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S大学には、名物講師がいる。
考古学教授としてS大学に在籍していたが、その職を辞し、今は怪しげな噂を集めてまわっているという。
その、仕事と呼んでいいのかよくわからないことを何年も続けていて、彼を知る者たちからは変人として扱われている。
S大を去った後も、客員教授として講義をおこなったりしており、その独特な講義は二つの意味で人気があった。
人気の一つは、参加さえすれば、確実に単位がもらえるということ。
もう一つの理由は、彼と同じく、世の中にある不思議なことを面白いと思う者が興味を持って参加するのであった。
そんなわけで、彼の講義は人気がある。
面白いもので、彼の講義がおこなわれる講義室は、右側と左側で人が別れている。
左側は、単位欲しさに選んだ者たちが集まっており、まともに講義を聞いている者はいない。
右側には逆に、講義に興味を持った学生たちが集まっている。熱心にノートにペンを走らせている者や、自分で持ち込んだ資料を参照しながら話を聞いている者がいる。
そんな、対極な両翼の中心に、彼はいる。
彼の名は、秋山春陽と言う。
「ねえ。才能を開花させる花屋の話って知ってる?」
「何それ」
講義が終わり、ぞろぞろと学生たちが講義室を去る中、二人の学生が話していた。
「あのね、人間には、必ずひとつその人だけの才能があるんだって。でも、それを開花させるのって大変だから、その人が本来の能力を発揮することは難しいわけだよ」
顔をずいっと前に出し熱心に話しているのは、二年生の夏木鈴。
「顔近いんですけど。てかさ、そんなのただの噂でしょ」
興味なさげにそう言うのは、同じく二年の今野冬子。
二人は、講義室の両翼、つまりは、興味がある側と興味がない側の人間である。そんな彼女らがこうして話しているのは、一年前の些細な出来事が原因だった。
冬子が言った、「私たち、名前からして夏と冬じゃんね。真逆って感じ」という言葉に、鈴が反応した。「これ、微妙に運命じゃない?」と。
微妙に運命ってなんだという話で、冬子はその時は適当にあしらったのだが、それからというもの、鈴はやたらと冬子に付きまとうようになった。
「でも、それを自称している人とかもいるんだよ。しかも、同時に。噂が広まってから増えるってのはあるかもだけどさ」
「そういう噂を広めたいって人たちがあつまって、同時に噂をながしたんじゃないの? そういうのって注目集めるのにも役立つし」
「むー。冬子ちゃん面白くない。この講義を受けておきながら、どうしてそんな夢のないこと言えちゃうかな」
「そりゃあ、私は単位が欲しいからとってるだけだし」
「冬子ちゃんもこっちへおいでよ~」
鈴が冬子の袖をくいくいと引っ張る。
「やめなさいよ。伸びるでしょうが。てかさ、そういう話するんだったら、まさにうってつけがいるじゃないの」
「先生?」
「そう」
「でも、いいのかなぁ。一学生でしかない私みたいのがそんな相談して」
「いいでしょ別に。そういうの調べてるんでしょ、あの人」
「そうだけどさ。なんか恥ずかしい」
「頑張んなさい。じゃあ私行くから」
くいっと冬子の袖が引かれる。
「……離しなさいよ」
くいくいと引かれる。
「あのね、いい加減にしないと」
くいくいくいくいくいと……。
「伸びるでしょうが! ああもうどうしろってのよ!」
「才能を開花させる花屋ですか?」
「はい。この子がそういう噂を聞いて、先生にそれについてのご意見を聞きたいらしくて」
大学のカフェテリア。秋山は講義がないときはいつもそこで本を読んでいる。鈴と冬子は、そこを訪ねた。
しかし、実際にこうして話をしているのは、用がある鈴ではなく冬子だった。鈴は妙に人見知りの所がある。それなら自分にもそれを発揮してはくれないかと冬子は思う。
「何件がそういう事例はありますね」
