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大人の知らない、自分たちだけの場所を作りたがるのは子どもの本能だと思う。
木を組み合わせて、大きな葉っぱを集めて、自然のほら穴を利用して作った小さな家(というほど立派じゃないけど)は僕たちだけの基地だ。
あっという間に日本が勝って終わるのだと思っていた戦争はいつまで経っても終わらないで続いている。
機械を作る会社から軍需工場に連れて行かれた父ちゃんの手紙は段々と間が空いて、もうしばらく届いていない。一番上の兄ちゃんは今どこで戦っているのかも分からない。
そんな中、二番目の兄ちゃんの戦死の報せが届いた。
母ちゃんは誇らしいことだと言っていたけれど、雨の日の晩に暗い台所の隅で泣きながら恨み言を吐いていた。
あれは母ちゃんじゃない、妖怪の声がするから聞いちゃダメと、子供だましの嘘を吐く姉ちゃんに耳をふさがれて寝た僕が本当にふさがれていたのは心だったのだと思う。
なにもふさがれない場所が欲しかった。僕は三軒隣の家のしゅうじと二人で作った秘密基地のことばかり思っていた。
こんなに雨が降っていたら、屋根代わりにかぶせた枝や葉っぱが流れてしまうんじゃないか。
雨がやんだら見に行って、壊れたところを修理して、そうしてもっと頑丈に、もっと大きく。
兄ちゃんのことは、なぜだか考えたくなかった。
ときどき自分勝手に怒って、都合よく僕を使うこともあったりして、でもだいたいは優しくて穏やかな兄ちゃんだった。
雨の音と妖怪の声と姉ちゃんの鼻をすする音を聞きながら、僕は秘密基地のことばかり思っていた。
雨が二日続いて、ようやく晴れた朝、僕は意気揚々と基地へ向かっていた。
山の中に道は無いけれど、比較的歩きやすい軌道を僕は知っている。
雨で木が倒れたり土が大きく流れたりしていないことを確認しながら、いつもの道なき道を進む。
基地へ到着する直前、しゅうじを見つけた。
木にへばりついている。
何をしているんだろうと声をかけようとしたら、口の前に人差し指を立てられ、身振り手振りで呼ばれた。
目線で基地を示され、見てみる。
そこには知らない人がいた。
敵国の人だ。
髪や肌の色からして違うので、遠目にもわかる。
雨の降り出す前の日、川の近くに敵機が落ちたという話を聞いた。
機体の残骸はあったけれど人の残骸はなかったらしい。
落ちてくる途中のどこかで落ちて死んだのならいいけれど、もし生き残っていたら困る。
川向うは山深く、普通に考えて人里とは逆の方へ逃げるだろうと大人たちは昨日も一昨日も雨の中で山狩りをしていた。
落ちたその日に、一応こちら側の山も見に来たようだったけれど、雨が降ったせいもあってか、おざなりだったらしい。
優先度が高い川向うへ行くほうが明らかに人数が多かったし、集落でも力のある人たちや少ない男手が集まっていた。
僕たちも川向うへは行くなと言われたものの、こちら側の山に入るのは止められなかった。
お手柄だ。
僕たちの基地は地形的に遠目には分かりづらい上に、下手くそだけど木や草で擬態までしている。
きっと、大人たちだけでは見つけられなかっただろう。
初めて見る敵国の、恐ろしい風貌に怯えながらも僕たちは高揚する気持ちを止められなかった。
すぐに大人に知らせに行かなければいけないと分かっていたのに、僕は少しだけ考えてしまった。
僕があれを退治したら、もっとお手柄なんじゃないか?
基地の近くには竹槍と木槍がある。母さんたちと一緒に作ったのを真似て自分たちで作ったやつだ。
隣を見る。しゅうじも僕を見ていた。ちらりと顔だけ振り返る、背後には集落がある。
すぐに引き返すべきだ。大人に任せた方がいい。分かっていたけれど、僕もしゅうじも後ろへ引き返すことは無かった。
翌日。服の下に隠した手を掲げるしゅうじに、僕はふかし芋の切れ端を掲げて見せた。
しゅうじのとうもろこしより僕のふかし芋のほうが大きい。僕がニヤリとしたのを見て、しゅうじは少しだけムッとした顔をした。
芋ととうもろこしを受け取ったトンは軍歌を歌った。僕はトンの言葉が分からない。トンも僕たちの言葉が分からないらしい。
でもトンは軍歌を知っていた。歌詞はほとんど間違っていたけれど、音の雰囲気は何となく合っていた。
竹槍と木槍を構えた僕たちに向かって、トンが軍歌を歌わずに良く分からない言葉でわめき続けていたらどうなっていたのか、今の僕たちにはもう分からない。
トンが軍歌を歌える理由を僕たちは知らない。言葉が通じない僕たちは身振り手振りで何となく疎通することしかできない。
名前がトンであるらしきこと、怪我をしていて動きが鈍いこと、腹が減っていることだけは分かっていて、それで充分だった。
「△○~、シュウェオ、シューズィ、○※△~」
芋ととうもろこしを交互に食べながらトンが言っているのは多分ありがとうとかに近い言葉なんだろうと思う。
