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親父の工場は孫請けの零細企業で、大企業の子会社の経営不振の煽りを食らって倒産し親父は数日後、郊外のハイキングコースの崖下から遺体となって発見された。
事故死ということだが本当のところはわからない。
自殺では保険金が降りない可能性があるから親父は親父なりに家族を守ろうとしたのかもしれない。
大学四年で卒業を間近に控えていたが、もともと工場を継ぐ予定だった僕は就職活動もしてなかった。
債務整理をしながらも辛うじて大学は卒業したが、ここまでこの工場が逼迫していることに気づいていなかった。
工場で長く勤めていてくれた10人の従業員に親父の保険金から退職金を出し、残りを会社の借り入れ金の返済に充てたが到底足りず、担保に入っていた工場や自宅も手放すことになった。
それは実際お金を借りていたわけだから仕方がないことだが、沢山の思い出も誰か知らない人の元に渡ってしまったのが悲しい。
もともと精神の強くない母はこの一連の流れの中で心を病んでしまい、父の死から49日目に処方されていた睡眠薬を過剰に摂取して父の元へ行ってしまった。
借金はまだまだ残っている状況で、職を探さないといけないと思っていたところに、KISARAGIコーポレーションの人事部長を名乗る人物が僕の元にやってきた、それは親父から頼まれていたということでKISARAGIへの入社についての話だった。
就職も決まってなかったから、こんな大企業に就職できてありがたいという思いしかなく、二つ返事で入社を決めた。
今思えば親父とKISARAGIにどんな取り決めがあったのかは分からないが、借金を抱えて途方に暮れていた俺は渡りに船で庶務課での仕事にもやりがいを感じていた。
それがいきなり秘書課とか言われても、せいぜいが零細企業の社長である親父の補佐をしていたくらい。
大学では経営学部ではあったが実戦ではない。 重い気持ちでノロノロ歩いていたが、いつかは到着してしまう。
目の前には専務室の扉があった。
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