白球の行方

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白球の行方

 時は夕暮れ。会社が保有している練習場からは、本日の練習を終えた選手たちがぞろぞろと近くにある寮へと帰っていく。そんな中、その練習場の一角にあるブルペンには、小気味良い硬球の音が何度も響いていた。 「球が下がってるぞ!」 「はい!」  六〇.五フィート先にいる先輩から指摘を受け、南廉次(みなみれんじ)は額から流れる汗を練習用のユニフォームの袖で拭った。  社会人二年目の廉次は、自身の勤める会社にある野球チームに所属している。持ち前の柔軟さを生かし、身体全体で投げ込むストレートは、ボールの軌道が分かっていても手が出せないほどよく伸びる。それが、廉次の一番の持ち味だ。  今日から始まった社会人野球の三大大会の一つ、都市対抗野球大会。社会人の甲子園とも言われるこの大会は、全国約三五〇チームから地区予選を勝ち抜いた三〇チーム強の社会人チームが東京ドームに集い、社会人野球の頂点を決める。その(いただき)は、全社会人野球選手たちの目標だ。  廉次のチームの初戦は明日。前々回の大会で優勝した、近畿地区の企業チームとの戦いとなる。負けたらそこで終わりの大会で、優勝候補との対戦という大事な試合の先発を任された廉次は、明日の試合に向けて最後の調整を行っているところだった。  構えられた黄土色のキャッチャーミットを見据えて、深く息を吐いた。左足を後ろに下げて、ゆったりとした動作でボールを掴んだ右手とグラブを頭の上に持っていく。そこから腕を顔の横、そして胸に移動させれば、左足は自然と腕へ近づくように上がり、一本足で立つ形になる。  ここまでは大丈夫だ。いつも通りの動き。本番はここからだ。  視界に目指すべきその一点を捉え、重心をキャッチャーの方へ倒しながら、急速にピッチを上げるようにグッと右腕を後ろに引く。出来るだけ遠くへ踏み出した左足と共に、グラブをはめた左腕を前へ突き出して、自身の身体へ巻き込むように戻した。その左腕と入れ代わるように右腕を奮って的を目掛けてボールを送り出す。その瞬間、ミットのすぐそばにあるキャッチャーマスクの奥に光る、その鋭い瞳に意識を奪われてしまった。 「ッ!」  しまった、と廉次が心の内で呟いた頃には、自分の手から離れたボールはさっきまでキャッチャーミットがあった場所よりかなり上方へ飛んでしまっていた。すかさず追い付いたミットの皮が、パン! と高い音を打ち鳴らす。  受けたボールをミットから右手に落とし、ボールを持ったままマスクを上へとずらした先輩──北宮広輔(きたみやこうすけ)は、切れ長の目を廉次に向けて眉根を寄せた。 「そこまで上げろとは言ってない」 「はい! すみませんっ!」  汗まみれになった帽子の鍔を摘まんで下を向きながら声を張り上げる。駄目だ、またやってしまった。  はあ、と北宮が吐いた溜め息が、廉次の鼓膜を揺らす。普通なら恐らく聞こえないくらいの小さな音だ。人一倍音を拾うこの自慢の耳を、今回ばかりは恨んでしまう。  顔を上げた廉次の元へ山なりに飛んできたボールをグラブに収めれば、北宮はマスクを被り直すことなく廉次の方へ歩み寄ってきた。無意識に伸びた背中が、小さな痛みを訴えている。 「このまま続けても無駄だ。ちょっと休め」  北宮はそう廉次に告げると、自身の荷物が置かれている場所へ歩いていってしまう。廉次は悔しさで歪んだ顔を隠すために深く帽子を被った。
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