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サイゼルは七歳になったばかり。まだ人買いの手に渡る歳ではなかった。
やっと自分の名だけは告げられるようになったサイゼルは、最近日中を森の中で唯一人で過ごすことが多くなっていた。
今日も大きな屋敷の近くを通り抜け森へと向かう。それを屋敷の窓からガルスが指さす。
「あの子だ。」
「幾つです。」
隣でサイゼルを目で追いながらランダが尋ねる。
「七つになったばかりのはず。」
「まだ幼すぎますねぇ。」
「安くてもかまわんさ。
儂にも色々事情があってな。
すぐにでも買い戻す。」
「倍の値を頂きますよ。」
ランダの声にガルスが頷いた。
翌日、何時もと同じように森へと向かうサイゼルを三人の男が後を付けた。
鬱蒼(うつそう)とした森の中、薄暗さに紛れて三人の男がサイゼルに跳びかかった。
だが、一人はサイゼルの差し出す手に弾き飛ばされ、一人は身動きが出来なくなった。そして残りの一人は這々(ほうほう)の体(てい)で森から逃げ出してきた。
子細をランダとガルスに話す。
「魔術ですか。
買い戻しは高くなりますよ。」
唸るランダの横でガルスが値交渉を始めた。
交渉は纏まった。だが、どうやってサイゼルを捕まえるか。二人は額を寄せ合った。
三日が過ぎた。今日もサイゼルは森に入った。
盗賊を装った男達がサイゼルを襲う。
しかし、サイゼルは刃物に怯えることもなくその男達に立ち向かった。
脅しのつもりで一人の男が剣を突きつける。
それを手近に拾った棒でサイゼルが弾いた。
「小癪な。」
男の顔に苛立ちが走る。脅すだけのつもりの剣を振る。が、力任せのその剣が空を切り、その隙を狙ってサイゼルが軽く男の胸を押す。
男の躰が弾き飛ばされ、森の木にぶち当たり呻き声を上げる。
「化け物が。」
その光景を見た他の男達が一斉に剣を抜く。
しかし、狙いを付けにくい小さな躰が木々の間を跳ね回り、力任せに振り回す剣はサイゼルの躰を捉えることが出来ない。
「怪我させるつもりはなかったが・・仕方がない。
取り囲んで斬り倒せ。」
リーダー格の男が叫び、皆が殺気立ってくる。
その剣の間をサイゼルは遊んででもいるかのように跳ね回り、時にその小さな手を男に宛がう。
男が一人弾き飛ばされる・・また一人。
「退きあげだ。」
忌々しげに首領格の男が叫ぶ。
サイゼルは自分の躰を見た。
あちこちにかすり傷を負っている。
ファナの心配を思い、それらの傷にそっと手を宛がう。それだけで全ての傷が消え去った。
「何をやっているんだよ、大の男が五人も掛かりながら・・ガキ一人捕まえきれないなんて・・・」
「思った以上にすばしっこい奴で・・・その上・・魔術まで・・・」
「フン・・言い訳するんじゃないよ。どうせ腕もないくせに力任せに剣を振り回したんだろうよ。
その結果がこれだよ。」
ランダは悪態をつきながら怪我をした三人に顎をしゃくった。
「頭を使うんだよ・・・網だよ・・網でも使ってごらん。」
ランダは新たな指示を与えた。
もう一度、七人に増えた男達が森に入った。
何時ものようにサイゼルを追いかけ回し、自分たちの意図する所へ、徐々に追い込んでいく。
サイゼルの足が深い落ち葉の山を踏んだ。その瞬間、
「捕った。」
大声を上げ、一人の男が網を引き上げた。 サイゼルが太い木の枝に吊り上げられ、網の中でもがく。
「ふふん・・案外簡単だったな。」
一人の男が下からサイゼルを剣の先でつつく。
「まあ、ランダ様に感謝しねえとならないか。」
そういう会話の間に太い縄が切れるプツプツという音が聞こえだした。
