第7話 美術

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第7話 美術

 四時間目の授業は美術だった。  クロッキー帳を手に美術室に移動したおれたちに先生は「学校内にあるものならなんでもいいから授業時間内に描いて提出ね。よく見て、影を意識して描くように」と言った。  教室に残る生徒もいたし、拘束を解かれた喜びからか声を弾ませて出ていく生徒もいた。 「なに描く?」 「どこ行く?」  自分の描く絵を相談している何も決まっていない集団もある。  おれはとりあえず教室を出る。列をなすようにしてクラスの半分以上が昇降口へ向かう。その中には和泉さんもいた。  上靴を履き替え外に出る。拓麻たちが中庭へ向かったのでなんとなくついていく。特別教室棟前の陰になった一帯に彼らは腰を下ろした。特に描きたいものがあったわけではないのでおれもその隣でクロッキー帳を開いた。  中庭には生徒が結構集まっていた。ふーちゃんたちの姿もあるし、鬼たちの姿もあった。  できるだけ早く描き上げることだけを意識していたのに、いざ描き始めたら急に洒落た感じを出したくなって、拓麻たちが絵を完成させ遊び始めてもおれは一人作業を続けた。  やがて描き終わったおれは、時間を持て余して中庭で遊ぶ拓麻たちとは合流せず、昇降口とは反対方向へ向かった。和泉さんが中庭を抜けていったのは見ていたので、まだ描いてるかな、なんて考えながら。  中庭を抜け、右にそれたその先で、ひっそりと和泉さんはいた。校舎横にしゃがみこみ、遠い目で学校を囲う緑色のフェンスあたりを見ながら筆を走らせている。  近づくと和泉さんは上目遣いにおれを見た。 「描けた?」とおれは見ればわかることを聞いた。 「あともうちょっと」 「見てもいい?」 「うん。どうぞ」  腕一本分離れた隣の位置にしゃがむ。  和泉さんは風景画を描いていた。おれの描いた石の絵より圧倒的に描き込みが多いのに全体的にすっきりしている。素人目にはどのレベルのうまさなのかわからないけど、線がきれいで好きだなと思った。そして素人レベルでも下手だと確信できる自分の絵が急に恥ずかしくなり、抱き抱えていたクロッキー帳を和泉さんから守るように胸に近づけた。  絵の基礎も何も知らない素人凡人が個性だけに囚われて描こうとすると平凡にも劣る何かが生まれる。その典型が我が拙作「石」である。 「絵うまいね」 「ありがとう。好きでよく描いてるから」 「おれ絵描くのすっごい下手なんだけど、描いてたらある程度はうまくなるのかな」 「当然だよ」  手を止め、顔を向け、和泉さんはきっぱりと言った。 「絶対うまくなる。そりゃ個人差はあるけどね。こういうのは結局やるかやらないか、続けるか続けないかだよ」  よしできた、と和泉さんは立ち上がった。 「藤井君はもう描けたの」 「うん」 「じゃあ一緒に戻る?」 「うん、戻ろう」  来た方向とは逆回りに、自転車置き場の前を通って昇降口へ向かう。  和泉さんは絵を好きで描いていると言った。その話は既に終わっているけど、この際だ、聞いてみよう。 「絵描く以外にも好きなことってある?」 「絵を描く以外だと、写真撮ること、読書、あと歌うことが好き」 「歌うんだ」 「どういう意味?」  怪訝な表情。変な意味じゃない、とちょっと慌てて説明する。 「趣味カラオケはよく聞くけど歌うことが好きって聞き慣れてなかったからさ。それでなんとなく口にしただけ。気にしないで」  それよりも写真が気になった。 「写真ってスマホで撮るの」 「違うよ。わたしスマホ持ってないし」 「あ、そうなんだ」  そうか。持ってないのか。 「藤井君は? 好きなこと、何かある」  どきりとした。自分で振っておきながらそれが返ってくる展開は頭になかった。  好きなこと……。好きなことは、よくわからない。  美術室に戻ると鬼たちが美術の見田(みた)先生を取り囲んでいた。ちょうど課題を提出したところらしい。 「うん、うまいうまい。もーうちょっと、陰意識して描けてたらもっとよかった」  見田先生はちょっと化粧の濃い小柄な女の人だ。まあ普通のおばさんなんだけど、他の先生たちより口うるさくなくて、先生というより友達のお母さんみたいな雰囲気がある。だから活発な、言ってしまえばやんちゃな生徒に好かれるタイプで、ひいては先生もそういう生徒には親しみを持って接するタイプで、おれからすればなんとなく壁を感じるタイプの先生だ。  続いて真中と小林が課題を手渡す。  なんのかんのと喋っているところに近づくと、見田先生がこちらに気づいた。 「あ、描けた?」 「はい」  おれは返事をし、和泉さんより先に提出する。和泉さんの後におれのを見られるのは恥ずかしいから。 「はい、おっけー」  続いて和泉さんがクロッキー帳からちぎり取った一枚を差し出し、それを先生が「はいはーい」と流れ作業みたいな手つきで受け取る。 「っえ、すごっ」  素の声が飛び出した。真中と小林も先生の手元を覗きこみ「すごー」とか「うまー」と驚いている。  ただ一人、鬼だけがおもしろくなさそうにしていた。  その夜、ふと思い立って和泉さんの名前をネットで検索した。  名前だけで検索したにも関わらず、検索上位には芸術関係の見出しがずらりと並んだ。絵画コンテスト受賞者ページ。イラストコンテスト受賞者ページ。中には和泉さんの特集記事を組んでいるサイトまであった。  和泉さんと同姓同名のペンネームを使う別人の可能性もあったけど、たぶん和泉さん本人だろう。  審査員コメント。特集記事。それらを読んで心が震えた。人ってこんな褒められることあるんだと。 「こういうのは結局やるかやらないか、続けるか続けないかだよ」  和泉さんの言葉を思い出した。  おれは完全なる凡人かもしれない。和泉さんのような天賦の才は、信じたくないけど、おそらく持っていないだろう。だけど、それでも別にいいじゃないか。そんなふうに思えた、ようなようでないような。
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