レモネードはいかが?

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     HOMEMADE LEMONADE 25cents   そう書かれた白いコピー用紙がテープで貼り付けられているチョコレート色の木の箱。よく見ると、それは棚で、紙の貼られた面の裏側に板はなく、中は二段になっており、上の段には受け取ったお金を入れるアルミの缶が、下の段には祖母の作ってくれたレモネードと、使い捨ての紙コップがある。その棚でできたカウンターの後ろには、アウトドア用の、丁度映画館の椅子のように、肘置きの部分にコップを置く穴のある、折り畳みの椅子に、少女がだらし無く座っている。気持ちのいい小麦色に焼けた細い腕が、ノースリーブのワンピースからにょきっとのびている。なんだか眠そうな、瞼の若干落ちた目は、ただ道路を目的もなく見つめている。下唇の分厚い口は半開きで、手だけはゆったりとだが、絶え間なく、動いている。少女はあんまり暇なので、無意識に、指を引っ張ったり、爪を弄ったりしているのだ。少女は何分かおきに体勢を変える。  ここは少女の住む都会と違い、ダウンタウンに店が数件、少女の祖父母の家付近にレストランがあり、町からハイウェイに出る道沿いにガソリンスタンドとファストフード店があるきりで、後は学校と、住宅街だ。小さな町である。モールや空港のある街に行くには、二時間程度草原の中を車で走らなければならない。その所々に、小さな個人の農場もある。  この地域は、冬は氷点下三十度程度まで下がるが、夏は三十度を越すことは滅多にない。日差しが強く、カラッとした暑さだ。長い冬に比べ、夏はとても短い。夏休みになると、少女と母親は、この町の祖父母の家に一週間ほど泊まりに来るのが、恒例だった。  時々通りかかる車から、肌が漂白したように白い、老いた夫婦や、家族連れが視線をよこすが、止まる車は一台もない。散歩中の赤子連れの、小太りで浅黒いインド系の女性と、公園帰りの少女より二歳ほど年上らしい少年たちが一杯ずつ買っただけで、あとの客は半時間に一度くる祖父母だけだった。少女はもう五杯目になるレモネードを、噛んで縁のフニャフニャになった紙コップに注いだ。紙コップには桃色のマジックペンで「JANE」とつたない字で書かれている。一口飲むと、コップをカウンター代わりの棚の上に置いた。ブロンドの産毛の生えた、細いが肉付きの良い脚を、ジェーンは前へ力なく伸ばし、上半身を、沈んでいくかのように、徐々にずるずると、椅子の中へ落としていく。顎を丁度鎖骨のあたりにくっつけて、睨みつけるような上目遣いで、空中を飛ぶ黒い点の虫を見つめる。汗ばんだ肌に、風が吹き付けた。薄桃色のサンダルが、芝生の上へばらばらに、片方は逆さに、放られている。  人の歩いてくる気配がして、ジェーンは体を起こした。汗でべたついた肌に、サンダルより少し濃い桃色のワンピースが纏わりついて、気持ち悪い。ダウタウンの方向から歩いてきたのは、さっきレモネードを買っていった少年達の一人だった。二度は買ってくれないだろうと、ジェーンは少しがっかりする。近付いてくるその、黒髪でのっぽの少年の動きを、ジェーンは無気力なダークブラウンの瞳の目で追う。少年は、ジェーンの前で足を止めた。アラブ人のような、目や眉のはっきりした顔立ちで、浅黒い。膝より少し短いカーキ色の半ズボンに、クリーム色の半袖の襯衣を着ている。手足の毛は細いが長く、黒いので目立つ。 少年は黙ってコインを棚の上へ置いた。ジェーンは少年を数秒見つめて、それからコインを見つめて、それを缶に入れた。少しにごっているが甲高い音がした。 ジェーンがコップを取るのに屈むと、やわらかな春の黄金の日差しのような髪がさらさらと流れ、首が露わになる。少年は彼女の首に、二つほくろがあるのを見た。ジェーンは新しい紙コップにぬるくなったレモネードを注いで彼に渡した。 「ありがとう」 少年は受け取って、「ありがとう」と返した。 「君、ジェーンって言うの」 少年は受け取ったレモネードには口をつけず訊ねた。 「そうよ」 「僕はレナード」 レナードはレモネードを一口飲む。ずいぶんぬるいことに気が付いたが、笑って肩をすくめただけだった。 「ここの子じゃないでしょ?」 「空港の近くの街から来たの」 「クラークさんの孫でしょ?」 「ええ。