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物語と共に育った少女
「敷島君、今日時間ある? 少し遠くまで行こう。」
「あぁ、大丈夫。」
作戦決行前日。
町はずれの河原で、俺たちは寝転がる。夕日も沈み空はだんだん暗くなっていく頃だった。
「敷島君も薄々気が付いたとは思うけど私さ、常識がないでしょ」
突然なにを言い出すかと思えば。まぁ否定はできないが。
「でも博識だ。俺は君以上に物知りな人間にあったことがない」
「博識か。うん、そうだよ。私の唯一かもしれない取り柄だからね。敷島君はさ、私が博識な理由を考えたことある?」
「え。まぁなんにでも興味をもって調べたとか、親が博識だったとか」
「親のせいってのは間違っていないよ。敷島君はサミュエルの論文って知ってるよね?」
「もちろん」
今年の初めに発表され話題となったサミュエルの論文。「環境が及ぼす幼児への影響」。アメリカの有名大学の心理学者サミュエルによる人体実験でその非人道性から非難が殺到した論文だ。
彼は人の能力の得手不得手はいつ決まるのか、先天的な才能の有無の研究をしており、七年前に乳育児百人を集め、それぞれにスポーツ選手、研究者、兵士などの役職をランダムで振り分けその役職のための教育を行い、うまくいけばハーピーを投与するという実験を行った。そうすることでその道のスペシャリストが人工的に作り出せるのではないかと。
結果は彼曰く成功だったそうだ。
しかし実験の倫理性やそもそもの正確性、手法の正しさについて様々な議論が巻き起こりサミュエル博士は逃亡。いまだ行方不明だ。自分には関係ない話とそれを聞いた当時の俺は関心を持たなかったが。
「私はあのサミュエルの子供たちと同じような育てられ方をしたの。私の親はね、自称研究者だった。研究対象は本。読書が幼児に与える悪影響について。敷島君は読んだことある? 小説とか」
「いや、ないな」
別に珍しいことでもない。それどころか小説なんて読んだことある人のほうが珍しいだろう。インターネットの中には稀に落ちていることもあるが読む気が起きない。回りくどく語る小説という媒体はこの、簡潔であることが美徳とされる現代にあっていないのだろう。
「そう、それが普通なんだってね。わたしは小学生の時、ずっと読んでた。多分一万冊はくだらない」
一万冊!? それは……尋常じゃない。
「昔、読書害悪論って言われる風潮があってね、特に小説は回りくどくて性格も捻じ曲がるとか空想ばかり語るようになるとか言われてね、今でも信じてる人は大勢いると思うわ。大きく否定されなかったもの。肯定もないけれど。
私の両親は読書が悪だと信じていてそれを世間に示したかった。だから実験したの。私で。
私の脳内にある最も古い記憶は真っ白い部屋で本を読んでいること。
記憶も無い小さい頃に日本語の読み書きを叩きこまれて、その後本しかない部屋に閉じ込められた。童話も大衆小説も純文学も漫画も、ありとあらゆる物語があの部屋にはあったわ。時間になると勝手にご飯が配膳されたから食の心配はない。ただ私はやることがなかった。本を読むしかなかった。飽きた時も何度もあった。破って折り紙にしたこともあった。ドミノ倒しにしたこともあった。ただどれも飽きて結局本を読むしかなかった。
物心がついたとき、私の周りにあるのは本だけで、それが私の世界のすべてだったの。
私が部屋を出されたのは中学に上がる直前だった。
ドアを開けて初めて顔を見る両親が、頑張ったねって褒めてくれたわ。そしていくつか質問をしてきて、私は……どう答えればよかったのかしらね。
素直に答えた私に、親は不機嫌な顔をして失敗だ! って言ったの。
どうやら彼らは私が捻くれて歪んだ性格になってることを望んでたみたいなの。私は実験失敗だって。
そんな両親と上手くやっていけるはずもなくて、東京での生活は本当に大変だった。家に帰りたくないから友達と遊びたい。でも今まで外の世界を見たことがなかったから話がなかなか合わなくて友達もできなかった。東京はここみたいな空いた土地もないから暇をつぶす場所もなくてね。親に言ってもハーピー渡してくるだけで。私は耐え切れずに逃げ出しちゃったの。
ここに来たのは北海道の知事の方針を知っていたから、そして祖母がいるから。寝たきりだけどね。
だから敷島君、私嬉しかったんだよ。私一人の勝手な張り切りに敷島君は付いてきてくれた。始めこそ邪険にされてたけど今ではここまで付き合ってくれてる。
一人張り切ってる私の話を冷めた目で見るわけじゃなくて真剣に聴いてくれる。
私は思うよ。敷島君みたいな人が増えればきっと理想に近づけるって。
時間が許すのなら、本当にやるべきことは革命なんかじゃなく人それぞれに寄り添ってお互いにお互いを人間として見つめあうこと、それを普及することだよ。
それが本当の意味でディストピアから世界を救う唯一の方法なんだよ」
「ディストピア?」
「そう、ユートピアの対義語。でも崩壊して荒廃した世界じゃなくて安全に管理された、一見ユートピアにみえるけれど実際は人間性が無視されてる世界のこと。私はこれを避けるために何かできないかと動いていたの。で
も、やっぱり一人じゃ限界があるわね。さぁ、どうでもいい自分語りはここまでにしますか。ごめんね、詰まんない話で。でも、敷島君には秘密にしておく話でもないなと思って」
キソラの過去。
まったく考えたことないといえば嘘になる。
こんなにも教育のシステム化、社会の機械化、生活の利便化が進み、思考が日常から消え去った世の中でどうやってキソラはこう育ったのか。そしてその博識さはどこから来ているのか。
単純に親が教育熱心だったとか、元々そういう変わり者だったと勝手に思っていたがここまで重苦しい過去があるとは思わなかった。
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