クレオパトラ探偵事務所

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 「もしもし。こちら、クレオパトラ探偵事務所でございます。相談は、無料でございます。探偵費用は、お客様の満足に適った場合のみ、頂戴いたしております。え、おいくらですかって? 特に決まってはおりません。お客様の方で、わたくしどもの報酬を決めていただいております。なんせ、このご時世、お金が無ければ、相談も、調査もしてもらえないようで。そんなのは、うちのビジョンには、ございませんので。誰でも、自分で支払い可能な額を、それぞれお客様ご本人様に決めていただき、気軽に何でも相談・調査ができるようになっております。何卒、宜しくお願いいたします。」  黒ぶち眼鏡の、黒いおかっぱ頭の、若いのか年なのか、年齢不詳の事務員の女が、そう言って、電話の受話器を取る。ここは、変わった小さな探偵所のようだ。あやしいのか、あやしくないのか。信頼できるのか、できないのか。正しいのか、間違っているのか。正義か、悪か……。客は、誰でも一瞬、判断に困ってしまう。でも、この女の、黒猫のようなしゃがれた甘い声を、耳元で聞けば、何となく安心して、「相談だけならば、行ってみよう」という気になるのである。  本日のお客は、20代後半から30代くらいの、若いOLだった。彼女は、言う。  「今日までは、OLなんです。明日、会社に辞表を出すから。」  「そうですか。個人情報は、他者には漏らさないこと、お約束いたしますので、どうぞ安心してお話ください。」  「上司に、セクハラされました。最初は、恋人になっても、良いと思った人だった。優しくて、年上で、給料も高くて。収入が安定していれば、包容力があるように、感じてしまうんですよね。でも、上司は、私以外にも、付き合っている女性がいて。彼は、一方的に、私が好意を持ったのだと、汚らわしいものを見るように言ってきて。許せないから、セクハラで訴えたい。」  「知らないけど、そういう人には、奥さんもいるんでしょうね。妻子がある人なのかもしれない。」  「ええ。職場は、みんな、閑散としていて、みんな、独身という顔をしているんです。仕事の話以外、しないから。プライベートのことなんて、おくびにも出さないから、家庭のことなどは、わかりません。」  「わかりました。では、まず、その上司に奥さんや子どもがいるのかなど、家庭を調査しますね。」  黒猫黒子は、その上司のあとをつけて、家までついていった。案の定、一戸建ての、幸せな、裕福そうな、家庭。中からは、エプロン姿の奥さんと、小学生くらいの子どもが、「お父さん、おかえり」と出迎えている。  翌日、とある食品会社に、一本の電話がかかった。  「お世話になっております。こちら、クレオパトラ探偵事務所でございます。そちらで働いている課長のEさんについての、貴重な情報提供がありまして。彼は、妻子のある身で、同じ会社内の職員と、交際をしております。それも、複数名の女子と。これは、世の女子に対する屈辱では、ないかと。幸せな家庭の象徴てある、食品会社の看板にも、泥を塗るようなものです。」  「わかりました。こちらで、事実を確認してから……」  「いえ、それには、およびません。すでに、メディアに、取り上げて頂いております。新聞やテレビを、御覧くださいませ。何卒、宜しくお願いいたします。」  「ちょっと、待ってくださいよ。たかが、浮気や不倫のことで。まだ、事実も、わからないのに。人権侵害だ。」  「あら、それでは、被害に遭われた女性の、人権はどうなるんです? 仕事の上司である男に、求められるまま、抵抗できなかった。それを、会社にも相談できなかったというのは。社長、あなたの責任です。メディアは、本来、声なき、善良な民のためにあります。」  ガチャリ。電話は、切れた。  「これで、ほんとうに良かったのかしらね。」  黒猫黒子は、昨日までOLだった女と、目くばせする。  「いいんです。お客様の立場に立って、建前というか、イメージをよくするように、私に教えたのは、上司でしたから……。でも、建前だけで、実態はどうであっても、関係ないというのは、やはりよくないことだと思いますし。」  「わかりました。では、お代は、メディアに売った記事の売り上げということで。」    「はい。ありがとうございました。少しでも、スッキリしました。ところで、黒猫さんは、どうしてこのお仕事を?」    黒猫黒子は、ただ微笑んだだけだった。でも、黒猫黒子の頭には、破裂するくらいの動機が、パチパチと飛び交っていた。  それは、黒子が、大学生だった時のこと。  「友達と、連絡が取れないんです。ケータイも、通じなくて。彼女が今、どこにいるのか、何をしているのかも、わからなくて……。彼女が、今も、在学しているのか、それとも、休学か、退学か。それだけでも、教えていただけますか。」  黒子に、大学の教務課の職員は冷たく言った。  「個人情報ですので、お答えできません。お友達に、直接、ご確認ください。」  そのあと、黒子は知ったのだ。彼女が、教授の指導を苦に、自殺したことを。それは、テレビでも、新聞でも、報道された。  母親は、テレビに出演して、こう言っていた。  「ハラスメントが、あったかどうかなんて、どうだっていいんです。教育の最高機関である大学で、なにかあったのか、今も、なにが行われているのか、それが知りたい。大学案内とも、シラバスともちがうことを、やっているようで、娘がそれに反論したら、教授は、言ったそうです。〈総理大臣が、決めたことだ〉と。〈訴えるなら、文部科学省や、国を訴えればいい〉と。そんなの、めちゃくちゃで納得できないと、思いました。」  もし、あの時、つながる電話があるなら、もう一度、友人の声が聞きたかった……。  だから、黒子は、この仕事をしている。  事実かどうかなんて、どっちでもいい。ただ、人の気をそそる、魅力的な記事が書きたいと。真実は、それから、国民のこころのうちで、一人ひとり、考えてもらえればいいのだと。  
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