第4話 尋問昼食

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第4話 尋問昼食

 席替え後の昼休み。  新しいクラスメイトとの親睦を兼ねて、席が近くなったふーちゃんたちのグループへお邪魔することにした。  ふーちゃんの席は教卓近くだった。そこには手塚の他に、あまり面識のない二人が集まっていた。ふーちゃんの机周りには「ご自由にお集まりください」と書かれた立て看板があってもおかしくない、まるで森のダイニングみたいな温かみと解放感があった。  おれは黒板に背を向け、ふーちゃんの対面に座った。 「いただきまーす」  ご飯を前にしたふーちゃんは笑顔で挨拶した。二段弁当のように小さくはない大きめの箱が二つ並んでいる。ご飯用とおかず用だった。さらにデザート用と思われる第三の箱も隅に控えていた。それらを見ておれも笑顔になった。 「ふーちゃんあれちょうだい」 「あ、おれもほしい」 「いいよ」  ふーちゃんはおかず箱に入った肉炒めを分け与えた。 「涼も食べる?」 「いいの?」 「うん。いっぱいあるから食べて食べて」 「うまっ」  反射的に感想が口から飛び出た。 「うまいだろ」  なぜか隣の手塚がドヤ顔を向けてきた。  でも本当においしい。味わったことのないタレの味がした。市販のタレをかけただけではこの味は出せないと思う。おれの弁当には一生出てこない類の品だ。  食べ物の話なんかをしながらゆったりした時間が流れる。  お茶を飲み、鼻から息を吐く。そして息を吸いこむのに合わせて首を左に回した。  何気なく視線を投げたそこには女子三人組の姿があった。中には先日まで息をひそめるようにして弁当を食べていた山田さんの姿があった。よそよそしさはあるものの、山田さんにはこの前のような悲愴感はない。  しかし山田さん、というかこの三人は集まっているというより身をよそ合っているという感じだな。教室には鬼がいる。ここは彼女の許可なしには騒ぐことさえ許されない鬼の間。女子に対する取り締まりは特に厳しい。そりゃそうなるか。怖いと思う。何度女じゃなくてよかったと思ったことか。  もう一人のひとり。和泉さんはどうしているだろう。  反対側、窓際に目を向ける。所定の位置に和泉さんはいた。いつも通り誰に気を使うことなく食事している。周囲が移動してがらんとなったその一帯は和泉さんの空間みたいになっていた。  あんまりじろじろ見たら悪いなと思いつつも目が離せなかった。  おれは人間の、とりわけ異性の食事する姿を見るのが苦手だった。緊張なのかなんなのか、他の動物にはない人間特有の羞恥心が見え隠れする食事姿を見ていると、こっちまでそわそわしてしまう。  一方で、和泉さんの食事姿は平気だった。むしろ好きだ。すっと伸びた背筋。自分の口の大きさに適した量を正確に運び入れ咀嚼する軽やかさ。食事中でさえも自分の世界を形成しているような、その凛とした姿が美しくてかっこよかった。きっと骨つき肉なんかも上手に食べるんだろうな。  ふと、遠い未来に意識が引っ張られた。  和泉さんと同じ教室で送る学校生活。そんな当たり前の毎日が当たり前じゃなくなる日が脳裏に浮かんだ。彼女の存在を身近に感じられるのは今だけかもしれないのか。  自分の箸を動かすことも忘れ見入っていると、不意に和泉さんがこちらを向いた。目が合う。こっちからすれば目は合っていませんよと誤魔化すように、おれは慌てて、しかしゆっくりと視線を和泉さんから逃がす。 「ギャハハ!」  鬼の声。  これは目の逃げ先にちょうどいい。  鬼は子分二人と机を寄せ合っていた。 「でさー、それでー」  子分の話を聞きながら、鬼は思い出したように弁当に箸を伸ばし、ミニハンバーグっぽいものを掴み上げた。一口サイズのそれをチンパンジーが唇を裏返すみたいにぶちゅっとかぶりつき、半分だけ食べた。  残り半分を口に入れ、もごもごしながら喋る鬼。卵焼きにかぶりついた瞬間だった。鬼は視線を察知したかのようにふっとこちらを向いた。ばっちり目が合う。心臓が縮み上がり、やばっと思うが早いかおれは目を伏せた。 「おい」  どすの利いた声が飛んできた。