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外へ出て、人気のない校舎の裏の方に回っていく。
辺りに誰もいないことを改めて確認すると、八ヶ代は鞄を地面に置いてその中身を探り出した。
出てきたのは、例の本――「未来予知のルール」だった。
「これを見て嗤ったり、馬鹿にしてきた奴は何人も見てきた。けれどお前は明らかに違ったな。お前も興味があるのか?」
「……まあ、一応」
言葉を濁すオレに対して、八ヶ代の紡いだ言葉は衝撃的なものだった。
「俺は――この宇宙に存在するアカシックレコードとやらを破壊したいと思っている。だが俺には未来予知やそれに近しい能力が備わっていない。だから運命には逆らえない。俺1人ではどうあってもなし得ない。けれど協力者がいれば話は別だ」
……何を言っているんだ、コイツ。
オレが割って入る間もなく、八ヶ代は続ける。
「世良翔太。お前は、未来が視えるのか、それともそれに準ずる何かがあるんだろう? あの時の反応……少なくとも未来予知というものを馬鹿にするような目ではなかった。むしろ逆だった」
反論しようにも喉の筋肉が硬直して、咄嗟に言葉が出ない。図星を突かれてビビっているのだと自覚したのは、次に八ヶ代が喋った時だった。
「図星か? 世良」
「……、……違う」
「本当に? その汗はなんだ」
「汗……」
言われて自分の首を触ると確かに薄っすらと湿った感じはあるが、どう考えても八ヶ代からわかる程の汗ではない。
「本当に動揺しているんだな」
嘲りのようで、違うニュアンスを含んだ言い方。どんな感情が含まれているのか、今のオレにはわからない。
「今朝、どうして俺が殴られるのを止めた」
「……そりゃ、喧嘩になりそうだったら止めるだろ」
「俺が悪いのは一目瞭然だったのに? あの場で俺は殴られて当然だった」
「それでも――、普通、止めるだろ」
「止めに入らなければ、俺の肩を持つことにはならなかった。クラスメイトから余計に嫌われることもなかったのに」
「……助けてやったのに、ずいぶん嫌な言い回しをするんだな」
「"どうして"、と聞いているんだ。話を逸らすな」
「逸らしてねえだろ! お前みたいな嫌な奴でも助けて当たり前だった、普通だったって言ってるんだ」
今朝も思ったが、コイツは大概面倒くさくて嫌な奴だ。未来視で関原が殴り返されるのを見ていなければ、確かに俺はあの場に介入しなかっただろう。
……全て図星を突かれている。
コイツはもう、オレに「未来が視える」ということを前提で喋っている。そう思わずにはいられないほど、八ヶ代の言うことはオレに刺さっていた。
「何か悪い未来が視えたからなんだろう。世良。でなければ、あの状況で俺に肩入れする理由がない」
確かにそうだ。その通りだ。
未来視でクラスメイトが殴り返されるのを視たから止めに入った。
……その通りでしかない。
こうも最初からわかっている風に追求され続けると、気が滅入ってくる上に反論する気がなくなる。
「未来視ができる」というのは、今まで決して誰にもバラしてはいけない秘密だった。
まだ小さい――3歳か4歳だったか――の頃、同い年だった子が転んで大怪我するのを視たことがあり、実際にそうなった。
それを母親に言った時、あの人はとても不機嫌になったのを覚えている。
それからも何度か同じことを繰り返した。オレが「未来が視えた」ということを告げる度に母親の態度は悪くなっていって、何回目だったかになる頃にはついに泣き出した。
「うちの子、頭がおかしいんだわ!!」
それ以外にも色々言っていたような気がするけど、都合よく何も覚えていない。
覚えているのは、その言葉を聞いた日以来ずっと病院をたらい回しにされ続けたということ。医者の前で未来視のことを話しては、鼻で笑われたり深刻そうな顔をされたり……そんな日がずっと続いたこと。
それが1年も続く前に、オレはようやっと理解したのだ。
「自分がおかしいのだ」と。「未来が視えるのはおかしいことなのだ」と。
だから、気づいた瞬間にオレは母親に未来視ができなくなったと嘘を吐いた。するとあの人は今までの狂乱具合が嘘のように喜び始めて、オレにこう言った。
「ようやく治ったのね」……と。
オレがおかしいということを知っていた人たちも、次々に喜んだ。
あの日にオレは確信したんだ。「未来視ができることは誰にも言ってはいけないことなんだ」と。
そして「普通のように振る舞っていればみんな喜ぶんだ」と。
それ以来、誰にも未来視のことは一切話さなかった。
……話さなかったのに。
どうして、今日知り合ったばかりの転入生に話す羽目になろうとしているんだ。
神様がいるのなら――ソイツはなんて適当な奴なんだろう。オレが必死に守ってきたものを、八ヶ代理という存在だけでぶち壊しにきている。
