4月+8月=12月

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4月+8月=12月

 私は春。  いつかの曙、きみは私の顔を覗き込んで、優しく頬を撫でてくれたね。  私はそれで目が覚めたんだけど、きみはどこにもいなかったんだ。  きみがいないとどうなるのかって?  私もいないことになっちゃうの。  それは、私がきみに依存しているっていうことではなくて……。  ……うまく言葉にできないけれど。  きみが私の中の、私を私たらしめているモノを、私の外側へ引っ張り出してしまうから。  引っ張り出されたそれは、ひどく醜くびよーんと伸びて、赤黒い汁を真下の地面に一方的に吸わせるの。  ねえねえ。  だからさ。  帰ってきてよ。  わたしのためじゃなくていいから。  たんぽぽの綿毛が綿毛であり続けるように、魚の鱗が鱗であり続けるように、そんなふうにきみはきみであり続ける必要はないんだよ。  そんなの、きみらしい姿じゃないんだよ。  きみはただ、私のそばで踊る月、私の陰で(おご)る花を、見ていたくなかっただけなんでしょう?  知ってるよ。  知ってるから。  知ってるうえで、私はきみを責めたりしないから。  (はなぶさ)の美しさこそが花の美しさであると、きみは私に語ってくれたね。  私にはあまりよくわからなくって、そうかなあ、なんて夢の中みたいな音で呟いたのを覚えているよ。  きみには私がよくわからなくって、中身の外身に準ずるは無し、外身の中身に殉ずるは無し、そう言ってぷいと向こうを向いてしまった。  かつて、きみは私に愛を囁いたけれど、その囁きはひどく揺らぎを伴っていて、私の中心にある振り子時計を上下左右に撹拌(かくはん)させたんだ。  だけど、私にはそれしか信じられるものがなくって、きみに触れてもいい? と尋ねたんだ。  きみがいることで、私は私として、形を保たないながらも、清く湿潤たる散漫な気体として、この世界にとどまっていることができるんだよ。  それを私が望む、望まないにかかわらずね。  ……もう、いいや。  きみがそういうことであるのなら、好きにすればいいじゃない。  もう私はきみに触れたいなんて言わないし、きみと同じ時を感じたいなんて思わないし、きみに触れられたときに(あで)やかに喘いだりもしない。  そのかわり、私はきみに(ひざまず)いたりしないし、きみに謝ったりしないし、きみに口づけしたりもしないから。  だから。  きみはきみの好きなように、私に触れるなり、私を引き裂くなり、私を遠ざけるなりすればいいの。  私はそれを非難したりしないし、悲しんだりしないし、笑い飛ばしたりもしない。  もういいから。  もう、たくさんだから。  きみは、私のすべてを変えてしまった。  悔しいけれど、私はきみに出会ってから、以前の私の跡形がわからなくなるくらいに、美しく、清く、幼く、激しくなってしまったの。  返してよ!  私を返してよ!  そうやって喚くことは簡単だけど、私はそうはしたくない。  だって、そうでしょう?  きみはそれを望むでしょう?  だから、私はそうしないの。  そうしたくないわけじゃない。  喉が地面に擦れるような声で叫び出したくなるときもある。  けれど、きみはそれを望むでしょう?  だから、私はそうしないの。  私は君がいないと、私ではないなにかになってしまうでしょう。  けれど、それはきみが望まないことだと思うから。  さようなら。  やっと言えたわ。  最後に言えてよかった。  最後がきみでよかった。  私は春。  きみは夏。
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