地獄タクシー

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「ここから、一番近い地獄まで」 乗ってきた客はそう言った。  辛気臭そうな顔をした、若い男だった。歳は二十代後半といったところだろうか。  「はいよ」と軽く返事をして、車を発進させる。地獄を走ると言っても、タクシーはタクシーだ。現世を走るそれと、なんら変わりはない。 「ここから一番近いとなると、等活地獄の極苦処ですかねぇ」  バックミラーで後部座席を伺いながらそう言うと、客は「じゃあ、そこで」と小さな声で返してきた。目線を前方へ戻し、頭の中で道筋をシミュレーションしながら、ハンドルを切る。  亡者の骨や肉やらが転がってお世辞にもいい道とは言えないが、そこはもう慣れたものだ。障害物を避けながら、すいすいと地獄の中を進んで行く。なんともなしに後部座席に目をやると、客は物珍しそうに窓の外を眺めていた。 「お客さん、あれですか。新入りの獄卒さんですかい」 「えっ、ああ、はい」 「ああ、だと思った。『一番近い地獄まで』なんて言うもんだからさ。そんな注文するのは、新しい獄卒さんくらいのもんですよ。亡者は行き先が決まってますしねぇ」 「ええ、はい。獄卒の試用期間でして、まずは地獄の見学を、と言うことらしいです」 「レポートとか、あるんでしょう? 課題で」 「そうそう!よくご存知ですね」 「この仕事も永いですからねぇ。お客さんみたいな獄卒さん、たくさん乗せてきましたよ。……ところで、ああ、言いたくなければいいんですけどね?お客さんは、どうして獄卒の仕事を?」  不喜処に向かうのか、地獄の犬の団体様が道を渡るのが見えたので、ゆっくりと車を止めた。犬は犬でも地獄の犬。不喜処に努める獄卒だ。なので、側から見れば微笑ましい犬の大行進でも、地獄であれば一種の通勤ラッシュである。  ぞろぞろと道を横切る犬の群れを眺めていたら、後部座席から「実は……」と、自信の無さげな声が聞こえた。客は続けて語り始める。 「僕、天国に行く予定だったんです」 「おやぁ?それじゃあ手違いでこんなところに?」 「あ、いえいえ。此処には居るべくして居るんですけれど」 「ほう、詳しく聞いても?」 「僕、現世では公務員だったんです。真面目に働いていて、仕事が大好きで、誰かのために働いているってことが誇らしくて。僕にとっては、仕事が全てでした。ですが……」 「不運にも、お亡くなりになってしまった、と」 「ええ、はい」  通勤中の地獄犬の横断が終わって、また車を発進させる。 「審判の結果、僕は『生前、真面目に生きたあなたは天国へ行きなさい』と言い渡されました」 「良いことじゃあありませんか。それが何故地獄へ?」  ミラー越しに後部座席を見て訊ねた瞬間、彼は物凄い剣幕で身を乗り出した。シートベルトが作動して、ガキン、と音を立てる。そのまま、彼は大きな声で言う。 「だって!天国には仕事が無いって言うんです!」 「信じられない。僕はまだ働きたかった。仕事をしていたかった。なのに、死んだ程度でその生き甲斐を取り上げられるなんて!」 「生き甲斐って言っても、死んでますからねぇ」 「でも僕の意識は此処にあります! 僕が僕である以上! 働かないなんて選択肢は存在しないんです!」 きっぱりと言い切って、彼は興奮のピークを超えたようだった。一息ついて、座席のシートに背を沈ませる。しかしその眼は、まだ熱意に溢れていた。 「ですから僕は、地獄で獄卒として働くことにしたんです。死んだところで僕は僕。何よりも大好きな『労働』を、辞めるわけにはいきません」 「ははぁ、なるほど。なかなか酔狂なお考えをお持ちですねぇ、お客さん」  奇特な人もいたもんだ。筋金入りのワーカーホリック。今時にしちゃあ珍しいのかもしれない。  なんて考えていたら。フロントガラスの向こうに目的の場所が見えてきた。そびえ立ついくつもの断崖絶壁、燃え上がる鉄火。 「……っと、着きましたよ、お客さん。等活地獄の極苦処です」  出来るだけ足場の良いところに車を停めて、扉を開けた。地獄の熱気が、ぶわりと車内へ入り込んでくる。「うわ、熱いですね」と驚く客に、「そりゃ、地獄ですから」と笑いかけた。 「ありがとうございました。ええと、お代は……」 「ああ、どうぞお気になさらず。楽しい話も聞けましたし、今回はそれでご精算という事で」 「ええ?悪いですよ」 「いいんですよ。どうしてもって言うなら、またご利用の際にお仕事の話、聞かせてください」 「あはは、ではお言葉に甘えて」 「ええ、はい」  車を降りようとする、ワーカーホリックの獄卒見習いに、激励を込めて最後に言葉を掛ける。 「逝ってらっしゃいませ、お客様。どうかあなたにとって、素敵な地獄でありますように」  天国行きの切符を蹴っ飛ばした若い新たな獄卒は、期待と不安の入り混じった表情のまま、地獄の燃える景色の中へと消えて行った。
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