「……オレが、未来が視える人間だったとして。どうするつもりだ」
「最初にも言った。俺に協力してほしいと」
「協力……」
「俺は、運命とやらがあるのなら覆したいと思っている。今までやれることはやってきたが、やはり"運命"に関与できる力がない以上限界がある。けれどもし、お前が未来を視ることのできる人間だったなら――お前の視た未来を変えていくことで、運命に歪みを与えることができるのでは、と考えている」
……コイツ。
……最初からそうだったが、とんでもないことを言っている。普通の人にこんなことを言えば、即刻病院送りになるだろう。実際に送られた経験のある俺が言うんだから間違いない。
けれど――オレも「何言ってんだコイツ」と一刀両断できないのは事実だ。コイツの言うことを少しだけでも理解できてしまう、それだけでお互い様なのは明らかだった。
少しの沈黙。……それから、オレは口を開いた。
「……朝、お前が関原に殴られるのを視た。でもお前はそれをいなして、関原を返り討ちにしてた。だから止めに入った」
「なるほど。クラスメイトを想っての行動だったのか」
「じゃなきゃ止めに入る利点がない、だろ。……それより、オレは具体的にお前に対して何を協力すればいいんだ」
「簡単な話だ。未来が視えたら、極力それが現実に起こらないように行動を起こせ」
「……マジかよ」
今まで、未来視で視えたものを変えようとしたことは何回もある。けど、それがうまくいったことは今日の朝まで1回もなかった。
おまけに、未来視というやつはいつ起こるかもわからない。その上、何秒後、何分後に起きるというタイミングもわからないのだ。
……だいぶ荷が重くないか。そういう感じのことを八ヶ代に言うと、八ヶ代は少し考え込んで、すぐに口を開いた。
「今まで変えようとしてうまくいかなかったものが、俺に関わった途端に……となれば、俺がトリガーの可能性はあるな。だったら、常に行動を共にすることにしよう」
「は?」
また突拍子もないことを、という思いが思わず口から溢れてしまう。
「常に行動を共に……って、マジかよお前」
「二人いれば咄嗟のことであってもどちらかが反応できる可能性が高い。それに、どうせ俺たちの評判については今朝で下がりきっているだろうしな」
「下がりきってるのはお前の評判だけだろ!? 俺はまだ少し残ってるよ!」
「どうだか。不良転入生の肩を持ったというデメリットは意外と大きいぞ」
……自分のことを"デメリット"と言い切る姿勢。自分が訳あり物件であることを理解しているのは確かなようだ。
「まさかとは思うけど、オレの家にまで乗り込んでくるつもりじゃないだろうな……」
「そこまでするつもりはない。学校にいる間だけだ」
それでも十分面倒なんだが、と思うオレの心など知らないのだろう。八ヶ代の表情は、教室に入って自己紹介をしたあの時より少し綻んでいるように見えた。
……そりゃそうか。コイツの言うことは誰もが信じられるものじゃない。へんてこな霊能者や、オレのような変わった人間ぐらいにしか聞いてもらえない話だ。聞いてもらえるだけ奇跡レベルの、荒唐無稽な話。
そんな話を受け入れてもらえば、どんなにひね曲がった人間でも多少は嬉しくなるものなんだろう。
「世良。なんだその変な顔は」
――それは、こっちも同じなのかもしれないが。
「別に。お前、本気で未来視のこと信じてんのかと思ってさ」
「信じている。でなければ俺の理論が証明できない」
信じている、と改めて言われるとなんだか落ち着かない。
今まで隠し通してきたものをこうあっさり肯定されるとは夢にも思ったことがなかったからだろうか。
「明日から俺と行動を共にするようになれば、お前は必然的に周囲からさらに浮いていくだろう。だがお前が嫌がっても俺はお前を逃すつもりはない。……変わり者同士せっかく出会えたんだ、出来る限り仲良くやろうじゃないか」
そう言って、八ヶ代は右手を差し出してくる。……自分が嫌われている自信はあるようだけど、果たしてその言い方で差し出された手を握り返そうと思う人間はいるんだろうか?
オレの場合は、未来視のことを話してしまった以上逃げ道はないのだけれど。
……それに「信じている」の一言は、案外悪くない響きだった。
差し出された手を、オレは軽く握り返す。
「お前こそ目的が達成できないからって逃げるなよ。あと少しは周りに合わせる努力しろよな」
「逃げはしないが、それは断る。俺には俺のやり方がある」
「……」
オレの言葉から「断る」までほぼ即答だった。コイツ……本当に……。
「それに、過去の事や評判はどうやっても変えられないからな」
一瞬の苛立ちの合間に挟まれたその言葉。
そういえば俺も、母さんと込み入った話をしたことはないな、とふと思った。
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