過負荷

第1話 見知らぬ黒髪

　カーテンの隙間から差し込む光に、俺は目を覚ました。
　ぬるんだ部屋の空気。空気清浄機が動く静かなノイズが常に耳の片隅にある。多分一晩中ずっと稼動していたのだろう。

　体を起こそうとして、俺にまとわりついている何かの存在に気づく。寝ている間中ずっとそうされていたからか、それまであまり気にもならなかったが、気づいてしまうと激しく鬱陶しい。

　人だ。
　俺の体を抱き枕のように、ぎゅっと抱き締めながら眠っている。布団からはみ出た頭は艶のある黒髪で、天使の輪が零れた朝日に輝いている。
　……誰だっけ、と俺は思い起こす。

「おい」
　元から低い俺の地声に、眠っていた男はもぞもぞと身じろぎして、うっすら瞼をこじ開けた。
　黒飴のような双眸が俺の胸の辺りから顔に移動して、寝ぼけたようなはっきりしない笑顔で声を発した。

「おはよ……」
　薄っぺらい体型のぼんやりした表情の男は、抱き締めていた腕をゆっくりと解き、まだ寝起きで重そうな頭を振ると、一度だけくしゃみをした。

「……あー、もう。空気清浄機ちゃんと効いてんのかよ」
　床に放置されていたティッシュボックスから一枚引っ張り出して、鼻をかんでいる。
　どうやらアレルギーを発症しているようだ。花粉でも飛んでいるのだろうか。

「あんた誰だ？」

　顔を見ても答えが出なかったので、率直に尋ねてみる。すると目の前の男は少しだけびっくりしたように目を見開いてから、困ったように重たいため息をついた。

「またそれか……。何度言わせたら気が済むんだ……」
「──会うのは初めてだろ」
「はいはい……わかったよ。俺は壱流(いちる)。そんでおまえが竜司(りゅうじ)。それは覚えてるかなあ」
「は、あ……」

　竜司、と呼ばれて少し考える。
　自分の名前だ。忘れるわけはない。
　入江竜司(いりえりゅうじ)。それが俺の名前だった。しかしイチルという名前に聞き覚えはなかった。
　勿論顔も知らない。誰だかわからない。
　壱流と名乗った男は、難しい顔で考えている俺の頭をぽんと軽く叩いた。

「まあいいよ……慣れてるし。はいこれ、竜ちゃんのスマホ。そのまるいとこで指紋認証してロック解除。んで中身見てごらん」

　諦めたような笑顔でスマートフォンを渡されて、言われるがままにまるい部分を触ってロックを解除すると、俺と一緒に写っている壱流の姿があった。寝起きではないはっきりした顔立ちで、にっと不敵に笑っている。黒猫のような印象の男だ。

　俺の髪は真っ赤だった。壱流の黒髪とのコントラストが結構映える。
　画面の中で俺たちは、どうにも初対面ではない雰囲気を醸し出していた。

「忘れちゃったら、それ見て確認。思い出せなかったらスマホのメモでも見て確認。下に文字入ってるだろ」

　画面の目立つところに、「困ったらメモを見ましょう」とご丁寧にゴシック体で注意書きがある。一体何なのだ。
　開いてすぐのところに置かれたメモアプリを開くと、箇条書きになっているテキストが表示された。それを目で追い、自然に眉を寄せる。