白紙の狂人たち

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 思わず身震いした。  塀の中に入った時に感じた重い空気がどんどん重さを増してる。洞窟に水を撒き散らしたような湿気の溜まり方。実際にそんな所に行った事はないけれど、他に適した例えが思いつかない。  とにかく重い空気が渦巻いていて、居心地が悪い。  私はここにいていいのか、今すぐに出た方がいいのか、そんな疑問が頭をよぎる。 「ボディチェックを行います。ここは女性看守がいないのでご了承ください」 「気にしないでいつも通りにしてください。あなたは仕事をしているだけですので」 「そう言って頂けると助かります」  一通りボディチェックをした看守さんは申し訳なさそうに私を見つめる。悪い事はしてないのに、男というだけなのに、なんだか私まで悪い気がしてきて申し訳なくなる。 「ご協力ありがとうございます。中に持ち込んでいいのは紙とペンだけ、その他のものを持ち込めば処罰対象となり二度とここには入れなくなりますのでご了承ください」 「わかりました、ありがとうございます」  ふっと息を整えてドアノブを回した。  扉一枚でこんなに変わるのか、というほどに空気が一変する。鉄の壁、部屋を遮るガラス、反対側の壁とガラスはどうやったらそれほどまでに傷がつくのか不思議に思うほど傷だらけになっている。  ガラスの前には簡素なパイプ椅子、反対側にも同じパイプ椅子が用意されていて男が退屈そうに座ってる。 「お待たせしました」 「随分長くかかったのですね」 「思ったよりチェックが多く時間がかかってしまいました」 「ここは重い罪を犯した者ばかりがいるのです。簡単に入れてしまったら大変でしょう。そうは思わなかったのですか?」 「……すみません、次からはお待たせしないように気をつけます」  この人と会話をするのは骨が折れそうだ。そんなことを思いながらパイプ椅子に座るとギシリと軋む。 「改めて、初めましてリールス・ロー・ミゼナーさん。私はペドゥンクロ・デ・ペタシテス。自由に呼んで頂いて構いません」 「よろしくお願いします、ペタシテスさん」  この男はこんな人間なのか。この男についてはある程度調べたつもりだ。過去の記事は手に入れられる限り全てに目を通したし、幼少期からの人生も大体は把握できてるつもりだ。私の中で男がどんな人なのかある程度想像はしていたけれど……あまりにも想像と違いすぎる。  この男はこんなに物腰の柔らかく丁寧な人間じゃないはず。 「仮面なんて被らなくていいのですよ。私はありのままのあなたとお話がしたいのです」 「私はここに入って変わったのです。今はこれが素の私、勝手に私という人間を決めつけないで頂きたい」  男の一言を聞いて思わず笑みがこぼれる。 「……私は今、笑うようなことを言った覚えはありませんが」 「いえ、改めて人間とは面白いものだなと思いまして」  一筋縄ではいかないのはわかった。けれど、私としてはその方が面白い。簡単な人間から生まれる面白みのない真っ白な物語なんて求めてない。複雑でわかりにくい真っ黒な物語の方が人々の心に突き刺さる。 「あなたは私の人生について聞きに来たと伺っております。間違いありませんか?」 「はい、その通りです」 「では、あなたが質問する前に私から質問をさせて頂きます」  男は少しだけ目を細めて私を見つめる。 「なぜ、私と面会ができたのですか?」 「……と言うと」 「私は大勢の人間を殺したシリアルキラー。そんな私に会いたいと思っても、そう簡単に会うことはできないはず。あなたの後ろには誰がいるのかと思いまして」 「IQが低いと伺っていたので見下していましたが、そのような事はないようですね」  男が私を見ている目、あの目を向けられるのは初めてじゃない。疑いを持っている目に睨まれるのはもう飽きた。 「私は作家として活動しています。新作を書くために殺人鬼への取材をしたいと申し込んだら、思ったより簡単に許可がおりたのです。あなたが怪しむような人間ではないのでご安心ください」 「作家名は本名ですか? それともペンネームをお使いに?」 「作家名はベラトニクス・デ・ペタシテスという名前を使ってます」 「……話せば話すほど質問したいことが増えてしまう。これではあなたの目的が果たせないですね」  ふふ、と不敵な笑みを浮かべた顔は妖艶で美しい。大量殺人を犯した犯罪者だと言うのに、私はその犯罪者を迂闊にも美しいと思ってしまった事を後悔した。 「さて、次はあなたが質問をする番ですね。私の機嫌を損ねないようにしてくだされば全てをお話致しますよ、ペタシテスさん」  全てを話してもらいましょう、リールス・ロー・ミゼナー。  私のためだけに。
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