「こういうのはな、ありがとうって言うんだぞ」
「そうだぞ、トン。ありがとう、ありがとう。トン、ありがとう」
「アリマトー」
「上手いじゃん!ありまとー!ありまとー!」
次の日も僕たちはトンにキュウリと芋を持って行った。トンは足に添え木をして、相変わらず鈍いものの格段に動き回れるようになっていた。のろまな鬼ごっこをして、トンにキュウリと芋を渡して、また鬼ごっこをした。
ゆっくりとしか移動できないトンにどれだけ近づけるかを僕としゅうじは競っていたし、トンは動きが遅い振りをして時々ちょっとだけ素早く動いた。素早く動いた後には痛がってうずくまったりしていて、阿呆みたいだった。笑ったトンの目尻のシワが父ちゃんに似ていて面白かった。
こんなに形が違うのに、敵国の人間なのに、似ているところがあるなんて不思議だった。
トンのアリマトーに見送られて帰った夜、雨が降った。激しい雷雨だ。
父ちゃんと一番上の兄ちゃんは見回りに出て、遅くまで帰ってこなかった。トンが落ちた次の日の雨を思い出していた。
トンは大丈夫だろうか。基地は雨水が入りにくいように作ってあるとはいえ、この雨ではどうだろう。
翌日、基地へ向かった僕としゅうじは変わり果てた山肌を見ることになった。
集落に被害は全くないけれど、大雨で山の中は所々地形が変わっていた。
基地のあたりも、元々あったほら穴の上から崩れたような形で跡形もなくなっていた。
周囲を探したけれど、人も動物もいる気配はない。
その日も次の日も、僕としゅうじは山をうろついたけれどトンに出会うことはできなかった。
トンがいなくなって十日ほど経った。最初は毎日気にしていた僕もしゅうじも、トンのことを話すことも無くなっていた。
あの日、トンは足に添え木をして少し動けるようになっていた。どこか別の居心地のいいところへ行ってしまったのだろう。なんとなくそう結論付けて、トン探しは五日ほどで終了した。
田植えが始まって忙しかったこともある。集落が総出で順番に田植えをしていく中、鉄平と六郎が意地悪しただのしてないだので喧嘩をしていた。
そこで僕としゅうじは聞き覚えのある言葉を聞いた。
「マリマトー!」
トンの言っていた「ありがとう」と抑揚が似ていた。
六郎のばあちゃんがやめなさいと叱る声が、かなり怒っている。僕としゅうじは顔を見合わせた。
喧嘩をした罰なのか他の子供から離れた隅っこで草むしりをさせられている六郎のところへ向かうしゅうじを僕は見送った。
六郎としゅうじの家は隣同士だ。僕としゅうじが二人で詰め寄るのは不自然だけど、隣家のしゅうじが六郎を慰めに行くのは普通だ。
しばらくして戻ってきたしゅうじはムスっとした顔で、そわそわする僕に「後で」とだけ言った。
何に怒ってるのか、不機嫌なのをぶつけられて僕もムッとしたけれど、しゅうじに事情を聞かなければ僕には何もわからないので我慢した。
田植えから帰る途中、しゅうじが道を逸れた。僕もコッソリそれについていった。
田んぼに水をひく用水路の土手に隠れたしゅうじは泣いていた。
マリマトーというのは、雨の日の夜中に帰ってきた六郎のとうちゃんが話していたらしい。
「あの毛唐、日本の軍歌を歌ってやがってな。きっと俺たちに取り入って得た情報を敵国に流す気だったんだろう。叩いてる間ずっと同じ言葉を叫んでやがった。意味は知らんがきっと呪いの言葉に違いない」
僕としゅうじは、トンが埋められたという山の端に溶けていく夕日を二人でずっと見つめていた。
秘密基地のことを思いたかったけれど、基地はもう無かった。戦死した二番目の兄ちゃんが分けてくれた牡丹餅のこととか、笑うトンの目尻にできたしわだとか、そんなことばかり思っていた。
こういうときには、誰のことを思えばいいんだろう。誰に話せばいいんだろう。
夕焼けの色に、小さい頃に連れて行ってもらった街の大きな神社を思い出した。
真っ赤な鳥居がなぜだか恐ろしく思えて、一番上の兄ちゃんにくっついていた。二番目の兄ちゃんに甘えん坊とからかわれた。父ちゃんに頭を撫でられた。
いつも行く神社とは違う雰囲気に圧倒されて、その時の僕は柏手を打って目をつぶり、姉ちゃんに言われるまま、みんなが幸せに暮らせますようにと願った。
願ったのに。
僕の願ったみんなの中に二番目の兄ちゃんは入っていなかっただろうか。名誉の戦死だから幸せだっただろうか。
みんなの中にトンは入っていなかっただろうか。あの頃はまだトンのことを知らなかったからだろうか。
トンは幸せだっただろうか。
神社の鳥居と同じ色の夕焼けの向こうには、きっと神様がいる。いるのかもしれないけれど、僕は願うべきことを見つけらずに、ただしゅうじと二人で夜に落ちていく空を眺める事しかできなかった。
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