N˚.3 < drei Akte.:きょうこ【第三幕】 >

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このクソ素晴らしき世界。 Serenade No.13 / Eine kline Nachtmusik. N˚.3 < drei Akte.:きょうこ【第三幕】 > ………………………… 師走。  せつなと電車に乗り五十分、県境をまたいで街に出る。そこは、いつもどおりに同い歳くらいの男女で溢れていて、鮮やかな服と賑やかな話し声が花のように彩っていた。そのなかをきみと手をつないで歩く。あたしたちも花のひとつとして、ここに咲き馴染むことができているのだろうか。  メニューに紅茶があるコーヒー専門店を選んで入ったのに、きみが苦手なコーヒーを無理して飲むから、その崩れた表情に笑い、次にあたしが苦手なスイーツを食べさせられ、甘すぎる味に苦悶して顔が歪み、きみに笑われる。そんな普通の日、普通のふたり、普通の………デート。街を見てまわっていたときに、きみが好きだというセレクトショップに腕を引かれ、見事に遊ばれることになってしまった。 「きょうこちゃん!スタイルいいから、この服似合いそう!」  あたしにはこんな女の子らしい、かわいい格好は似合わない。たぶん、きみはコーヒーの件をまだ根に持っていて、仕返しを楽しんでいるのだろう。 「いや、せつな…………。あたしには、ちょっと似合わない……かな」 「こんなにかわいいのに?」  かわいいから、だよ。あたしが着ていい服なんかじゃない。 「きょうこちゃんに似合うよ。大丈夫だよ」  いや、せつな……似合う、とかじゃなくて、あたしが着るにはね。 「着てみるだけ!ね?おねがいっ!」  桜色に染まった頬。溢れそうなくらいに水分を含んだ大きな瞳。その顔の前で、ちょこんと手を合わせておねがいをされる。女の子だろうが、男の子だろうが、こんなにも、かわいいおねがいをされて断ることのできるひとがいるのだろうか。 「どう…………かな?」  試着室のカーテンを開けて、今まで体を通したことがない服に、緊張と恥ずかしさで熱と汗が肌を薄らおおう。きみは息を大きく吸い込み、大きな瞳をさらに大きくして固まってしまった。  うわー……この時間、なんだろう?  すごく恥ずか……しいなー………………。 「きょうこちゃん!すごい破壊力っ!」 「えっ!破壊力っ!?」  きみが選んでくれた服が店員さんの手によって、きれいにたたまれ紙袋に吸い込まれていた。それなりのお小遣いもまた、財布からレジスターに吸い込まれていったけれど。 「ごめんね!?そんなつもりじゃなかったんだよ!?」  せつなが謝ることなんかないよ、きみは全く悪くない。普段なら、こんな女の子らしい服なんて選ばないから、あたしに選ぶ機会を作ってくれて、ありがとう。また、この服を着て見せたときに、はしゃいでくれるきみが見たいだけなんだよ。  紙袋を手にした店員さんに出口まで見送られながら改めて店内を見渡す。やっぱり、ここにある服が『本当に似合う』のは、あたしなんかじゃない。スタイルだとか見た目とか、そういうことではなくて、きみみたいな内面も美しいひとが着るべきだ。美しい服は美しい“こころ”の持ち主が纏うと、より美しく輝くよう生まれてきているんだよ。  だから、あたしが着るには、  すこし、  いいや。あたしは汚れているんだ。 クリスマス、八日前。  いつからクリスマスという行事が恋人のモノになったのだろう、と、毎年、誰かが言っている。あたしもそう思う………いや、思っていた。だけど、今年はその浮かれたイベント意識の恩恵を享受できそうな状況に、ときめいてしまっているのは否定できないわけで………。 「あと二週間すれば、お蕎麦に、除夜の鐘に、初詣に行くのにどうなっているんだろーねー……?」 「うん?きょうこちゃん、なんの話?」  きみのオススメだというカフェテリアで食べているランチプレート。そのプレートに乗る等間隔に切られたゆで卵は小さな口の前で止まり、きみは大きな瞳をぱちくりさせていた。 「あー……気にしないで?