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南文化センターの入り口で立ち止まり、よしっと足を踏み出す。展示室は一階なので、入ってしまえば目の前だ。ここ、少し前に掃除に来たよなーと思いながら、床を見る。よしよし、汚れてないね。じゃあちょっと、トイレもチェックして行くか…… ここで仕事脳になってしまうのは、和香が今必死に仕事を覚えているからである。
手洗いに入って、鏡を見る。水の飛び散った跡があるが、この程度なら大丈夫。洗面台のシンクも水垢はついていない。では肝心の個室の中はいかがでしょうかと扉を開け、便座を上げてみた。
いきなり皺が寄った眉間を指先でほぐし、何をしているんだと呟いた。和香は今日、仕事に来ているのではないのである。プライベートで遊びに来て、勝手に点検したことを、誰に報告するというのだ。
初っ端に余計なことをしたのが功を奏したか、展示室に入るときには緊張していなかった。受付で手製のリーフレットなど受け取り、パーテーションで仕切った展示を見る。どうもバードウォッチングの会の写真とハンドクラフトの小物の展示がメインで、骨格標本や模型はないらしい。中学校の作品展みたいに、模造紙に分布図や特性を書いて展示してある。素人サークル丸出しのレイアウトだ。これでは確かに、客は呼べない。ハンドクラフト品の前には出展者の販売サイトが記載された名刺があり、欲しければそこから購入してくれということらしい。客より明らかに主催者側の人数が多く、写真の前では身内同士の話が繰り広げられている。
「用務員さん」
後ろから声を掛けられて驚いて振り向くと、どこかで見た女の子だ。和香を用務員さんと認識しているのだから、舘岡中の生徒なのだろう。
「舘岡中の科学部です。去年は水木先生が顧問だったので、学校の近所の公園とかで野鳥の観察してたから」
「ああ、この掲示物って舘岡中で作ったの?」
中学生って、こんなに大人っぽかったっけ。お肌ツヤツヤ髪サラサラで、足キレイ!
「部として作ったんじゃなくて、個人的に参加。一生懸命書いたんだけど、やっぱり中学生クォリティでダサかった」
ハキハキ話す彼女は楽しそうで、なんだかキラッキラだ。しかも私服の着こなしがセンスいい。
「用務員さん、最近学校に来てないですね」
「職場が変わったから……」
はるか年下の女の子のお喋りに、勢い負けしそうだ。
「鳥、好きなんですか? わざわざ来たの?」
どう答えようかと迷ったときに、スタッフドアが開いて水木先生が顔を見せた。
頭を下げながら、水木先生は言う。
「榎本さん。わざわざ来てくださって、ありがとうございます。呼んじゃって申し訳ありませんでした」
「え、水木先生が来てくれって言ったの? ナンパ?」
和香が頭を下げるより早く、彼女が突っ込んだ。
「大人が話してるときに、嘴入れない!」
白衣でもジャージでもない水木先生ははじめてで、それでなくとも緊張ものなのに、この生徒に向ける水木先生の笑顔がとても優しかったのだ。仕方のないヤツだなって呆れながら許容している笑みは、絶えず指導する立場の学校内では見られない表情。
「申し訳ありません、佐藤が失礼しました。僕が撮った写真もありますし、舘岡中の生徒が書いた掲示物もありますので」
案内してくれようとするその後ろに、また佐藤さんがついてくる。
「先生、ジュース奢ってー」
「榎本さんはこれから案内するの。佐藤はもう見終わったんでしょ」
「けちー。せっかく来たのに」
和香がいなければ、水木先生は佐藤さんとフロントのベンチに座って、一緒にコーラなんか飲んでいたのかも知れない。だからといって、水木先生が佐藤さんに賛同しない以上、和香が遠慮するのもおかしい。
写真を一枚ずつ見ていると、既視感のある風景があった。満開のアンズの木の中に、緑かかった褐色が鮮やかな小鳥たちだ。数羽で遊ぶ遠景と、鳥の目がまん丸く見えるアップ。
「これ、舘岡中ですよね」
思わず隣を仰いだ。
「ああ、やっぱりわかりましたか。そうです、舘岡中のアンズとメジロです」
水木先生が答えると、そのすぐ後ろにいた佐藤さんが、膨れっ面をしてみせた。
「あーあ、つまんないから帰るね。またね、水っち」
慌てて引き留めようとする和香を目で止めて、水木先生は佐藤さんに頷いた。
「気をつけて帰れよ。科学部の連中にも、よろしく言っといてくれ」
なんだか気落ちしたような後姿を、和香は見送った。
一通り案内してもらって受付まで戻ったら、休憩でもと入り口近くの自動販売機に導かれた。
「何が良いですか」
「コーラでお願いします」
入口近くのベンチに並んで座り、プルタブを引いた。
「佐藤さんを帰させてしまって、すみません」
和香が詫びると、水木先生は小さく笑った。
「あの子ね、友達を作るのが上手じゃなくて。今日もひとりだったでしょう」
驚いて、水木先生の顔を見る。和香に話しかけた佐藤さんは、闊達で屈託のない女の子に見えた。
「立場が違う相手とか大人相手だと大丈夫なんですが、同年代の女の子同士が難しいみたいで。少しテンポがずれただけで、笑われるんじゃないかみたいな顔して引っ込んじゃう。誰も気にしないし、大人になるころには馴染むことを覚えるだろうし」
和香が口許を押さえてしまったことを、水木先生は違う意味にとったらしい。声を明るく転調させて、もう一度写真を見ていってくれと言った。
「今日は教師じゃないんで、生徒の話はここまでにしときます。飾ってはいませんけど、メジロの写真がまだあるんです。奥に置いてあるので、見ていってくれませんか」
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