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幸せ
それから退院するまで剣は毎日お見舞いに来てくれた……そしてその度俺をイかせてくれた。泣きたくなるような優しい指使いで。
一週間後、退院の日。その日は父さんはどうしても抜けられない会議があるとかで来れないという。父さんには悪いが、俺は剣と二人きりの方がいい。
お見舞いの品物の所為で入院したときよりも荷物が多くなっている。
俺が荷物を鞄に詰め込むのに難儀していると、病室の扉がノックされて剣が入って来た。
「おはよ、信一。具合はどうだ?」
「今日退院なんだよ。もうすっかり平気。それより荷物が鞄に入りきらなくて。この剣に貰ったウサギのぬいぐるみの耳が入らないんだよ」
「車だから別にいいだろ。それより用意ができてるんなら帰るか」
「うん、って、わっ!? な、何? 剣」
剣は鞄を持つ俺をいきなりお姫様抱っこしたのだ。
「信一は病み上がりだろ。体労わらなきゃいけないから」
「ちょっ……剣、俺は別に重病人だったわけじゃないんだよ!? それにケガは完治してるし。自分で歩けるよ」
「大事にするに越したことないだろ」
剣はきっぱりと言ってのけると、病室のドアを開け、廊下に出た。
そりゃもう見られに見られた。
芸能人レベルの顔もスタイルも良い剣が、どう見ても高校生の俺をお姫様抱っこしている姿は異様だったに違いない。
医師も看護師も患者も見舞いの人もみんなこちらを見ている。男の人は好奇の目で、女の人は剣に見惚れて。
病院の駐車場までがどんなに遠く感じられたことか。
俺を車の助手席に乗せ、荷物を後部座席に置いた剣は一言ポツリと呟いた。
「気に入らない」
「? 何が?」
「みんな信一を見てた。おまえは俺だけのものなのに」
「…………」
俺は呆気にとられた。
剣は何を言ってるのだろう? みんなが見ていたのは剣の方なのに。
「みんな……少なくとも女の人が見てたのは剣のことだよ」
それは確かだ。だってそのことに関しては俺はかなりムカついていて、こっそり女の人、一人一人を睨みつけていたんだから。
「男はおまえのことを見てた」
「あのねー。剣。いくらなんでも俺は女子高生には見えないし、男の人がそんなに見てくるわけないじゃないか」
「おまえは女よりもずっと綺麗だからな」
「…………」
俺は再び呆れた。恋は盲目とはよく言ったものだと思う。剣の方を見ると少し拗ねたような表情で真っ直ぐ前を見ている。なんだかその表情がいつもより子供っぽく見えて。かわいいなんて思ってしまう。
「けーん、俺、剣の家に行きたいな」
「……社長からは真っ直ぐ家に帰るように言われてるんだけど」
「そんなの、どうせ父さん、今夜も遅くなるんだし、剣の家でゆっくりしてから帰っても間に合うって。父さんにはラインしとく」
俺の家は、今はまだコトミさんのことを思い出してしまって嫌だった。
俺が剣の体に自分の体を摺り寄せて言うと、剣にもその思いは伝わったようだ。
「分かった。じゃ俺のマンションへ向かうぞ」
「うん!」
俺は浮かれていた。剣が俺のことでやきもちを焼いてくれてこれたことが嬉しかったし、俺のケガが完治したことで剣の表情に明るさが戻って来たように感じたことも嬉しかった。
俺は誰よりも幸せだったんだ。
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