第2話

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 三人は目の前の光景をただ仰ぎ見ていました。  思い描けるでしょうか。  海を横手に歩き開けた場所に出た刹那、目の前に雄大な姿で聳え佇む富士の山。天にも届かんとするその頂には雪が降り積もりなんとも清廉な白さを纏っています。  ゴツゴツとした崖上には松。晴れやかな青さの中、雲海を遥か突き抜けた霊峰が空よりもなお蒼くそこにあります。目にも鮮やかに圧倒するようなその風景は――いえ、“風景画”は、見る者に一服の清涼剤を与えてくれるかのようです。  …カポーーーン…  どこか間延びした音が反響して湯気に曇った空間に溶けていきますが、ここではそれもまた風情。  そう。こここそが奈良を出ずして富士を拝める場所、『銭湯』なのです。 「はぁぁ~~~、こ~いうことでしたか~~ぁぁ……」  男湯にてアトソンくんが湯船に身を沈めつつしみじみと漏らします。頭の上にタオルを乗っけて「極楽極楽」と呟くのはお約束ですね。 「はふぅ……銭湯といえば富士山、ですね……」  一方の女湯ではお団子結びでひとつに結い上げたましろさんがこちらも緩みきった表情で吐息を漏らします。 「きわめて身近に富士を感じることの出来るよい場所だろう? おまけに身体も温まる」  絹のように艶やかな長髪を手拭いでまとめたまでこさんも一糸まとわぬ姿で湯あみを楽しんでいます。濡れた後れ毛が白いうなじに掛かり色っぽいことこの上なしです。  学校のほど近くにある『西の富士銭湯』の浴場には男湯・女湯を貫く一面に大きく富士の絵が描かれています。二つの浴場は中央で仕切られ行き来は出来ませんが、絵の前の仕切りは一段低くなっていてどちらにいても同じ富士の絵を見ることが出来るのです。  かといって仕切りを乗り越えてお隣を覗いたりなんてしたらいけませんよ? 「山部赤人が詠んだ富士の歌には、対となる和歌があるのだよ」  雲海から覗く富士の絵を見上げながら、までこさんはしっとりと落ち着いた艶やかな声で淀みなく詠います。 〈天地(あめつち)の 分れし時ゆ  (かん)さびて 高く貴き  駿河なる 不尽(ふじ)の高嶺を  天の原 振りさけ見れば  渡る日の 影も隠らひ  照る月の 光も見えず  白雲も い行きはばかり  時じくそ 雪は降りける  語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ  不尽の高嶺は〉 「なんか……すげーっすね」 「きれいな歌です」 「でもなんでそんなに長いんすか? 確か和歌ってゴーシチゴーシチシチ? って奴っすよね?」  まだ陽が出ている今の時間帯は浴場もそれほど混雑していません。そのためまでこさんたちは仕切りを挟んでのんびりとお喋りを楽しみます。壁を挟んで男湯と女湯で言葉を交わすなんて、アトソンくんたら羨ましいですね。
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