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ましろさんは思い出します。
通学路にある“憩いの場・喫茶『夢』”……気になるけれど、私なんかが入るのはためらってしまう程お洒落で落ち着いたお店だと、隣を歩く想い人に話したのでした。
でもいつか先輩と一緒に入るのが私の“夢”……そんなことを考えて顔を緩ませたり赤くしたりと忙しいましろさんを見て、彼はいろは歌の話をしてくれたのです。
古き賢人の遊び心と謎掛けへの浪漫をそれは楽しそうに語っていて、その笑顔が朝日に負けないくらいまぶしくて、思わず目を細めたことを覚えています。
まさかその数日後に先輩が転校してしまうなんて。
「……先輩は自分が日光に行ってしまうから、いろは坂にちなんでわたしにこの話をしたんでしょうか」
「もしかすると、それだけではないやもしれぬよ」
「え?」
意気消沈するましろさんに、までこさんが言います。
「いろは歌は七五調で綴られた和歌のひとつ、そこにいかにも謎解きに優れていると万葉研究部部長の私の名を出す。そして彼が用意した謎解きもまた和歌という私の領分だ。偶々にしては随分と共通項が多いのではないかな。彼はあらかじめ真白さんが困りし折には私を頼れるように……いや、むしろ君は初めから彼に誘導されてここにいるのかもしれない」
「ええーっ!?」
「そんなまさか、だって謎解きに悩んだとして、本当にヨーコさんの力を借りに来るかどうかなんて判んないじゃないっすか!」
半信半疑なアトソンくんと打って変わってましろさんはもじもじと恥ずかしそうにしています。
「あの、わたし、先輩からよく『君はとても判りやすいな』って……言われます……」
「なるほど、全てお見通しというわけだね。謎を解くには百人一首だけではなく、万葉集の知識も要される。真白さん一人では荷が重かろうが初めから私を目当てと定めているならば……ふふふ、面白い。この私と和歌をかけた謎解き勝負をしようというのか!」
までこさんの涼やかな目がにわかに熱を帯び、爛々と輝きます。泰然と佇むその周りに、しかして闘志という名の火の粉が舞い上がっているかのようです。
「ヨ、ヨーコさんがかつてない程燃えている……!」
「同好会の先輩たちに聞いたことがあります、去年までこ先輩と一条先輩は『おさらぎ高の探偵ホームズ』の名を賭けて熾烈な超推理合戦を繰り広げたとかっ!」
「なんすかそのバトル漫画みたいな戦いは!? でも情熱的なヨーコさんも素敵だなあ」
盛り上がる二人をまでこさんは悠然と振り返ります。
「さて。ならば行くとしようか、諸君」
「ど、どこへですか……?」
「和歌は心を映す鏡だ。文字ばかり眺めてもその歌の本質を知ることはできまいよ。その歌が詠まれた心を理解せねばね」
「つ、つまり……!?」
「いざ我々もこれより富士の高嶺を眺めに行こうではないか!」
◇
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