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第1章 「女官か騎士か」
ルナはいつも、女官全員が湯浴みしてから浴場に向かう事にしている。そうでなければ、自分が男という秘密がバレて、此処にはいられなくなってしまう。何故なら此処は、男人禁制の聖域、アルテミス神殿なのだから。
「ふう・・・」
大理石の大きな湯船に身を浸し、大きな溜息を吐く。それと同時に、暖かい湯がザバーンと波の様に勢いよく、湯船の外に流れ出た。長い黒髪は湯に濡れないように、一つにまとめて結ってある。抜ける様に白い肌と、濡れガラスを思わせる黒髪長髪。こんなに麗しい彼を、一体だれが男だと思うだろうか?
いやはや、今日の稽古も厳しかった。だが、辛い鍛錬の後は、いつも以上に湯浴みが心地よく感じられ、リラックス出来るから好きだ。思いっきり手足を伸ばした途端、後ろから「ルナ」と呼ばれたものだから死ぬほどビックリして、ルナは体を手で覆い、クルリと後ろを振り向いた。湯が激しく飛び散る、パート2だ。
「ア、アルテミス様!もう!驚かさないで下さいよ!」
「うふふ。悪かったわね」
「それに、女神が男の裸なんて見てはいけません!」
「湯に入っているから、この位置からなら殆ど見えないわ。それに、お前を私は昔から面倒見ていたのよ?お前の裸など今更見ても、動じないわ」
慌てふためくルナとは正反対に、アルテミスは余裕タップリに笑っていた。楽し気にフフッと笑う女神の笑みに呼応するかの様に、ブロンドに飾られた三ケ月形の髪飾りが、輝きを反射させる。アルテミスのこんな表情を見ると、ルナは悔しくなる。もう、こっちの気持ちも知らないで、いつまでも子ども扱いして。
「さて、これから真面目な話よ。ルナ、お前もディアナも、もうじき分岐試験を受けなければいけないわ。ディアナは女官志望一択だそうだけど、お前はどうするつもり?」
分岐試験とは、アルテミスに使えるニンフ達の配属先を決める試験である。アルテミス神殿のトップは言わずもがなアルテミスと、ナンバー2のセレネであり、この二人を司る半神とニンフが神殿には大勢いる。
十三歳までは、神殿に住むに相応しい学問や嗜みを身に着けるが故に、勉強や女官達の手伝いをする事になっているが、一通りのカリキュラムを経た者は、その後の進路を迫られる。
まず一つが女性としての嗜みを得たから、アルテミス神殿から出るという道。もう一つが、裁縫や料理、楽器や教養などを磨いて神殿を切り盛りする、女官になるという道。そして最後は、武闘の道を極め、女神とオリンポスを守る騎士になるという道。
女官と騎士、どちらも道は険しいが、両方、志願者は多い。一応、身長制限があり、騎士志願するには百六十五センチは必要で、小柄な妹ディアナはこの時点では当てはまらない。
「勿論、ルナ。お前も、もう十四歳だから、此処を出るという選択肢もあるわ。お前は美しいし頭も良いから、下界に戻っても上手くやっていけるハズよ。私がお前を女と偽って、いつまでも神殿に縛り付けるというのも、酷だろうから」
「その選択肢はあり得ません」
ルナはキッパリと即答した。その物言いに、アルテミスがビックリした位である。
「私は、何があっても、アルドロンの国を復興させる手立てが見つかるまでは、アルテミス様にお仕えするつもりです」
「まぁ・・・ルナ・・・」
女神故に、見目麗しい者は見慣れているが、この頃のルナの美しさには、アルテミス自身ハッとさせられる。人間とはいえ、ルナの美貌は神と互角。いや、ひょっとしたら、神によっては神以上の輝きを魅せているかもしれない。いつまでも子どもと思っていたルナが、こんなにも綺麗な瞳で真剣に自分を見つめてくると、思わずドキリとしてしまう。
爽やかな季節を思わせる、濁りない澄んだ深緑の瞳・・・。かつて自分が、ただ一度だけ愛したあの男と駆け回った森を思わせるような、清々しい目・・・。いけない。こうして見つめ過ぎては、この美の魔力に引き込まれてしまう。アルテミスは己を取り戻し、ルナに語り掛けた。
「ルナ。お前の信仰心の強さは、しかと受け止めた。いつか、時が熟したら、アルドロン復興に私も尽力を上げよう。それまでは、神殿の正義と平和を守る為に、よろしく頼む」
そう言うと、女神はクルリと踵を返し、浴室を後にした。広い広いタイルの浴場に残されたルナはそこで一人、ポタポタと継続的に落ちる湯の音を耳にしながら、ぽつり呟く。
「僕のアルテミス様への想いは、信仰心だけではないのに・・・」
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