ヒトリゴトに近い現代社会と宗教観に対する問題提起だから」  う、うん?うん。と、うなずくも歯切れ悪く、きみのふっくらとした唇の前にいた、ゆで卵が口の中に招き入れられた。 「せつな、クリスマスはどうする?」  先ほどまであったときめきが、かちっ、と、フォークがレタスを貫いてプレートで止まる音に突き刺された。寂しそうなきみの表情を見て自分がいやになる。なにをひとりで盛り上がっていたんだ。  馬鹿だ、あたしは。 「一緒に過ごしたいのは……。うん、すっごくあるんだけれど…ね?ご………ごめんね?」  毎年、せつなのお母さんは七面鳥を焼き、たくさん料理を作って家族で過ごせるように用意しているのだと言った。だから、会えない………すこし、じゃない。すごく、でもない。ふたりで過ごさないクリスマスがあるなんて考えもしていなかったから、息が止まっていた。 「七面鳥ー……かあ」  カラカラに乾いた喉を濡らすために飲み込む唾と一緒に現実を飲み込み、次に現れた、あたしの『家族』とは違う『あたたかな家族』が見えてしまって、また、つらく、なる。 「ごめん………ね?」 「いや?家族との時間を大切にして?」  美しく、やさしいきみがそうであるのは、あたたかな家族の愛を受けてきたからなんだね。しあわせそうに七面鳥を頬張るきみと、きみを囲むあたたかい家族を想像して、家族のかたちへの憧れと、あたしの家族のかたちに“こころ”が痛くなる。 「せつなは期待を裏切らないねえ」  ごめん。いまのは嫉妬からくる、ただの意地悪だ。 「うん…………きょうこちゃん、ごめんね?」  よよよ、と、力なくテーブルに突っ伏するふり、おどけるふり………それで嫉妬心をごまかした。 「ええ…っ、ええと?」  大きく見開いた瞳の中にある信号機が黄色を灯していて、きみが困っていることを教えてくれる。潤む瞳が美しいと思うから、もっと意地悪を言いたくなる。 「せつなはあたしを傷つけました。慰めてください」 「……うん」  不思議なんだ。ちいさく頼りのないきみ。そのちいさな手に触れられるだけで強くなれる気がする。あたしの頭をゆっくり、やさしく撫でてくれるきみに、それを感じていることをごまかすために、また、 「ヤバイよなあ……っ、せつなは合法ロ……ごにょごにょ……の上に、母性の塊とか。ほんとヤバいぃぃ」  ふざけて、鼻血は出ていないけれど、息を切らしながら両手で鼻を隠した。 「なんだか……きょうこちゃん、怖いよ?」  ふたりで、笑う。  やさしいせつなのあたたかさで“せかい”が抱きしめられたなら、すこしは……。  まだ“せかい”は、あたしたちのことを見つけてくれやしない。  いや“せかい”に見つかったら、あたしたちは、きっと…………。  もしかしたら、あたしたちは、もう………、 「せつなはさ?いままで、男の子も好きになったことはないのかい?」  きみはひとを好きになったり、付き合ったことがないのだと言っていた。だけど、それが本当のことなのだろうかと思っている。こんなにも、ころころしていて、やわらかい表情で笑うきみが、男の子たちの“こころ”に揺れを起こしたことがないなんて信じられないからだ。少なくとも、あたしが男の子なら放っておかないし、何度も声をかけるけどな……と、ずうっと考えていた。きみはすこし首をかしげて大きな瞳できょとんとしている。 「いなかった?小学校とか中学校に足が速かったり、かっこいい男の子とか?」  その魅力的にふっくらとした下唇に、つん、と指を当てて、眉をひそめ天井を見上げ悩む。そのかわいさは犯罪だと思うよ。 「あれかなー?好きにならなくても好きな男の子から声がかかってたりとかかな?」 「ねえ?きょうこちゃん?」 「うん?」  はじめて聞くきみの恋愛に胸が踊る。  天井を見ていたきみが真剣な表情で、  少し傾げた顔で、ゆっくりと澄んだきれいな声で、  あたしの穢れを漂白するように、 「あのね、ごめんね?  あのね………あの…。  ひとを好きになるうえで、  そんなにも、  性別って、  重要なことなの?  ………なんて、ごめんね?」 クリスマス、午後一時四十三分。  せつなとは大晦日と元旦に会う約束をしている。