N˚.5 < Zweiter Satz:せつな【第一幕】 >

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N˚.5 < Zweiter Satz:せつな【第一幕】 >

このクソ素晴らしき世界。 Serenade No.13 / Eine kline Nachtmusik. N˚.5 < Zweiter Satz:せつな【第一幕】 > ………………………… 65cc6f3a-2ae7-43f7-a9ab-6307aaca2b57 高校二年生の五月。一目惚れだった。  咲き誇っていた桜の花が散り、若葉が萌えはじめていた。四月からのクラスメイトとも馴染み始めた頃、ちょっとした出来事が教室に嫌な空気を招き入れ、漂っていたのだ。それはよくあることだから関わらないほうがいい、女の子のあいだではよくあること………と、みんなも、わたしも聞こえてくる言葉を、見えている出来事を、ここには存在していないものとして休憩時間を過ごしていたのだ。しばらくすると騒ぎを耳にした怖いと噂に聞く生活指導の先生が大声をあげながら教室に入ってくる。わたしたち………少なくとも、わたしは先生の声で教室で行われていた『それ』に気づいた………ふりをした。 「高橋!またお前か!」  たかはし、  ────たかはし きょうこ。  たかはしさんは一年生のときから学校内で、すこし有名な女の子。何かとよくない噂のなかに名前を聞く女の子だ。でも、とくになにをしたとか、こんな悪いことをしたとか具体的なことは聞かなかった。それなのによくない噂の中には、いつもいる。ただ、ひとつ言えるのは噂どおり、どことなく怖くて、みんなもなんとなく避けていて、いつも教室で、 ひとり。  よく窓の外を見ていて、他の生徒と話しているところをあまり見たことがない。話をしているとしても、特定の二、三人だ。不思議な子だなあ、と思っていた、そんな存在。 「なんです、せんせい?あたしが何をしました?」 「あのなあ!泣かせてまでして、それはないだろ!」  うーん?気だるそうに、たかはしさんが眉を寄せて言い、背伸びをする。 「じゃあ、あたしが泣いていたら、あたしは被害者ですか?」 「屁理屈を言うな!」 「……うん、なるほど。せんせい、脳に酸素行ってます?」 「高橋!ちょっと来いっ!」 「はーい、せんせい。でも、どうしましょ?」  たかはしさんが意地悪な笑みでおどける。 「もし……もしも、ですよ?」  わたしは見ていた。たかはしさんは加害者なんかじゃない。ほんとうは、たかはしさんの言う『泣いている被害者さん』が、あの子をね………。わたしは見ていたから、いまここで先生に言えば、いじめられていたあの子の助けにもなるから。 「この『被害者』ちゃんが、ある子をビッチだのなんだのと言葉の暴力で人格まで否定し始めたので……」  早く言い出すんだ。でも、たかはしさんみたいに胸をはって真実を言うどころか…………足が震えて椅子から立てない。 「あたしが注意したのは、悪ですか?」 かみさま。  わたしは弱いものいじめを見て見ぬふりをする悪い子です。知っているのに知らないふりをするのは、罪をしているのと同じだと絵本で読みました。強いひとがあらわれたから、その背中に隠れて何も言わないずるい子です。これも何かの本で悪いことだと書いていました。 「高は……何のはな………っ!ちょっと!そこも来い!」 「せんせい、まだ話は終わってません。あたしは悪ですかと聞いています」 「……っそんなのは後だ!誰だ!イジメられていたのは誰だっ!?」 ガン! 机が宙を舞って、床を転がる。 静まり、視線、クラスメイト。 机は、たかはしさんが蹴り飛ばした、もの。 静かの教室に、たかはしさんの強いこえが響いた。 それは、決して大声なんかじゃないのに響いたんだ。 「本当にアンタさ、脳に酸素行ってんの?  いま名乗ってどうなんのか分かってんのか?  