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訝し気な花さんの表情が、ふと、何かに気付いたように空を見た。次の瞬間、大粒の雨が盛大に降り注いでくる。
「やだ、うそっ」
見上げることもままならず、咄嗟に顔を俯かせた。耳にうるさいほどの音を立てて地面を打ち付け、あっという間に黒く染めてしまう。繋いでいた手が離れた。鞄を両手で抱えるその身体が雨粒にさらされている。
どこか雨宿りを、と思って見渡すも、静かな住宅地には店などない。
「走ろう」
小さく、けれど雨音に負けないように張った声が、耳に届く。離れたばかりの手が再び握られ、濡れた感触が表面を滑る。ぐっと力を込められたかと思えば、そのまま強く引っ張られた。
地面の雨粒を弾けさせながら走る彼女に、どこか呆気に取られてしまのは、こんなふうに手を取って先を行く姿を初めて見るからかもしれない。らしくないその行動に、どこか魅了されてしまう。
五分ほど走り、マンションに着いた。エントランスに駆け込み、雨粒が当たらない場所でようやく足を止めて息をつく。
俺も、花さんも、ずぶ濡れだ。服は水分を含んで重たいし、靴の中は気持ち悪い。
「よかった、鞄の中は無事だ」
抱えていた小さな鞄を覗き、ほっと笑顔を見せる。その髪からは雫が滴り、額に張り付いている。同じように身体のラインを浮き彫りする服を見て、慌てて顔を逸らした。
「早く中入ろう」
「……ここにいる」
歩き出そうとする花さんが、驚いた顔で振り向いた。何を言っているのだとばかりに表情に出ていると思えば、「なに言ってるの」と口に出して言った。
「駄目だよ、早く拭かないと風邪ひくよ」
「ここで待ってるから、花さんが着替えたらタオル持ってきて」
「いや、駄目だって……、どうしたの」
困ったように眉を寄せるのを見て、思い知った。ほら、やっぱりだ。気にしているのは俺だけだった。こんなずぶ濡れになって、部屋の中へ上がったりなんかしたら、自然とそういう状態になる。何事もなく着替えて、じゃあさようなら、なんて、今の俺には絶対に出来ない。
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