨年に不倫がニュースになった俳優だ。 父親と同年代。 確か、最近役者デビューした息子がいる。 「息子かわいそうだよね、父親の七光りでデビューしたのにこんなことでしか話題にならないって」 「朝ドラに出てるんだっけ?」 「そうだよーよりによって朝ドラだよ?降ろされたらどうするんだろ」 「父親の不祥事は関係ないと思うけど…」 「あるでしょ!息子みるたびに、あー斉藤明文、不倫したんだよなーって目で見るじゃん」 「…そう、だね」 心臓がバクバクする。 父親の不倫の責任なんか、子どもに背負えるわけない。 スマホで斉藤明文を検索すると、不倫スキャンダルのニュースの下にWikipediaがある。 息子の名前のリンクから、SNSにたどり着いた。 先週から更新が止まっている。 この辺りで、スキャンダルが出ると知らせがあったんだろう。 「あんまり、父親に似てないね」 ドラマの衣装を身につけた笑顔に向けて呟く。 父親がだらしなかっただけなのに、こんなことで、彼の未来は無くなってしまうんだろうか。 「あ」 隣で同じようにスマホを触っているミチルが声を上げた。 「相手の地下アイドル、契約解除だってさ」 思わず、表情が歪む。 「そっか」 不倫には代償がある。 「当然だよね」
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