もし、今名乗れば、  新しいイジメが作られるんだよ」  たかはしさんが悪魔を睨むような重い目で、先生を逃さないようにし、続ける。 「先生は何年教師やってんだ?  こどもを……あたしたちを管理しようと扱うから麻痺するんだ。  理想だけでどうにもできないことを、あたしたちより知っているだろう?  ここにある、あたしたちのせかいは『清く正しいせかい』なんかじゃない。  だから、あたしたちこどもが、人間の、ひととしての行動を誤ったとき、  あたしたちよりおとななら、  あたしたちのせかいが歪んだままにならないように助けてくれよ」  たかはしさんが天井を見上げて目を細め、何かをつぶやいたように見えた。すーっと息を吸い込み、一度うつむいて、もう一度先生を見る。 「……どっちにしろ指導室に呼ばれるので、自分で行きます」 長い髪をかき上げながら先生の脇を抜け、 「机、蹴り飛ばしてすみませんでした。  先生、よろしくお願いします。  あの子を助けてください、お願いします。    あたしたちはおとなに正されないと、まだうまく生きていけない。  あたしたちこどもは、すこしの歪みで簡単に堕ちます。  それくらい、弱い。  だから、おねがいします。  ちゃんと助けて。  先生、お願いします」  倒れた机を直して一礼すると、長い髪をなびかせながら教室を出ていった。  衝撃的だった。  おとなの先生に意見し、間違っていると思ったことは「間違っている」と言う。  たかはし、きょうこ。  おなじ歳の女の子。  しばらくのあいだ長い髪をなびかせて教室を出て行った長身で細身のたかはしさんの姿が、視界から消えなくて息をするのも忘れていた。その日から、いつも、たかはしさんの姿を追うくらいに惹かれていく。たかはしさんは五月の桜だ、そして、夜空に瞬くたしかな星だ。  教室から見える五月の桜は花びらが、ほとんど散っていて、それでもなお美しくあろうと咲く一輪が最期の美しさを誇っていた。その花びらも風に負けて、強い雨が幾度なく降り、汗が夏を運んで、何度もくる台風の風で空気が入れかわり、肌寒くなりはじめた頃に決意した。こんなに何回も時計の針がぐるぐると回り、幾夜も越えたのに、それでも惹かれつづけ想いは募り、大きくなっていくばかりだから、わたしひとりでは抱えきれなくなってしまっていた。だから、わたしと一緒に抱えてほしい、と、お願いすることにしたんだ。  放課後、わたしの絵が一段落したころ、あなたにわたしの“こころ”を……。 かみさま。  お願いします。ほんの30秒だけ勇気をください。きっと、あなたはわたしの…………だから。 わたしが進むべき場所をひとつ見つけたから見失わぬよう。 あなたを、その星として。  あたたかい夕陽のなかにあなたがいて長く伸びた影が廊下にまで届いている。わたしの想いに息をのんで、目をおおきく開いたあなたは「ありがとう」と「歩く?」という言葉を、わたしのために選び、声にした。  ねえ?でも………  うん、歩く。歩こう?  ……どうもしてない、なんでもないよ? 冬。はじめて恋人のいる季節。  あの日の出来事が嘘のように教室は、きょうこちゃんによって平和がもたらされた、ように見えるだけだ。平静を保っている、ように見えるだけ。きっと大きな炎になる火種はくすぶっていて、いつか………いや、足元ではもう燃え始めているのかもしれない。それでも、わたしが前を向いて、しっかりと歩いていけるのは大きな口で笑うきょうこちゃんがいるからだ。あなたは、わたしがどこにいるのか教えてくれる、たしかな星だ。あなたといるかぎり、もう迷うことはないと思う。わたしもあなたのための、もう一対の星になれればいいのに、と、いつも願っている。  チャイムで始まる放課後が始まると急いで教科書を鞄に入れ、きょうこちゃんのもとへ駆けよる。それが、わたしのあたらしい日々。願っていた毎日が叶った日々だ。 「せつな。おつかれ」  健康的で曇りひとつない笑顔が、いつもわたしの心臓を弾ませる燃料になっていて、心臓がぴょんぴょん跳ねてしまって困る。