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盛夏
風の音。
蝉の声。
車の音。
人の声。
僕の周りに夏の匂いがある。
湿気を含んだ熱気の中に、あの夏の思い出やこの夏の胸の高まりが溶け込んで、所在なさげに漂う僕に前進力を与えてくれる。
街路樹や生け垣の緑は燃えて、環状道路のアスファルトはギラギラと滾った輝きを放つ。
遠く積乱雲は高層ビルを圧倒し、遥か炎天はその自慢の青に磨きをかける。
洗濯機は休日返上で水を濁し、室外機は過労死寸前で空気を乱す。
夏は全身全霊で世界を焦がし、僕は胡乱に目を閉じる。
おーい。
聞こえるか?
夏の音が聞こえるか?
僕の声が聞こえるか?
聞こえたら返事をしてほしい。
聞こえないなら近くに寄って来てほしい。
ぜひ聞いてほしいんだ。
この体を震わす夏の音を。
この瞼を震わす僕の声を。
聞こえるか?
聞こえるか?
聞こえるか?
聞こえるか——
無音。
物言わぬ月、光を通さぬ窓、いつか見た夢のてるてる坊主。
口を聞く虫、聞く耳を持たぬ花、繋がりを保つあやとり紐。
あなたは未だそこにいる?
いつかの白昼の、日の差す畳座敷に落ちる影。
僕はあなたを覚えている。
あなたは僕を覚えている?
またいつか、白昼の日の差す畳座敷にて。
あしたもてんきになーあれ。
風の音。
蝉の声。
風鈴の音。
あなたの声。
とある盛夏の日の慕情。
僕の周りには何もかもがある。
僕の中には何もない。
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