14人が本棚に入れています
本棚に追加
「結芽、まだ起きてるの?」
鍵をかけた部屋のドアの向こうから、母親の声。
慌てて、ノートの下にスマホを隠す。
「宿題が終わらなくて。終わったら寝るから大丈夫」
「そう、頑張ってね」
足音が階段を降りていく。
結芽はホッとして、ノートの下に隠したスマホを取り出した。
時刻はもうすぐ0時。
父親がまだ帰ってこない。
宿題は終わっているけども、帰ってこない父親と、更新されないakiのアカウントが気になって眠れそうにない。
気晴らしに宿題終わらないやばい、とSNSに投稿して、すぐに詩織からからかうようなコメントがついて、苛立ちを覚えた。
(終わってるよ。でも、眠れない)
お父さんが帰ってこない。
ただ起きていても睡眠時間の無駄だから、今日の復習と明日の予習まで終わらせた。
結芽ががむしゃらに勉強するようになった時期と、父親の不倫に気がついた時期は一致する。
父親の気を引くために悪いことをするより、自慢の娘になるほうがいいと思った。
好成績で、家の手伝いをよくして、門限を守る。
学校では詩織以外にも仲のいい友達が出来た。
動画アプリを立ち上げて、今日、学校で笑いながらみた動画を見返してみる。
一人だと笑えないことに気がついて、すぐに閉じた。
またSNSを開く。
美味しそうなアフタヌーンティーの画像が目に飛び込んでくる。
(そういえばお腹すいた、でもこんな時間に食べたら太る)
もう寝ないと、明日起きられない。
結芽は諦めてベッドに入った。
暗い部屋でもう一度、SNSを開く。
煌々と目に痛い光。
(寝る前にスマホをみると…睡眠の質が下がるんだっけ…)
うつらうつらと目を閉じて、そのまま寝落ちしてしまった。
がたん。
階下の物音に目が覚めた。
枕元で充電コードに刺さっているスマホを手探りして、時間を確認する。
(…4時半)
静かに階段を上がってくる気配。
父親がやっと帰ってきた。
(朝帰り、か)
眠い目をこじ開けてSNSを開いて、アカウントを切り替え、akiの投稿をチェックする。
最新の画像は昨夜と同じ。
24時間で消える機能に、最新の投稿を示すマークがついている。
結芽はこの機能が好きではない。
どのアカウントに見られたのかわかってしまうから、結芽はわざわざ裏アカウントを作ることになってしまった。
akiの投稿はどこかのホテルのベッドと、ペディキュアの足。
コメントはない。
生々しさに眠気が去ってしまった。
(…きも)
どこのホテルなのか特定しようと思ったけど、画像を保存するのもおぞましい。
ここでakiと過ごして、明け方、家に帰って、母親の隣で眠る父親。
そんな父親を好きでいられるわけがないのに、結芽はあと二時間後には笑顔で朝食を食べなければいけない。
スマホを放り投げて枕に顔を埋める。
(とりあえず寝直す、寝る、寝るんだから)
まぶたの裏に焼きつくホテルの白いシーツ。
それがなかなか消えなくて、何度も寝返りを打った。
トーストと茹で卵とカフェオレ。
いつのもメニューがいつものように並んだ食卓。
「おはよう」
朝帰りしたくせに、父親はもう出勤の支度をしてテレビのニュースを見ている。
「…おはよう」
父親の正面に座るのが嫌で、結芽は椅子を少しだけ横にずらした。
「昨日遅かったの?」
「残業だよ」
「…お疲れ様」
よくこんなに白々しく嘘をつけるものだと、結芽は茹で卵に苛立ちをぶつける。
「あ、やっちゃった」
派手に砕ける殻。
半熟より少し硬めの黄身までボロボロとテーブルに溢れる。
結芽は崩れた茹で卵をトーストに乗せて半分にたたむと、大きく口を開けてかぶりついた。
味が薄い。
「お母さん、マヨネーズ欲しい」
「ちょっと待ってね」