毎日がたいへんだ。 でも、あなたは、 「たぶん、あたしは遅くなるから、先に帰っているんだよ」 いつもそう言って、わたしを…………。 分かっているんだよ、きょうこちゃん。ほんとうは………、 「うん。長く待ちそうならそうするね?ごめんね?」  美術室に近づくにつれて、テレピンの匂いが壁のように存在しているから、毎日「う……っ!」と美術室の扉を開けるたびになってしまう。だから、みんなにぶーぶーと大反対をされようとも「もうちょっとだけ、ね?ちょっとだけ、開けようよ、ね?」と窓を大きく開けて、冬の冷たい空気をお招きするのだ。運動場から響き、美術室に入ってくる寒声。こんなに窓を開けて換気をしているのだけれど、匂いはここから離れようとしない。まるで絵に執着し、キャンパスに必死にしがみつく絵描きさんのようだな、と、思う。 「せっつー、いまどんなの描いているの?見せっこしよー?」  ひらひらと、みっちゃん先輩がスケッチブックを持って近づいてきた。先輩は受験生なのに緊張感がないし、こんなところにいる場合ではないと思うのだけど、いつもいる。周りからの「試験、大丈夫なんですか?」を「あーあー、大丈夫、大丈夫ー」と言ってかわし、ひらひらと存在している。わたしも「みっちゃん先輩?本っ当に、本っ当にっ、大丈夫………なんですねっ?」と念を押したのだけど「あー大丈夫、大丈夫ー。相変わらず、せっつーは心配性だなあ。そんなせっつーが心配してくれるんだなー。だけど、そんなに抱えることかね?」とまで言って笑うから信じているけれど………このひとの不思議は底が知れないから、やっぱり心配になる。  差し出されたスケッチブックを受け取り、わたしの小さなキャンバスを先輩に渡した。先輩のスケッチブックにある、それに息が止まる。鉛筆で描かれている画面から風や匂い、光量と彩、葉音のこすれる音量までもが聞こえてくるから息ができなくなる。先輩の絵を見るたび、かみさまが選んだのはわたしじゃないんだ、と、確信して泣きそうになる。 「んー、せっつーはアクリルかー」 「その絵は油でやってみたかったんですけど……その………冬ですし、匂いが……ね?」 「たしかにねえ……私も長いことやっているけど、未だに苦手なんだなー」  眉のかたちが困ったときのかたちになり、口元を大きな三日月にする先輩に嘘をついて、わたしも同じ表情をしてみる。 「相変わらず、せっつーはウォーホル好きなー」  高校に入ってから描いている絵は、そのほとんどがアンディ・ウォーホル、そのもの。 「ミュシャも好きなんですけど……ね?」 「なるほどなあ……通ずるところはあるかー」  今度は八重歯を見せて、先輩が困ったときの眉のかたちで笑った。 「あれー?せっつーは、元々こういうアプローチだったっけ………?  うーん?中学のとき、どうだった?」  みっちゃん先輩の言葉が「こころ」を、ちくっ、と刺した。それに対して「思い出してくれるまで秘密にしておきますね?」と、いじわるな笑顔をつくり、また嘘をつく。  やっぱり、わたしの絵は「こころ」に届かない。  だって、届いていたなら、おぼえているはずでしょう?  だから、くやしくて嘘をついてしまった。  わたしは先輩の絵を全部おぼえているのに……なあ。 かみさま。  わたしは怖いのです。  わたしのほんとうを表現してしまったら、  わたしのほんとうを見せてしまったら、  みんなが、どう思うのか、  考えるだけで、怖い。 「あ、あとねっ、みっちゃん先輩……?えと、それ、わたしの絵なんですが……天地、逆です………」  おおおっ!それは失礼、失礼!!と、大袈裟にのけぞり、キャンバスを回転させた先輩が上半身を引いて絵を見ながら、つぶやく。 「ウォーホルって同性愛者だったってね?」  筆を持つ手が、ぴくっ、と反応して、次にかけられそうな言葉を想像して怖気付く。先輩の言葉は何を伝えたいんだろう、どういう意図で言ったの、と、聞き返そうとしたとき先輩が耳打ちをした。 