「花屋さんが才能を開花って、なんかギャグみたいですけどね」
「まあ、そうですね」
秋山は微笑む。変人であることに間違いはないが、普通に話す分には、変人要素がない。
「花というのは、ある種の喩なんです」
「たとえ?」
「はい。今野さんは花屋の存在をギャグっぽいと言いましたよね。あながち、それは間違いではないのですよ」
「どういうことですか?」
冬子の後ろに隠れていた鈴が、ひょこっと顔を出し訊いた。
「奇跡であったり、特別な能力であったりというのは、抽象的に表現されることも多いんです。祝福の象徴であったり、もしくは汚れの象徴であったり。それらをより印象深く描き出すため、喩えを用いるんです。祝福と言えば、このアイテムであるという風に」
「才能を開花させるというイメージをより印象付けるために、花屋という言い方をされていると?」
冬子が問う。背後の鈴が小声で「冬子ちゃんも興味でてきてるじゃん」と言っていたが、無視する。
「そうです」
「でも、そんな人実在するんですか?」
「それはまだわかりません。けれど、否定しきれないのなら、探ってみる価値があると僕は思います」
「先生は、もう調べてらっしゃるんですか」
「興味ありますか?」
秋山が冬子をじっと見つめて言う。心を見透かされてしまうような、澄んだ目だった。
「……正直、少しだけ」
鈴が嬉しそうな声を漏らす。
「そうですか。では、少し出かけませんか?」
「今からですか?」
「はい。フィールドワークってやつです。そんなに遠い場所でもないので」
秋山は椅子から立ち上がり、そう言った。
「この件は、少し前から話があがってきてました」
「ネットで噂が出回る前からですか?」
「はい」
大学近くの駅。そこで電車を待ちながら、秋山は花屋について話をしていた。
「その人にある能力を開花させる。そのための祝福を与える存在。神の使いのような言い方をされていました」
「神?」
「ええ。本当の意味での奇跡を起こせるのは神だけと言われていますからね。奇跡と祝福を与えるのは、いつでも神という絶対存在ですから」
「じゃあ、本物の神様がいて、みんなに幸せを配ってるってことですか?」
鈴が問う。秋山と話すことに、少しなれてきたようだった。
「それは、どうでしょうか」
少し含みのある言い方をする。冬子はそれが気になった。
「そろそろ電車が来ますね。行きましょう」
三人は電車に乗り、ある場所に向かった。
そこは、かつてある村が存在がした場所であり、今は観光用の自然公園となっている。
「初めて来たかも」
「そうなの?」
「冬子ちゃん来たことあるの?」
「何度もってわけじゃないけどね」
「何しに来たの?」
「何って、散歩とか、時々スケッチとか」
「以外。冬子ちゃんってウェイ系だと思ってた」
「なによウェイ系って」
そんなやりとりをしつつ、二人は先を歩く秋山を追いかける。
そうして、しばらく歩いた後、秋山は立ち止まった。
「ここです」
公園の奥まった場所だった。小さな看板がたてられている。
「何にもないですね」
「はい。でも、かつてはここに、奇跡を起こす人が住んでいたようです」
「奇跡を起こす人?」
「ええ。彼は、山でとれた花を売りあるく、花売りだったようです」
「花売り? 花屋さんってことですか?」
「そうです」
「奇跡を起こす花屋さん。噂と同じですね」
鈴が言う。もう冬子の後ろに隠れていない。
「彼は、持たざるものでした。生活は苦しく、才にも恵まれず、日々貧しさにあえぎながら生きていました。けれど、そんな彼には、不思議な力があった」
「誰かの能力を開花させる力ですか?」
鈴が言そう問うと、秋山は頷いた。
「彼はその能力に気付いてから、誰かのためになるならばと、力を用いるようになったそうです。彼の元には多くの人が訪れ、能力を開花させた。そうしている内に、人々は彼を、神のごとく扱うようになったといいます。いつしか、彼の力は、願われ用いられるようになった」