大晦日の午前中にお寺に行き、そのあとは県境を越えた街で食事をする。「親が心配すると大変だから……ごめんね?」ということだったので、二十一時までに帰られるようにしなければならない。元旦は朝から初詣に行き、その後は当日にどうするか決めようという流れになっていた。  あたしは入試へ向けた勉強をし、食事を摂るとき以外は、朝からずうっと机に向かっている。何が、というわけではないが、すこし行き詰まっていた。でも、これはあたしの“せかい”に必要な何かで、きっと母や弟の将来も救うことになるのだから苦痛ではない。嫌だとも思っていない。だから、すこしでもたくさん、誰よりも前へ進んでいなければならない。  ひろい、ひろい“せかい”にいくための、ちょっとした訓練だ。  あいつに部屋を荒らされた日から母の“こころ”が安定する日が少なった。仕事以外の時間を家のなか、部屋にこもり、布団に潜り込んで過ごす日が増えた。あたしたち“こども”も母の負担が軽くなるように、すべての家事を弟と分担してこなしている。けれども、母は外であいつと会っているようなんだ。ふつうの家族に遠い、あたしの家族。それも肯定して“家族”として生きていかなければならない。  ふっ、と、鶏を焼いたいい香りがして、せつなに「今日子、焼けたよ」と呼ばれた気がした。  窓の向こうに存在する、次に飛び込まなければいけない“せかい”を覗く。空に重たい雲がゆっくりと、街を這いずるように流れていた。 「雪が降るのかな……」  空気が温度を失いはじめ、色が暗く濁ってきたのはそういうことなのだろう。机に向かいなおして、口に運んだカップ。そこには冷えたコーヒーすら入っていない。ずっと椅子に座り続け根が生えたようになった身体を天井に向かって伸ばし、窓を開け、冷たくて硬い、新しい空気が招きいれて、ゆっくりと吸う。肺の奥から熱い息と泥のような何かを吐き出し入れ替えたら、カップを持って部屋のドアを開けた。そこに…………、 「ん?」 「あっ!!」  せつなに雰囲気の似た、ちいさく幼さの残った見知らぬ、女の子。 「どちらさまー、かな?」 「あああ、あのっ!い、いち、壱生くんは、おトイレで!わわわわたしは!」  小動物が生命の危機を迎えているように慌てる女の子は、 「そのっ、あの!は!は、初めましてっ!壱生くんと、お付き合いをしている……」  ────彼女。  そうか。………そうか。いちなの彼女かあ、と思った瞬間、弟と過ごしてきた、いままでが時系列に関係なく一枚の絵として頭に浮かんだ。あんなにも「おねえちゃん、おねえちゃん」と追いかけてきていた弟が、こんなにもかわいらしい女の子を彼女として、となりに………。一所懸命な仕草と、つまずきながらも言葉を綴り自己紹介をするギクシャクとした動きに、ふふっ、と笑いが溢れてしまう。 「よろしく、姉の今日子です」 「あっ、はい!はいっ!きょうこお姉さま!お話は予々伺って…っ!」  頭が取れるんじゃないかと思うくらいに、何度も何度も一所懸命にお辞儀をする慌てっぷりに、また笑ってしまう。 「そんなに緊張しなくてもいいって!」  こんなかわいらしい彼女が、いちなにできるなんて、奇跡、というやつか。 「あのばかを、ほんとうによろしく頼むよー…」 「えっ?えっ??」 「いちなは、いいやつだからさ。ばか、だけど。  やさしいやつだよ。ばか、だけど。  それだけは姉として保証する。ばか、だけど」 「あー…えっと、はい?あっ!はいっ!こちらこそっ、よよよよろしくおねがっいしますっ!」  顔や耳、肌の見えるところ、ぜんぶを真っ赤にして、潤んだ瞳で、あせあせ、と、小動物のかわいらしさを見せ続ける彼女に、なんとなく………安心して、なんとなく嫉妬している自分に、また笑ってしまった。 ………………………… このクソ素晴らしき世界。 Serenade No.13 / Eine kline Nachtmusik. N˚.3 < drei Akte.:きょうこ【第三幕】 > Ende.
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