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第11話 新たなる標的
夏休み明けの教室はにぎやかだ。
夏休み気分が抜けていなかったり、久しぶりに友達と会えた喜びだったりで浮き立っている連中がそこそこいる。
こんがり日焼けしている子に髪色が明るくなった子。雰囲気変わって大人っぽくなった子もいれば妙にすかして大人ぶっているやつもいる。
「ひっさしぶり。元気してた」
花島が肩を組んできた。
「ちょっと、熱い熱い」徒歩通学で火照った体に花島の体温が侵食してくる不快感から声に嫌悪感が混じる。「離れろって」
おれが拒絶すると花島はしなだれかかってきて拒絶を上塗りした。引き剥がそうとしてくっつかれを繰り返し、さすがにそろそろ離れるだろうというタイミングからツーテンポほど遅れてようやく花島は体を離した。
「あれ。ピアス開けたんだ」
花島の左の耳たぶには透明な棒が突き刺さっていた。
「うん。休み中にノリで」
特に話すことはなかったらしい花島はすぐどこかへ消えた。
朝一のウザ絡みにどっと疲れた。何がしたいんだあいつは。
……ピアス、開けてたな。
なんだろう、これ。なぜだか花島のピアスに心をかき乱されている。
ピアス穴を開けたい願望があったわけじゃない。花島の耳を目にした今でもその気持ちに変わりはない。なのに、ベルトの小穴よりずっと小さい穴が耳たぶに開いていた、それだけなのに。どうしてこうも、どろっとした焦りのようなものが溢れてくるんだろう。
競争意識すら持っていないはずなのに、どうして置いてけぼりを食ったような気分になってるんだ。
「おはよう」
久しぶりに聞いたその声は静かで、すっと耳の奥まで入ってきた。
「あ、和泉さん。おはよう」
鞄を手に提げているところを見るに今来たところらしい。席へ向かう和泉さんについていき、前の席から引っぱり出した椅子に腰を下ろす。和泉さんは机の横に鞄をかけてから言った。
「夏休み楽しかった?」
「うーん。まあまあかな」
よくわかならい見栄を張ってしまった。おれの夏休みは基本的に暇で、終盤は宿題に追われる日々だった。
「和泉さんは?」
「楽しかったよ」
長期休暇でリフレッシュしたのか、表情や声音からは以前よりどことなく清々しさを感じる。だけど、夏休みが明けても和泉さんは和泉さんだった。
和泉さんは変わっても変わらないんだろうなと思うと無性に嬉しくなった。勝手な想像だけどそんな気がして、声まで弾みそうになる。喉を落ち着かせ、聞く。
「和泉さんって退屈することあるの」
夏休み中は聞きたくても聞けなかったことを早速聞いてみた。
質問しただけなのにすっきりした。どんな答えが返ってくるか予想がついていたのも関係していると思う。
「そりゃあるよ」
「え、そうなんだ」
和泉さんはかすかに首を傾げた。
意外な返答にこっちは言葉に詰まる。
「退屈くらい誰でもすると思うよ」
「まあそうか」
「休み時間早く終わらないかなって思うこととかない?」
「ある」
あるけど、聞きたかったこととはちょっとずれてる。
聞き方を変えよう。
「じゃあ家にいるときはどう。退屈することある?」
「うーん。ないかな」
「やっぱり」
「ん?」
和泉さんは「あ、でもどうだろう」と右手の人差し指を顎に当てる。
「何もやる気にならない時はある。あーでもこれ退屈してることになるのかな」
その後、「家で退屈したことは今のところない」と結論づけた。
ふと気づく。
花島の変化に波立っていた胸のうちが知らない間に凪いでいた。
休み明けの浮かれモードは初日だけで、翌朝の教室はいつものちょっと気だるい、間延びした空気がたゆたっていた。
とりあえず席につき一息つく。シャツの裾をぱたぱたさせて風を送り込んでいたら花島が近寄ってきた。
「聞いた?」
「何を」
「後藤実那のこと」
「聞いてない」
にたにたした顔から明るい話ではないだろうと予想できた。
「鬼の今度の標的、後藤だってよ」
おれは右、左と教室内に誰がいるか確認する。
「マジ?」
「マジマジ」
「鬼派と後藤派に分かれたとかじゃなく?」
「後藤だけはじかれたらしい」
「なんで」
「鬼の悪口言ってたのを告げ口されたとかいろいろ噂あるけど、どうせいつもと同じでなんか気に食わなくなったんじゃね」
天災みたいだなと思った。いかに善行を積んでいようと誰しも被害を被る可能性がある、明日は我が身の不条理な世界。すべては天の神の気まぐれであり、天の神は鬼である。
愛も優しさも無いじゃないか。
理科室への行きがけにD組の教室を覗いてみた。
噂は本当だった。取り巻きにも見放された後藤は、身をひそめるようにぽつねんと座っている。が、孤立してはいなかった。驚いたことに、これまで散々口汚く罵り迫害してきた女子グループに後藤は加わっている。以前後藤に椅子の脚を蹴られ、「調子乗んなよ」と凄まれていたあの女子二人組のところだ。その二人の隣で相槌を打ち、時折小さく笑っている。
嵐に見舞われ、かけこんだ山小屋で怯えながら雷雨が静まるのを待っているかのようだ。いつもの高慢さが見る影もない。お互いどんな気持ちで一緒にいるのか、おれには想像もつかなかった。
これに懲りて更生できたら後藤の一人勝ちみたいなとこあるよな。ちょっと応援したくなる。まあ本人は鬼グループに戻りたいのかもしれないけど。
クラスのボスが失墜したD組の教室にかしましい女子連中の姿はなかった。
そのおかげか男子たちは妙に伸び伸びしていて、教室の後ろで丸めた紙をボール代わりに野球を楽しんでいる。
丸めた教科書をバットにして大道が右打席に立った。構えたバットをゆらゆら前後させる。クイックモーションで投げ込まれた初球を思い切り引っぱった。ライナー性の当たりは勢いそのままに後藤のでこに直撃。教室の空気が凍りつく。
「それは死ぞ……」
つぶやいたのは丸山だった。
ただでさえ鬱憤が溜まっているはずの後藤にそんなこと……どうなるかわからないぞ。
大道が謝りながら腰を低くしてボールの回収に向かう。後藤は怒らないどころか、大道にもボールにも目もくれず、ただ静かに座っているだけだった。
試合は中止。五回コールドで大道チームが勝利した。
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