男達が音のする方を見上げる。と、網が内側から切られていく。
網を大きく揺らし、その開いた穴からサイゼルが隣の木の枝に飛び移った。
「逃がすな。」
男達がサイゼルの影を追う。だがそれは既に遅かった。サイゼルは木から木に飛び移りあっという間に森の外まで逃げ、農場へと駆けていた。
「また失敗したのかい。」
ランダが苦々しげに吐き捨てる。
「明日は私が行くよ。」
森の中、サイゼルが跳び回っている。
それをランダが目敏く見つける。
「こっちへおいで。」
優しく声を掛ける。
だがサイゼルは何を警戒したのか、ランダから逃げようとする。
「聞き分けのない子だね。」
ランダの掌(てのひら)から一条の白い糸が飛ぶ。
サイゼルがそれを身軽に避ける。
「おや、すばしっこいのね。」
ランダがもう一度手を開く。
今度は数本の白い糸が走る。
サイゼルの放つ風がそれを切り落とす。
「やるもんだねえ・・ガキのくせに。」
ランダの目が妖しく光り、その姿が見る見るうちに変化(へんげ)していく。
獅子の頭にぎょろりと目を剥き、鼻は潰れて大きく開き、耳まで裂けた大きな口からはダラリと長い舌が垂れ下がった。
頑丈そうな顎に裂けた口には牙が並び、下顎からは唇を押し分け、特に長く鋭い牙が飛び出している。
痩せさらばえた胸には萎(しな)びた老婆の乳房が垂れ下がり、それには似合わない盛り上がりを見せる肩から腕の筋肉、指先には鋭い鈎爪。
そして、下肢は獅子。鋭い爪を備えた頑丈そうな足が大きな体を支えている。
ゴウゴウと臭い息を吐きサイゼルを見詰める躰からは、凄まじい妖気を放っている。
それに中てられたか、サイゼルの動きが止まる。
そこへ糸。ランダの掌から放射状に拡がる白い糸が何条も伸び、サイゼルの躰を捉える。
もがけばもがくほどサイゼルの躰に糸が絡みつく。
「今喰うには惜しいか。」
サイゼルの動きが止まった時、元の妖艶な美女の姿に戻ったランダは、動けぬサイゼルにそっと口づけをした。
翌日、ランダはガルスの屋敷にいた。
「約束の金だよ。」
ランダは机の上に革袋から金をぶちまけた。
「金(ゴールド)・・・」
ガウスが怪訝そうな顔をする。
「三十金(ゴールド)。
あのガキの対価だよ。」
「安くと言ったはずだが。」
「値を決めるのは、私の仕事。
そして、買い戻しは二倍という約束だったと思いましたが。」
ランダが美しい唇を歪めてニヤリと笑う。
「しかし、それでは・・・」
「足が出るってかい。」
頷くガルスにランダが畳みかける。
「だが、約束は、約束だよ。」
ガルスの顔が醜く歪む・
「フン・・良いことを教えよう。」
ランダはそう言うと部屋の外に声を掛けた。
ランダの部下が布を掛けた物を持ってくる。
「木偶(でく)という。」
言いながらランダが布をはぎ取る。
そこには背格好がサイゼルにそっくりな木造りの人形が立っていた。
「これでどうせいというのだ。」
「こうする。」
ランダは木偶(でく)と呼ばれた人形の口に唇を重ね、己の息を吹き込んだ。
「これは・・・」
ガルスが絶句する。
「サイゼル・・まあ、偽物ではあるがな。
これを銀(シルバー)五十で如何です。」
躊躇するガルスを横目にランダが続ける。
「農奴の子を売り金を儲け、私の躰を楽しみ、その上、儲けの内の僅か、銀
(シルバー)五十で思いが遂げられるなら安いもんでしょうが。」
妖艶に笑うランダの顔に、ガルスは仕方なさそうに頷いた。
「私はもう暫くここに居て、様子を見ているよ。
上手くやるんだね。」
ランダは高笑いを残しながら部屋を出て行った。
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