「高橋さん、だっけ?  噂になっているよ。  それだけならいいんだけどね。  その……さ?馬鹿馬鹿しい話なんだけど、  …………先生たちも何だか、ねえ?  せっつーは、大切な後輩だし友だちだから、  そんなので、いやだからねえ?」 「せんぱい、ありがとう」  わたしの顔は子どもの頃みたいに引きつっていませんでしたか?いまのわたしの顔でしたか? 「私は、そういう恋とかもありだと思っているから応援するよ」  そう先輩が言って八重歯を見せ、また困った眉のかたちで笑うのだ。  わたしのはじめての恋は、  このせかいで………、  ────まだ許されない。  同性だから、なに?  それだけなら、いい。って、なに?  先生たちも、って、なに?  『そういう恋』って、なに?  かみさま、ねえ?  かみさま?  わたしは、そんなにも、お………ですか?  窓から運動場を見れば寒空の下で、きょうこちゃんが走っている。長い髪は後ろに束ねられ、脚を運ぶリズムと一緒に揺れていた。その姿と色が純粋に美しいと思うのは、わたしがせかいに馴染めないからだ。 胸が苦しい、涙が出そうになる。 はやく、きょうこちゃんにあいたい。  いま、もしキャンバスを切り裂き、筆を投げ捨て、あなたのもとに走っていけるくらいに強くいたなら、どれだけ自由になれるのだろう。絵に囚われているうちは、わたしはおばあちゃん先生と約束した絵なんか描けるはずがない。それなのに、わたしは怖くて、みんなを振り向かせようとする絵ばかり描いている。  筆が重く、毛先から感じるひっかかりは絵が何かを言っている。わたしに絵が色々と話してくれているのに、ずっと、その言葉が聞こえないふりをしている。自分の絵に嘘を付いて、よわい「こころ」から目を背けつづけている。 ねえ?……かみ…………さま?  夕暮れに時を進め紺色に夜が塗られていく。十二月に向かう季節の色や空気の密度、匂いが胸の奥に重たくのしかかるから、その美しさが苦しい。熱が奪われていく校門の門柱を通りすぎていく靴を見ていた。どれくらいの靴を見ただろう。何十足目か百何十足目か「来た」とわかった。その数秒後に現れ、止まる靴とちいさく驚く、息。その靴と声のもとに、気持ちと一緒に心地よく弾んで駆けた。 「ずいぶん待ったんじゃない?」  余裕があるように見せる笑顔は、心臓の音が聞こえちゃうんじゃないかと思うくらいに素敵だ…………でも、いつも、そうやって大人びた笑顔の瞳にある瞳孔が揺れているのは、なぜ? 「ううん、全然待ってないっ」 また、嘘をついた。 かみさま。  わたしは毎日嘘をつきます。  そうしないと、うまく生きられない、うまく生きていけないのです。  それでもかみさまは、わたしを叱りますか?  ふたりで歩くと身長差があって、妙にどきどきするのだ。あなたは身長だけではなくて、足も長いから歩幅を合わせるのも大変だ。だけど、それがうれしいことだなんて想像もしなかった。あなたと歩くことにならなければ、わたしの身長がこんなにも低くいとか、歩幅がこんなにも狭いだなんて知らなかったんだ。いつも、あなたはすこし空を見上げて歩くから、どこかにいってしまいそうで怖くなる。だから、ここだよって教えるみたく、きょうこちゃんの指にすこし触れる。その感覚にあなたはすこし驚いて、でも、すぐに気にしていないような素振りで指を絡め手をつないでくれるのだから苦しくなる。 ねえ? 「まったく、先に帰ってもいいって言ってんのに。寒いんだからさー」 ねえ? 「だってね?きょうこちゃんといる時間が多くなれば、しあわせだからね?」 ねえ?きょうこちゃん? どこまであなたの“こころ”に踏み込んでいいの? わたしの好きは、どこまでなら許してくれる? ………………………… このクソ素晴らしき世界。 Serenade No.13 / Eine kline Nachtmusik. 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