白球の行方

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  ◆  北宮を初めて見たのは、高校三年生の秋だった。  小学校から始めた野球はとかく自分に合っていたようで、小学生の高学年から中学、高校とエースを担い、その高校では運よく県大会を勝ち進んで奈良県代表として甲子園も経験した。その甲子園も終わり部活を引退した廉次は、顧問の薦めでプロ志望届は出さず、関東にあるプロ野球選手を多く輩出している有名な大学への進学を決めていた。そんな折、顧問から社会人野球を観に行こう、と誘いを受けた。何でも、大阪で大きな大会があるのだという。 「社会人野球はかなり完成してる奴らばっかやからな。甲子園経験者も、ドラフトで指名された選手もおる。色々学べるで」  顧問は楽しそうに廉次にそう告げた。毎日毎日練習ばかりで気分転換がしたいと思っていた廉次は、二つ返事でその誘いを承諾した。  京セラドーム大阪に来たのは小学生の頃以来だ。  予想以上に賑わっている球場周辺の様子に圧倒されながら、顧問からチケットを受け取ってドームの中へ入る。連れていかれたのはバックネット裏だ。 「ここ、高いんじゃ……」 「特別席は千円もせん。出世払いや、楽しみにしとるで」 「それぐらいだったら今でも払えますよ」  初めて感じる社会人野球の雰囲気に固まっていた身体が、顧問との会話で解れていく。グラウンドでは試合前のシートノックが始まっていて、バットがボールを打つ音やグラブにボールが収まる音、そして高校生にも負けず劣らない元気な声が混ざりあって活気を生み出していた。  両側の客席が続々と埋まっていくなか、一塁側のチームのシートノックが終了し、選手たちがベンチへ戻っていく。入れ替わりで三塁側の選手たちが守備位置につくのにあわせて、一塁側からは先程のシートノックにはいなかったピッチャーらしき選手とマスク以外の防具を着けたキャッチャーが出てきた。 「お、今日の先発は信楽(しがらき)か。あいつ俺の後輩なんよ」  顧問の言葉に視線を向ける。長身のサイドスロー。軽いキャッチボールを見ながら、自身の投球に活かせる動きがないか確かめる。  そうしてどんどんと強くなるキャッチボールを眺めていれば、両チームのスタメン発表が始まっていた。耳をアナウンスに傾ければ、ちらほらと甲子園に出場していた選手の名前が聞こえてくる。 『九番、キャッチャー、北宮。キャッチャー、北宮。常北(じょうほく)大学、背番号22』  アナウンスの背番号を聞いて、廉次の方に背を向けてキャッチボールを続けているその背中に自然と目がいった。プロテクターの紐で確認しづらいが、確かに22と書いてある。あの人が、スタメンマスクを被るのか。よく見てみれば、捕手の割には身体が細い。言っちゃ悪いが、女房役としては少し頼りないようにも思える。  その細い背中が、なんだか妙に廉次の脳裏に焼き付いた。  お手洗いに立っている間に、試合が始まってしまっていた。慌てて席に戻ると、既にもうアウトの赤いランプが一つついている。 「信楽、今日は調子良さそうやわ。ちゃんと見ときや」  そう顧問に言われ、頷いて信楽と呼ばれていた投手を視界に映す。しかし、気付けば廉次の視線はその手前にいる捕手へと移っていた。被さっている審判が、初めて邪魔だと感じた。あの細っこい捕手がどのようなキャッチングをするのか、この目でしかと確認したかったからだ。  結論から言えば、最高の一言だった。投手がどこに投げても危なげなくキャッチする。投手が少し乱れてきたと感じれば、積極的に声掛けや仕草で落ち着くよう促す。ランナーを背負えば、その細い腕から弾丸のような送球を放ち、確実にランナーを刺す。配球もありきたりではなく、バッターの度肝を抜くような球を織り混ぜてくる。  惚れた、といっても過言ではない。もはや投手の動きなど、試合の展開など気にしている余裕はなかった。ただひたすら、北宮を両の網膜に写し続けた。  試合は北宮のチームの勝利で終わった。北宮の打席は四タコ、つまり無安打だった訳だが、それでも余りある活躍だと廉次は感じていた。これが、社会人野球のレベルの高さなのだ。  そこからの廉次は、自分でも驚くほどの行動力で北宮を追いかけ続けた。大学こそ既に決まっていたために同じところには行けなかったが、時間があれば北宮の出ている試合を動画サイトで探したり、高校時代の顧問に頼んで北宮のチームから録画した試合を送ってもらったりするのは日常茶飯事だ。大学の練習がないオフの日に北宮のチームの試合が重なれば、密かに足を運んだ。全ては、北宮に自分のボールを受けてもらうために。  無論、自身の実力アップにも事欠かなかった。廉次は大学一年生の後半からまたしてもエースになった。そんな廉次をプロのスカウトが放っておく訳もなく、大学二年目からは常に廉次目当てのスカウトがこぞって試合に集まっていた。それでもプロの道ではなく社会人に進んだのは、北宮がいたからだ。  高校三年生の秋から、四年半。毎年勇退選手の一覧を見ては、北宮の名前がないことを確認して安堵した。北宮に受けてもらえるチャンスはまだある。そう信じて野球に専念した。  念願のチームに入り、ようやく北宮に受けてもらえると思ったのも束の間、その頃にはメインのキャッチャーは眞嶋という廉次より一年先に入部した選手になっていて、大学時代の評価の高さから廉次は眞嶋と組まされることになった。  確かに眞嶋もいい選手ではある。二年目で正捕手を掬ったのだから、それ相応の実力はある。しかし、守備よりも打撃力を買われた選手ということもあり、しばしば廉次のボールを取りこぼすことがあった。  不安が募る。自分が暴投すれば、眞嶋は受けれない。そうして慎重に投げるようになった結果、コントロールの精度が増して、さらに眞嶋との相性がいいのだと思われる結果になってしまった。  一方の北宮は第二捕手として、守備固めにでることが多くなっていた。ただ、その時は廉次もリリーバーにバトンタッチしていて、北宮に受けてもらう機会はなかった。  そんな中、初めてイニング間の投球練習で北宮がホームベースの向こうに座った。前のイニングの最後のバッターだった眞嶋が、防具を身に付けるまでの場繋ぎ。しかし、廉次にとっては夢にまで見た光景。  感極まった廉次は、稀に見る暴投を繰り返した。それも全て受ける北宮の姿を見れて嬉しいと喜んだと同時に、憧れの人に格好悪い姿を見せてしまったことに落ち込んだ。眞嶋に代われば嘘のように球の軌道が落ち着いたので事なきを得たが、気まずいことに変わりはない。北宮の顔を直視できず、試合後は北宮を避けるようにせっせとバスに乗り込んだ。  それから、北宮相手だと必ずうまく投げれないようになってしまったのだ。
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