本田1

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本田1

 最近昼時に食べるのはレタス二枚と生ハム一枚が挟まった(この店オリジナルのシーザードレッシングもかけてある、これがまた美味い)ベーグルと、ブラックコーヒーの組み合わせだ。全国でチェーン展開しているDコーヒーで、ほぼ毎日俺がここに来ていることを知ったら、会社の奴らは驚くことだろう。この俺が、庶民的なカフェをヘビーローテーションしているのだ。店内の居心地も良い。客の誰も彼もが他人に興味がなさそうに一人でスマホを見つめている。薄いノートパソコンを持ち込んで仕事に没入しているリーマンもいる。俺も一人で入る。だが、店を出るときはなぜか連れがいる恰好となる。そろそろ来るか――俺が腕時計に目をやったちょうどそのとき、向かい側の椅子を奴が引いた。 「本田さん、今日も決まってんね」 「は? 何が?」  俺が不愛想に返事をすると、気にした風もなくマツダがニコッと笑う。 「そのスーツ、アルマーニだろ。時計はオメガで、メガネはトムフォード。顔も良いね。昨日は七時間眠れたね」  おちゃらけた口調ですべて言い当てられ、俺は苦笑するしかなかった。生まれも育ちも立場も全く違うこんな奴が一番俺を知っているんじゃないかと錯覚してしまう瞬間だ。俺の作る隙を見逃さず、マツダはさっと席に座った。彼は手ぶらだ。着ている服は昨日と同じ。 「これから時間ある? ちょっとだけで良いんだ」  マツダが上目遣いで俺を見る。大きな目だ。マスカラをしている女よりも長い睫毛が上瞼に影を落としている。鼻は高くないが形は整っている。栄養が摂れていないのか、唇はカサついてひびわれている。それでもキスしてみたいと思わせる魅力があった。  白状しよう。俺はゲイで、マツダは俺の好みど真ん中だった。  俺より十センチ背が低く華奢な体型で、でも病的な細さではなく。そこそこ日焼けしているところが健康的で好ましい。  こいつが俺の前に初めて現れたのは二週間前。出会ったのはちょうどこの場所。今みたいに俺は一人でベーグルとコーヒーを腹に収め、スケジュール帳を眺めていた。午後の仕事を効率よく行うために脳内でシミュレートしていたのだ。 「相席良いですか」  他の席も空いていたのに、俺の向かい側の席に勝手に座った。俺の返事も聞かずに。  相席は嫌いだ。俺はスケジュール帳を鞄の中にしまい席を立とうとした。そのとき彼が声を発した。 「ベンツ買いませんか」
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