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「涙の代わりに、目から零れるの」
「花びらが?」
「そう。その時の感情にあわせて、ね」
高校二年の春、転校してきた少女は、肩まで伸びた黒髪を風に揺らしながら、そう言った。
彼女が泣いているのを見たのは、二学期が始まってすぐのことだった。部活が終わり帰ろうとした時に、スマホを忘れたことに気が付いたのだ。部室のロッカーにないならば教室にあるだろうと、他の部員に「また明日な!」と別れを告げて、歩いて居る途中の出来事だった。
教室から出て、目元を押さえながら女子トイレに向かう彼女を見かけたのだ。
――まだ、残ってたんだ。
部活、何入ってたっけ。と思いながら、入れ替わるようにして教室に入った。その時は、彼女が泣いていたかどうかはわからなかったが、後々になって、あれは泣いていたのだと理解した。
「……黄色い、花びら?」
いつも彼女が座っている席――前から三番目――のまわりに、何故か黄色い花びらが複数枚落ちているのが見えた。
「花なんて、何処にも無いけど」
もしかしたら、花瓶の水を取り替えにトイレに行ったのかもしれない。でも、今まで花瓶なんか教室にあったっけ。不思議な気持ちになりながら、自分の席へと向かう。窓際の一番後ろだ。
「あ、あったあった!」
案の定、スマホは机の中に仕舞われていた。部員達から『見つかった?』と連絡が届いている。『ありがとう、無事見つかりました!』と返事をし、教室を後にした。
彼女は結局、女子トイレから戻っては来なかった。
それから一ヶ月程経ち、今度は学校の屋上で彼女を見かけた。昼休みのことだった。
そういえば、彼女はいつも昼休みが始まると、お弁当を持って何処かに行っていた。屋上だったのか、と思った。
こちらに背を向けるようにして座る彼女を、窓越しに眺めていると、風にのってまた黄色い花びらが待っているのが見えた。
「また、花びら」
「花?」
「あ、いや、なんでもない」
隣の席の友人が、変なのと言いたげな顔でこちらを見てくる。なんとなく、彼女のことは、他の人には知られたくないと思った。とっくの昔に、知っているかもしれないけれど。
それから一週間後、彼女と二人になる瞬間があった。偶然ではない。放課後、まだ彼女の靴が残っているのを見つけて、部活帰りに教室に戻ったのだ。
彼女は屋上を見つめていた。ただじっと、席に座って見つめていた。
なんだか邪魔をしてはいけない気がして、下駄箱に戻ろうとした時、うっかり教室のドアにぶつかってしまった。ガタン。その音に、彼女はゆっくりとこちらを見た。
目元から、黄色い花びらが、落ちた。
「その……、ごめん」
「どうして謝るの?」
彼女の真っ直ぐな目に、じっと見つめられる。
「邪魔したかなと思って」
ごめん。もう一度、謝った。
「別に、いいのに。何か用事があったんでしょう? 入ってきて大丈夫だから」
彼女は、目元の花びらを指で摘まみ、床に落とした。おずおずと、教室の中に足を踏み入れる。彼女の席のまわりは、黄色い花びらが散っていた。この間と同じだ。
とりあえず、用事があったことを装おうと、自分の席に座り机の中を手で探すフリをした。
「……花、好きなの?」
沈黙に耐えきれず、彼女の背中に話しかけた。
「別に、好きでも嫌いでもないけど。どうして?」
「席のまわりに花びらが散らばってるから、花持ってきたのかと思って」
その言葉に、彼女は再びこちらをじっと見つめてきた。
「これ、出したの私。涙の代わりに、目から零れるの」
「花びらが?」
「そう。その時の感情にあわせて、ね」
彼女はそう言って、床に落とした花びらを一枚つまみ上げた。
「変でしょう」
「変というか、不思議、というか」
どう答えるのが正解かわからなかった。「その花びらはどんな意味があるの?」と問う。彼女は少し考えた後「別れの悲しみ」そう答えた。
少なくとも約二ヶ月前に、彼女は誰かとの別れを体験したのか。それで泣いていたのか。ふと、初めて彼女が泣いていた時のことを思い出していた。
「――死んだの。好きだった人が」
彼女は、くるくると指先で花びらを回しながら、言った。
「転校する前の学校にいた、小学校の頃からの友達。二学期が始まってすぐ、学校の屋上から飛び降りたんだって。別の友達から連絡が来て、知ったの」
「そう……、だったんだ」
やはり、どう答えるべきかはわからなかった。ふぅ、と窓の外に向けて、彼女は花びらに息を吹き掛けた。ふわり。風にのって、そのまま遠くへ黄色が去っていく。
「片想いだったんだけどね。大好きだったから、やっぱりショックで。私もあの子の所に行けないか、屋上に立ってみたけど、踏み出せなかった。それでずっと、思い出しては泣いてるの」
ミモザ、ベゴニア、キンセンカ。
今まで彼女が流してきた涙の種類を教えてくれた。
「……どんな人だったの?」
黒い瞳から、オレンジ色の花びらが落ちる。
「笑顔が可愛い、優しい女の子だったよ」
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