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はりぼてつれづれ4
イリエの向かいで二つ結いの女子が席を立ち、プラスチックのトレイを持ってカウンターへ歩く。
追加注文をしにいくのだろう。
巧の背中がびくりと強張る。すごくわかりやすい。
ウブな反応を笑いつつ教科書の横から手を伸ばし、学生服の肩をつっつく。乱暴に振り払われる。
「ずっと隠れてるつもりか」
「……いなくなるまで待つ」
「当分出て行きそうにないぞ」
けれども巧は頑固に教科書にしがみついたままこちらを見ようともせず、切れ切れに届くイリエたちの会話に耳をそばだてる。
面白くない。
テーブルの下、こっそりと足を伸ばし、巧の履くスニーカーの先をつつく。
「―っ、なんだよ?」
「別に?」
教科書をどかし噛みつく巧ににっこり微笑み返す。
巧は再び教科書に戻る。熱心に教科書を読む―ふりをする。
ド近眼の人間がそうするような猫背で教科書に顔を埋める巧を見るにつれ嗜虐心と悪戯心が騒ぎ、テーブルの下で伸ばした足を慎重に絡める。驚き、戸惑い、逃げようとするのを素早く制してするりと足首に巻きつく。
「ちょ、フジマ」
上擦る声に動揺が伝う。教科書がずれて顔上半分が露になる。
逃げ腰で引っ込もうとするのをつかまえますます強くきつく締めつけ、反対側の足でもって無防備な靴裏をくすぐる。
「―ふは、ちょ、たんま、悪ふざけやめろって!」
取り乱す巧の制止は聞かず、ズボンの裾を足でもって器用に捲り上げ、靴下をちょっとだけずらしてやる。
「いい加減にしねえと怒るぞ」
「怒れば?」
精一杯の脅しに余裕の笑みで報う。
テーブルの下で悪戯しながら笑みは絶やさずストローを吸う。
巧がむきになって蹴りを放つ。
椅子が不規則にがたつく。
だけど俺はやめない、嫌がる巧にしつこくつきまとう。巧がいらだつ。顔にあせりがちらつく。もうすぐイリエのつれがカウンターから戻ってきてしまう。俺の足を振りほどこうとばたつく一生懸命な顔を観察し優越感を味わう。
「騒ぐとばれる。大人しくしろ」
「ちょっかいかけんなよ、お前わざとやってんだろ!ええい鬱陶しいっつの、水虫伝染すつもりか」
「イリエさんに見つかっちゃうぞ」
耳元で脅す。
教科書の影で歪む顔に葛藤と逡巡がせめぎあう。
ああ、こいつほんといい顔する、いじめたくなる。サドの気はないつもりだけどいじり倒し甲斐あるなあ。願わくば、巧にこんな切ない顔させてる要因が俺だったら言う事ない。だけど巧の頭の中は今イリエさんのことで一杯で、俺はそれが腹立たしい。どうして目の前にいる俺を見てくれないんだろう?振り向かせたいと躍起になる。
「水虫なんかないよ」
「フジマ王子に水虫あったら女子が幻滅して暴動起こすぜ。ざまーみさらせ」
巧が茶化して舌を出す。
ああ、くそ、反則。可愛いな。
ついうっかり魔が差し、靴の先端で筋肉に守られてない膝裏を掠る。
保健の授業では確かここに迷走神経が……
「!―んっ、」
やらしい声。
俺のほうがびっくりしてしまう。
「あれ、タカハシ?」
ボードを持った女の子がこちらにやってくる。隣の隣のテーブルで女子の集団が立ち上がる。
「なんだ、いたんだ」
「つーかフジマくんじゃん!嘘っ、偶然!」
「やだー、フジマくんいたんなら早く声かけてよ気づかなかった」
甘ったるく語尾を伸ばしてわらわらやってくる女の子たち。中にイリエがいる。
「ごめん。勉強してたから邪魔しちゃ悪いとおもって」
「そうだよ、俺らは勉強に来たんだよ、珍獣の相手してる暇ねえの。しっしっ」
教科書を投げ捨てた巧が顔にさした赤みをごまかすように邪険に追い立てれば、女子たちが一斉にブーイングを放つ。
「タカハシやな感じ―。お前こそどっか行け」
「どっか……行けって俺は最初からこの席なの!お前らこそどっか行け、マックで勉強すんな、図書館行け!」
「自分だってだべってたくせにねえ」
「ねー」
女の子は口達者だ。押しに弱い巧は口の中でもごもご呟いて黙り込んでしまう。
俺はといえばテーブルを包囲する女の子たちなんて殆ど眼中に入らず頭の中はさっき一瞬巧が漏らしたやらしい声で一杯で、反芻するにつけ顔が危険な感じに熱くなって、ああ今考えてること巧に透視されたら絶交される軽蔑されるそれだけはやだ絶対と自己嫌悪ぐるぐるで突発性の眩暈と発汗とその他もろもろの症状が襲って
だけど俺は気づいてしまった。
気づかなくてもいいことに。
きゃあきゃあ騒ぐイリエを上目遣いに窺い、いつもは絶対そんなことしないくせにズボンの上に散った食べかすを几帳面に払う巧の異変に。
俯き加減の顔はほんのり上気して、伏し目がちの瞳は微熱に潤んで、虫歯を堪えるみたいにむず痒げな表情で伸び縮みする口元を結んでほどいて、しまいには困り果て。
戸惑い揺れる一連の表情は切実に一途で純情に甘酸っぱくて。
今、巧の頭の中から、俺の居場所は蒸発してしまった。
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