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自殺と口にしてから、俺は目の前がぐらつくのを感じてその場に膝をついた。
これは自殺なのだ。
親父がどこかへ消え、たった二人の家族となったおふくろの自殺。
十年間引きこもり続けていた自分は、わがまま放題に生きてきた自分はおふくろにそれほど重すぎるものを背負わせてしまっていたのか。
「これでも私、お母様とはたくさんお話しましたのよ。でも、ダメでした」
「何を話したっていうんだよ! おふくろがこんなになっちまう何を話した!?」
「そうですねぇ……例えば」
ニィっと不気味な笑みを浮かべた脇坂が、膝をついた俺を見下ろすように前に立った。
「例えば、板山さんを説得に向かったら突然金属バットで殴りかかられた、とか」
「なんでそんな、余計なことを……!」
「どうせなにも言わなくても、音で伝わっちゃいましたよきっと。それからですね、息子さんはもうダメかもしれません、とか。このままでは私もお母様も板山さんに殺されてしまうかも、とか。今にバットを持って外に出て大きな事件を起こしてしまうとか、他人様に危害を加えてしまう恐れがあります……とか。そんなお話をたぁくさんしました」
「なっ、なんでそんなことを! お前が、お前がおふくろを追い詰めたのか!? おふくろをこんな状態にまで追いやったのは、お前なのか!?」
俺のほほに、脇坂の手が触れた。ゾッとするほど冷たい、氷のような手のひら。
大きな目のなかで、黒い瞳が小さく凝縮する。まるで猛禽類が獲物を見るような眼だ。
バットを突きつけたときと同じあの目で、脇坂が俺を食い入るように見つめてきた。
「あらぁ、違いますわ。あなたのお母様がこんなになったのは、あなたが十年間もお部屋に引きこもり続けたせいですわ。何度も何度も嫌がらせのように床を叩き続けたせいですわ。あなたが好き勝手している間、お母様の心はずうっと壊れそうなほど悲鳴をあげていたんですよ」
「ざけんなっ! 確かに俺たちは、いや俺はおかしかった。だけどなぁ、お前が来るまでは、そんなめちゃくちゃな形でも俺らの生活は成り立ってたんだ!」
俺の言葉に、脇坂が声をあげて笑った。
おかしくてどうしようもないというようにひとしきり笑うを、俺を見下げ果てた眼で見つめて言った。
「くふっ、くふふふふっ、本当に愚かなひとですねぇ、板山さんってば……。『生活は成り立っていた』? 勝手にそう思っていたのは、板山さん、あなただけです。お母様は、もうとっくに限界だったんですよ。どうしようもないほどに限界スレスレだったから、ひとりじゃもうあなたのことを背負いきれなくなったから私を雇った。ほんの少し、ギリギリのところで自死を選ぶ前に、引きこもり専門のケースワーカーを呼ぶという選択肢に至った。最後の頑張りだった、残された一欠けらの愛情だった。それなのに……」
くふっ、くふっ、と息を漏らして脇坂が嗤う。
俺をじっと見つめる眼は、先ほどから一度もまばたきをしていない。
両頬にあてられた手のひらに、俺の頭を挟み込むように力がこもった。
「それなのに、あなたはなぁんにも変わらなかった。私、板山さんにカードを差し上げたでしょう? 『ありがとう』って言う機会を差し上げたでしょう? あれが最後のチャンスだったのに」
「チャンスは活かしただろ!? 俺は色んなものを抑え込んで必死の思いで、感謝を込めて『ありがとう』のカードが出した!」
「『ありがとう』のカード、感動的でしたわ。初めてハンバーグを出した、あの日のことですよねぇ、嬉しかったですわぁ。ねぇ、板山さん。あなたの好物がハンバーグであること、どうして私が知っていたと思います?」
答えることが出来ない俺に、笑みをたたえたままの脇坂がねばつく声で言った。
「遺言だったんですよ、あなたのお母様の。あの子はハンバーグが好きだから、出してやって欲しいって。もうあのとき、お母様は料理をする気力さえ残ってなかったんです。たった、一日。たった一日あの『ありがとう』のカードを出すのが早ければ、お母様は死ななかったのに……」
「そん、な……おふくろ、俺は、俺は勇気を出して部屋を出てきたっていうのに……」
コキン、と音がして脇坂が首を九十度傾けた。
有り得ない角度で曲がった顔のまま、黒い吸い込まれそうな目でじぃっと俺を見つめていた脇坂が、天を仰ぎ笑い出した。
「ぐげっ! ぐげげげげげげげげげっ! たった一日! たった一日で運命が入れ替わった。ああ、なんてかわいそうなお母様。そのうえあなたは私が作ったハンバーグをお母様の手料理とと勘違いして、『ありがとう』のカードを差し込んだ。滑稽だ、ああ滑稽でたまらない。くふっ、くふっ、ぐげげげげげげげげげっ!」
「ひぃ!? なんなんだよお前! あ、ああ……」
首が折れ曲がり豹変した脇坂から後ずさりして離れると、脇坂が自分の影のなかに沈み込むようにして消えた。まあるい影の跡だけがその場に残っている。
不意に、その影が縦横無尽に部屋を駆け回った。
「『ありがとう』のカードを出した! ずっと出せなかった『ありがとう』のカードを出した! 自分の母親が作った料理かもわからなかった愚かな男が、私の料理に間違えてカードを出した! 母親の味と勘違いして! そして部屋から出てきた! ぐげげげっ!」
「お前は、いったいなんなんだよ!」
「真っ赤なデミグラスソースは美味しかったですかぁ!? ぎっしりと『肉』のつまったハンバーグは、美味しかったですかぁ!? 感動的に美味しかったから、カードを出したんですよね、ここまで出てきてくださったんですよねぇ、くふっ、くふくふくふくふくふっ!」
影が天井の中央、おふくろが首を吊っているそばで止まると、そこから脇坂がぬるりと生え出してきた。真っ逆さまになった脇坂の笑みが、ただただ恐ろしい。
脇坂がおふくろの遺体を、吊られたひもを中心におもちゃのようにクルクルとまわし、はしゃぎ声をあげる。
「ぐげげげげげっ! 板山さん、問題でぇす。あのハンバーグにはなんのお肉が使われていたでしょう?」
そういうと、脇坂は首を吊ったままのおふくろの背中を向けてきた。
そこは肉が大きくえぐり取られており、所々白骨が見えていた。
「ひっ!? あ、ああ……まさか、そんな」
「私特性ハンバーグは、豚、牛、の合挽き肉にぃ~そこに特製! 板山さんのお母様のお肉を混ぜ込んだ三種混合肉仕様。黄金比で最高のお味を再現してまぁす! 私のデミグラスソースは市販のおソースにケチャップに、かわいそうなお母様の血を流し込んだ真っ赤な特製! それをあなたは嬉しそうに泣きながら食べて、そしてカードを入れた、泣きながら『ありがとう』のカードを!」
くふっ、くふくふくふくふくふくふくふくふくふくふっ。
部屋中に脇坂の含み笑いがこだまする中、俺は頭を抱えた。
俺が幸せな食事だと、懐かしいと涙を流して食べたハンバーグは――おふくろの血と肉が混ぜ込まれたものだったのか?
「あああ、ああっ、あああああ!」
俺は何度も地面を叩き、自分の頭を殴りつけた。
どうしておかしいと気付けなかった、どうしてなにもわからなかった。
味が違ったはずだ、違和感を感じかけていたのに、それをすべて記憶違いで片づけて。
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