教室の空気が張り詰めたのがわかる。目が泳いだ。視覚情報がなだれ込み、静止画となったそれらは走馬灯のように頭の中を駆け巡った。誰もかれもが箸を止めていた。あの和泉さんまでもが。  逃げ出したい。勘違いであってくれ。おれは恐る恐る顔を上げた。  鬼はおれを一直線に見ていた。目が合い、鬼は手のひらを上にして手招きした。おれは自分を指さし、口の中で「おれ?」と聞いた。 「おめえ意外いねえだろ。弁当持ってこっち来い」  え、怖い……。矛先が男子に向くことがあるのは知っていた。でもまさかそれが自分に向けられるなんて夢にも思わなかった。  おれは弁当に蓋をし、立ち上がる。正面で、目を見開いたふーちゃんがおかずを口に放り込もうとした直前の格好で固まっていた。  鬼たちの前で立ち止まったおれに外野からの視線が集まる。顔が熱い。  鬼は女子の中では身長が高く、どちらかといえばがっちりした体格で、態度だけではなく外見にも威圧感がある。ましてや逆鱗に触れたとあってその威圧感には凄みが増している。  おれは平静を装い聞いた。 「え、何?」 「は? 何はこっちのセリフだわ。何じろじろ見てんだよ」 「ごめん」 「関係ないやつにじろじろ見られながら食べる気持ちわかる?」 「ごめん」  こればかりは謝ることしかできなかった。 「どうすんのどうすんの?」  小林が愉快気に聞いた。  すると鬼の刺々しい声が楽しげなものに変わった。 「とりあえず愛優奈らの前で弁当食えよ」 「わかった」  鬼たちは凸の形に寄せ合っていた三台の机を扇状に広げた。そこから少し離れた位置に机と向かい合わせにぽつんと椅子が置かれた。俺のための特等席だ。こうして尋問昼食が始まった。 「で? なんで人の食べてるとこじろじろ見てたわけ」  おれに箸を向けながら鬼は言った。 「なんか盛り上がってたからつい目がいって。ほんとごめん」 「ふーん」  鬼は箸を置き、じっとこっちを見つめてきた。両サイドの二人も同じようにした。小林は今にもぷっと吹き出しそうな顔をしている。 「食えよ」  促され、おれは膝の上に置いた弁当箱の蓋を開けた。蓋を弁当箱の下に重ねて持つとかたかたと少し揺れた。  視線が気になって箸の動きが鈍くなる。なんとか口に入れても食べ物はすんなり喉を通ってくれない。味もよくわかならい。弁当の中身すべてが嫌いなもので埋め尽くされてしまったように苦痛だ。 「藤井、お箸が止まってるよ。そんなペースじゃ昼休み終わっちゃうよー」  真中が言った。鬼がにやっと笑う。 「あんた食べさしてやんなよ」 「えー」  冗談を流すように真中は笑う。 「はやく」 「え。冗談でしょ」  鬼の顔に笑みはない。  真中は重そうに腰を上げ、おれの隣に椅子を引っ張ってきて座った。気の強そうな外見と鬼に媚びる姿を見たことがないことから、真中は鬼と対等に近い関係にあるのかと思っていた。だが彼女もまた鬼には逆らえないようだ。 「貸して」  目線の先には箸。黙って渡す。  真中が弁当箱の中身を覗く。最初に目についたというように卵焼きを掴み上げた。  あーん自体に興味はなかった。むしろ憧れとは反対の感情を抱いていた。だというのに初めてのあーんがこんな最悪の形で……。それも母親お手製卵焼き。選ぶならせめて冷凍食品にしてくれよ。どこまでも救いがない。 「はい」  そっけなく言われ、おれは口を開けた。差し出された卵焼きを迎えにいく。カシャ。シャッター音。鬼がげらげら笑う。 「はい真中お疲れ。まだ続けてくれてもいいよ。好きにして」  真中が箸頭をこちらに向けて差し出した。目を合わせず受け取る。口内の卵焼きを噛み砕く要領で咀嚼した。  どうにかこうにか弁当の中身を空にした頃には、鬼はおれをいないもの扱いしていた。指示もなかったので仕方なく鬼たちが食べ終わるのを鬼たちを見ないようにして待った。クラスの半分以上が教室から出ていき、ほとんどの生徒が昼食を終えた頃になってようやく鬼たちの食事も終わった。 「もういいよ」  鬼の一声でおれは解放された。
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