結芽と父親の分のお弁当を作っている途中なのか、母親はバタバタしている。
「それくらい自分でやりなさい」
父親に言われてムッとした。
(不倫朝帰りしておいて、娘に説教ですか)
無言で立ち上がり、冷蔵庫を開けて、マヨネーズを取り出す。
「結芽、ついでにケチャップも取って」
「…はい。お弁当何?」
「ウィンナーのケチャップ炒め、コールスロー、おにぎらず」
「あ、おにぎらず好き」
「あらそう?良かった」
母親が作るおにぎらずは具が多くて、いわゆる『萌え断面』だ。
これが同級生にけっこう受ける。
SNSに投稿した時も、いいねがたくさんついた。
(…いいねはつかなかったけど、見てたんだろうな)
akiのアイコンが頭をかすめた。
「俺は普通のおにぎりがいい」
父親がテーブルから、テレビを見ながらそう言う。
「作る前に言ってよ。まぁ、私がお昼に食べるわ」
そう答えて、母親は急いで炊飯器からご飯をボウルに移し、ふりかけを混ぜておにぎりを握っている。
こんな男の言うことを聞かなくていいのに、と結芽は朝からモヤモヤする。
「包むの、やるから」
「いいから、先に食べちゃってね」
「…うん」
マヨネーズを持ってテーブルに戻ると、半分に折ったトーストを開いて、マヨネーズを絞り出す。
茹で卵とマヨネーズと、冷め始めて硬いトーストが口の中粉々になっていく。
嫌な気持ちも飲み込むみたいに、結芽はカフェオレを喉に流し込んだ。
「はい、できた」
母親が二つのお弁当包みをテーブルに置く。
「やるって言ったのに」
「時間ないでしょ?」
「あっやばい!」
テレビの左上に光る現在時刻をみて、結芽は焦った。
テーブルに溢れたままの卵の殻をそのままに、お弁当をリュックに入れて玄関に向かう。
「いってきます!」
「気をつけるのよ」
母親の声が背中にかかる。
…結芽が出かけると、今から数十分、両親が二人きり。
その間、どんな話をしているのか、結芽は考えたこともなかった。
玄関タイルの上に、父親の革靴がきちんと揃えられている。
時々akiのSNSに映り込んでいる、履き古した革靴。
嫌なものを見てしまった。
結芽は革靴の爪先をわざと踏んで、そのまま玄関を出た。
「おはよう結芽!ニュースみた?」
「なに?」
教室に入るなり、最近仲良くなったミチルが、スマホ片手に近づいてきた。
「斉藤明文がまた不倫だって、今度は地下ドル」
「…へえ」
去年か一昨年に不倫がニュースになった俳優だ。
父親と同年代。
確か、最近役者デビューした息子がいる。
「息子かわいそうだよね、父親の七光りでデビューしたのにこんなことでしか話題にならないって」
「朝ドラに出てるんだっけ?」
「そうだよーよりによって朝ドラだよ?降ろされたらどうするんだろ」
「父親の不祥事は関係ないと思うけど…」
「あるでしょ!息子みるたびに、あー斉藤明文、不倫したんだよなーって目で見るじゃん」
「…そう、だね」
心臓がバクバクする。
父親の不倫の責任なんか、子どもに背負えるわけない。
スマホで斉藤明文を検索すると、不倫スキャンダルのニュースの下にWikipediaがある。
息子の名前のリンクから、SNSにたどり着いた。
先週から更新が止まっている。
この辺りで、スキャンダルが出ると知らせがあったんだろう。
「あんまり、父親に似てないね」
ドラマの衣装を身につけた笑顔に向けて呟く。
父親がだらしなかっただけなのに、こんなことで、彼の未来は無くなってしまうんだろうか。
「あ」
隣で同じようにスマホを触っているミチルが声を上げた。
「相手の地下アイドル、契約解除だってさ」
思わず、表情が歪む。
「そっか」
不倫には代償がある。
「当然だよね」
最初のコメントを投稿しよう!