「運命だ、これは」

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「運命だ、これは」

 突然だが、とある映画の話をしよう。  主人公である銀行勤めの青年が、ある日偶然奇妙なマスクを拾ってしまう。それを身につけてみたところ、マスクは青年の頭を覆い、青年は突如理想の姿に変身する。だが、そのせいで様々なトラブルに巻き込まれてしまう、まあ、ざっくり言うとこんな話の映画だ。  さて、そんな青年は映画の中で、さも不幸の象徴かのように描かれているわけだが、よく考えてみてほしい。  主人公の彼は銀行に就職して、家では可愛い犬を飼っていて、友人にも恵まれている。彼の人生は、平均的に見れば恵まれているといっても過言ではない。ただ、マスクを拾ったその日、たまたま不幸が重なってしまい、映画ではその場面を切り取っているだけ。平均的に見れば幸せとも言える人間が、ある日偶然、たまたま不幸の連鎖に陥って、物語の舞台の中心に躍り出る。  この映画の主人公は、そんな人間だった。  じゃあ次に俺の話をしよう。  名前は、佐久間健一。  俺といえば、義務教育を済ませたのちに、地元の高校に進学。その後、そこそこの偏差値を誇る大学を無事に卒業し、そのまま、社会的にはホワイトと呼ばれる企業に就職した。  友人にも恵まれ、大きな事故や病気もなく、家族に愛されて育った。  何の問題もない、特筆すべき不幸もない、普通に幸せな、平均的すぎる人間、それが俺。  そんな俺にも夢があった。  それは、物語の主人公になること。  何でもいい、どんな舞台でもいい、自分が主役になることが俺の夢、だった。ただ漠然と、そのために何をすればいいかも考えず、そう思っていた。  高校を卒業する頃、世の中の「主人公」を見ていて気が付いたことがある。 それは、「輝かしい」ということだ。譲れないもの、誇りに思うもの、心から願うもの、誰にも負けない何か。規模を問わず、主人公はそういう輝きを持ってなくてはならないということ。  それに気づいた時、俺はまあ、愕然とした。  高校生という、まだ子供の身ではあったけれど、人並みに悲しくなった。  自分が何も無いことに、気がついたから。  ただ漠然と生きて、何もせず日常を謳歌するだけの人間、それが俺だったと気が付いたから。ただ呆然と、スポットライトの下の人間に憧れ、「自分もああなりたい」と思うだけの人生だったから。特筆するほどの不幸もなく、幸福もなく、そうやって生きてきた人生だったから。  そう思って、でも絶望はしなかった。絶望するほどの熱意も、絶望から這い上がる力も、一般人の俺には無かったから。  そもそも、その「主人公になりたい」という夢も、破れて悲しくなるほど、熱意を持ったものでは無かったから。  高校生だった俺は、そんな感じの何も無い俺のまま、平均的に頑張り、平均的に大学に合格し、平均的にキャンパスライフを送った。  その頃に出会ったのがとある映画。  そう、冒頭で話題に出したあの映画だ。    あの映画を見て、俺のどうしようもない憧れに再び火が灯った。なんだ、こんな平均的なやつにも主人公になる資格があるのかと。だったら俺だって、ある日突然主人公になれるかもしれないと。そんな憧れとも願いとも言えない、(よこしま)な願望を持って送ったキャンパスライフは、特筆することもないまま、きっちり4年で幕を閉じた。  時代は現在。先ほども述べた通り、俺は幸運なことにホワイトめな企業で、普通にサラリーマンとして働いている。大学時代に息を吹き返した例の欲望は未だ意識にのぼったり、気づけばいなくなったりを繰り返しているが、概ね胸の中にある。悲しいかな、俺の人生は未だ各作品背景に見るモブのそれでしかなく、今日も仕事をこなして先輩と昼飯を食い、定時で帰って飲み屋で同期と上司の悪口を語り合ったりしている。  なんという平凡な日々だろう、楽しいなぁまったく。  この生活を羨む人だっているだろうに、これで満足がいかないのだから、全く俺という人間は、本当にどうしようもないのだろう。  まあ、そんな平凡な日常といえども、金曜の夜に羽目を外して同期と飲むのはやはり気分が良く、その日は思わず飲みすぎてしまっていた。千鳥足になりながらもなんとか帰路を歩み始める。今日も一日普通だったな、という感想に若干の寂しさを覚えつつ、気づけば俺の歩みは、帰宅途中にある大きな橋に差し掛かっていた。  吹き抜ける夜風が火照った体に気持ちいい。少し風に当たっていこうと、欄干に寄りかかって下を流れる川を見下ろした。闇世の中で、うっすらと波が立っているのが見える。所々にゴミが浮かんでいるのが見えて、「都会の川だな」と、酔いでうすら(かすみ)がかった頭が、他人事のようにそう考えた。  なんだかよくわからない草の塊、ペットボトルやビールの缶、ビニール袋、なんだ、都会の川ってやつはやっぱり汚いな。おまけに人まで浮いちゃって。 ——ん? 人?  思わず欄干から身を乗り出して川を覗き込む。見間違いではない、と思う。  暗闇に目を凝らして、もう一度川の水面をよく観察すると、そこには間違いなく、人の顔のようなものが浮かんでいた。
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