秋山は目を伏せ、一瞬黙った後、続けた。
「しかし、彼は、人だった。特別な力があるとはいえ、その体は人そのもの。一日中能力を使い続け、彼はどんどん疲弊していった。それと同時に、人々はあることに気付くんです」
「あること?」
「彼によりもたらされた力は永遠ではないということです」
「でも、自分が本来持っている能力を開花させてるんですよね。それなら、一度それが目覚めればずっと続くんじゃないんですか?」
「才能と言っても、それは純粋に能力とイコールというわけではないんですよ。経験が地盤としてあるから、才能の活かし方もわかる。能力というのは泉なんです。湧き出るもの。泉を湧き続けさせる持続力こそが、本当に必要なものです。たとえば、名曲の作り方をしっていれば、人々に称賛されるものを作ることができるでしょう。しかし、いつかは行き詰る。その人はあくまでも名曲を作る方法を知っているだけ。いずれは、似通ったものしか生み出せなくなる。彼の力は、奇跡を起こすものではないんです。あくまでも、可能性を引き出すだけだった。しかし、その力を受けた人々は、開花した能力を努力で持続させることを選ばなかった」
「枯渇するたび、彼の元へやってきたってことですか」
冬子が不快そうに言う。
「はい。しかし、先ほども言ったように、彼の力は可能性を引き出すだけ。すでに引き出された可能性に上乗せさせることはできない。そうしたことを続けているうち、彼は、疎まれるようになった」
「酷い……勝手にまつりあげておいて」
「神として扱われていましたからね。神への願いというのは、ある意味では自分自身への宣誓でもあるんです。実態がないからこそすがれるし、恨むこともできる。ですが、彼はそこに存在していた」
「恨みをぶつける対象がそこにいる」
「そうです。そうして、彼は疎まれ、詰られ、能力の使いすぎで疲弊した体を引きずりながら、村を去ったそうです。ここは、そんな彼の生家があった場所と言われています」
風が吹いた。その風は、冬子の前髪を揺らす。乱れた髪を整えながら、冬子は短い溜息を吐き出すと、秋山に訊いた。
「先生が話してくれたことって、ここだけの伝承なんですか?」
秋山は微笑む。
「良い質問です。こうした伝承は、ここだけのものではありません。形を変えつつ、様々な場所で語られています」
「じゃあ、そういう伝承を知ってる人が、都市伝説を作りたくてばら撒いたのが今回の噂ってこともありえるってことですよね」
「そうですね」
「でも、もしかしたら、本当に現代でもそういう能力を持った人が出てきて、そういう活動をしているのかもしれないよ」
鈴が言う。
「それじゃあまた同じことの繰り返しじゃない? その人もそのうち、神様から裏切り者に変わっちゃうでしょ」
「それは、そうだけど……」
「そういうのが本当にあったとして、不幸になるのって、結局力がある方なんじゃない。それなら、私は最初からそんなものない方がいいと思う」
「……冬子ちゃん、優しいね」
「は? 違うし」
冬子はぷいと顔をそらす。
「真実がどうあれ、こうして様々な可能性を論じることができました。噂というのは、是非以上に、様々な議論を含んでいます。こうして噂について調べ、考えるうちに、様々な思考を巡らすことができるんです」
鈴が強く頷いた。
「噂って、深いんですね。あと、気が付いたんですけど、私たち、三人で四季ですよ」
「は?」
「ほら。先生は秋と春でしょ? 冬子ちゃんが冬で、私が夏。春夏秋冬。ほら、これって微妙に運命じゃない?」
「あんたはまたそうやってわけわからんことを」
「でもでも、そう思わない?」
「思わない」
「なんでよー!」
そんな二人のやり取りを、秋山は微笑んで見つめていた。
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