毎年来るの」 クラークさんとは、ジェーンの祖父母の苗字だ。つまり、母の旧姓。レナードは今まで彼女に気付かなかったことを不思議に思った。とても魅力的な子だ。目が良い。このとろんとした、催眠術にでもかかってるみたいな目。レナードは彼女に微笑みかける。 「おいしいレモネードだね」 「おばあちゃんが作ったのよ」 ジェーンはおばあちゃんのことを思う。優しいおばあちゃんだ。白い髪はソバージュのように波打って、ジェーンはそれが好きだった。 「何歳なの?」 「十よ」 「僕は十三。隣に座って良い?」 ジェーンが小さくうなずくと。レナードは芝生の上に腰を下ろして、レモネードの入ったコップを隣に置いた。ジェーンよりずっと暗い色の目は、ジェーンの拗ねたような唇、平たい胸から、深爪になったピンク色の爪さきへと視線を移す。ジェーンが顔を動かす度に、短く細いブロンドの髪が揺れる。レナードは、もう一度あのほくろのある首、汗で光る首を見たいと思った。 「クラークさんと僕の祖父母は仲が良いんだよ。よく日曜日の礼拝の後にお昼を僕ん家で食べるんだ」 レナードはその食事会が嫌いだった。退屈な教会の後の、退屈な食事会。レナードの従姉妹達は皆女だった。従姉妹達は魅力的とは言えなかった。歳の離れた叔父や祖父の話は堅くつまらない。ふと、レナードは、一度だけ、クラーク夫妻の娘夫婦が、子供を連れてきていた事を思い出すが、彼らには娘が五人もいるので、どの子かはわからない。 「今度の食事会には、君も来るといい。いつまでいるの?」 「来週の金曜まで」 「じゃあ今週しかチャンスはないな」 レナードはジェーンの無言を肯定の意と取った。レナードは食事会を初めて有難く思った。ついでに神にも感謝した。レナードは気分が良くなって、色々話始めた。彼の両親のことや、従姉妹達のことや、学校の友人のことや、嫌いな先生のこと。ジェーンは訊ねられれば言葉少なに返し、相槌を打ち、微笑んだ。彼女の声は低く、穏やかで、心地よいものだった。ジェーンの微笑みは、何かを恥じらう乙女の、照れ隠しの微笑みのようだ。レナードの中の彼女のイメージは一人歩きしだした。彼女の黄金の髪は神の国の暖かく、清らかで、尊い光で染めた絹であり、ピンク色の唇はエロースの唇であった。十三の少年の、初心な心は、この素敵な少女を偶像として崇めていた。怠惰な目、アンニュイな目。何か恐ろしい陰鬱な物語の中の少女のような、曇り空のような瞳だ。しかし、金色に光る髪の中で、その瞳は上手くそれと調和して、もの悲し気な、慈悲深い瞳に思えた。 「君の好きなものを、お母さんに作ってもらおう」 レナードははにかんで言った。  その様子を、クラーク夫人は白いカーテンのかかった、白い枠の窓から見ていた。彼女は微笑んでいた。眩しい光の中で、鮮やかな芝生の上にまだ若い男女が座っているのは、心地の良い風景だった。 「あれは、ホワイトさんのお孫さんね」 彼女は後ろの安楽椅子に夫がいると思い、振り返って言ったが、誰もいなかった。「あら」とおどけた顔で首を振るが、誰も見ていない。彼女は窓に顔を近付ける。眩しいので、右手を目の上に掲げる。シルバーのバンが駐車場に入ってくるのが見えて、夫人ははっとした。ジェーンが立ち上がる。足が棚に当たって、こけた。レモネードが芝生を濡らす。ジェーンのコップは車道の方へ転がって行ってしまった。バンから、ブロンドの髪の女性が降りてくる。右手にエコバックを、左手に牛乳を持っている。 「ジョン!」 彼女は叫んだ。家の中にまで響く大きな声だった。ジェーンが怯えたように首をすくめる。意味もなく、紙コップを一つ拾った。クラーク夫人は慌てて外に出た。  ブロンド髪の女性は持っていたものを座席に置くと、大股でジェーンの所へ歩いて行き、彼女の右腕を掴んだ。 「痛い!お母さん!」 ジェーンは空いている左手で母親の手を引きはがそうとするが、母親は握っているのと反対の手でその手を叩いた。彼女は長い、ジェーンと同じ色の髪を振り乱して、怒っている。 「母さん!」 彼女はジェーンの目のようではない、力強い目でクラーク夫人を睨みつけて叫んだ。 「この子に女装させないでって言ってるじゃない!」 レナードは思わず立ち上がり、その拍子に傍らのレモネードのコップがこけた。
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