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死に際演技
目の前に、ナイフを構えた男が立っている。
血走った目で刃先を私に向け、こちらに真っ直ぐに走りこんできた。
どすん、と男の身体が私の身体に激しくぶつかる。私は腹部を抑え、ゆっくりと崩れ落ちた。
「そんな……私が、こんなところで、死ぬなんて……」
しばしの静寂の後、舞台の外から「カーット!」という大きな声が飛んだ。
「いやー、完璧な演技ですよ、西原加奈子さん! さすがは実力派人気女優だ」
「お疲れ様です、ありがとうございます」
演出の加藤が舞台にあがってくると、ご機嫌をとるようにヘラヘラと笑みを浮かべていった。総監督の島田も舞台近くの席で何度も頷いている。
演者たちも私の死に際の演技を口々に褒めたたえる。
しかし、私には不満があった。
本当に、腹部を刺され死に瀕する人間はあのように振る舞うのであろうか。
私の演技はまだまだ『本当の死』に迫れていないのではないだろうか。
今度の舞台『或る女の死』で私は主人公の女性の役を任されていた。連続テレビドラマでも、何本もの映画でも成功を収めた私は本格派女優として名を高めてきた。
そして今回の舞台こそが、最後の関門だと自分自身で位置付けている。
舞台演技では当然撮り直しも出来ないし、音響や照明・メイクはあれど演技に特殊効果を入れることも出来ない。文字通り、体当たりの勝負なのである。
ここで成功すれば、私はきっとこれからもずっと演技派女優としての地位を確立できるであろう。しかし逆に、ここでつまずけば私の人気は流行に乗ったいっときのものとして消えてしまう可能性が高い。
私はそういった俳優を今まで何度も見てきたのだ。
必ず舞台を成功させて、私は成功への道を駆け登ってやる。そう決意して臨んだのが今回の舞台稽古であった。
しかし何度練習を繰り返しても、私は自分の死に際の演技に納得がいかなかった。
「ねぇ、監督。さっきの舞台、私の最後のシーンどうでした?」
「ん? どうしたの加奈子ちゃん。すごい良かったよ、あふれ出す血が見えてくるようだったよ、完璧だよ」
「そう、ですか。自分ではどうにも自信がなくて」
「なぁに言ってるんですか加奈子さん! 監督の言う通り、もうパーフェクトですよ! パーペキ!」
どんなに意見交換をしようとしても、今人気絶頂の私の演技を非難するものなど誰もいなかった。それが、私にとってはとても孤独であった。
どうすればいいのか。
まだまだ足りない。
本当の死に際演技を、私は出来ていない。
そのことだけは、直感的にわかる。
けれど、私には相談できる相手もいなく、どうしようもなく孤独だった。部屋にある練習スペースでひとり何度練習を繰り返しても、なんの答えも見えてこない。
私には、本当の死の演技など出来やしないのだろうか?
私はひとり、何度も死に際に瀕した人間のことを考えては絶望を感じていた。
太陽がビル群に沈み始めた夕暮れ、私は自宅のマンションへ向かっていると、不意に後ろから声をかけられた。
「あの、西原加奈子さん、ですよね?」
落ち着いた、女性の声だ。
私は聞こえないように小さくため息をついた。
サングラスとマスクをして顔をしっかりと隠しているが、それでもこうしてファンに見つかることはよくある。
振り返ると、そこにはモデル顔負けの美しい少女が立っていた。
肩まで伸ばした銀髪が、夕日を受けて美しく輝いている。白い肌に小さな顔、それでいてつぶらで大きな瞳とうすい唇。黒のジャケットに黒のシャツ、黒いパンツにわざとはずした黒いスニーカーを履いている。
これで髪でもひっつめれば、男装の麗人の出来上がりだろう。
もしかして、この子はどこかのアイドルグループの子か何かだろうか。
どこかで私と共演した――?
記憶を手繰るが、思い出すことは出来ない。
そうしている間に、銀髪の少女は私のすぐそばまで歩み寄り、深々と一礼した。
「わたくし、ある会社でイベントスタッフをしております。脇坂未明と申します」
自然な仕草で差し出された名刺を、私はなぜか受け取ってしまった。そこにはシンプルに『脇坂未明』とだけ記されている。
所属も連絡先さえも書いていない。
「さきほどの舞台稽古の折、飲料の手配や出入り口のチェックを担当していた者のひとりです。あの、私、西原加奈子さんの大ファンで、つい」
はにかむように少女が笑った。
やはりこの子は、そこらの量産されたアイドルたちよりもよほど美しい。
「そう、ありがとう。それで、ここまでついてきた理由は?」
「さきほどの舞台の練習、西原さんは納得がいっていなかったと感じまして」
「それはどういうことかしら?」
「ラストシーンのお話です。最後に西原さんは男にナイフで腹部を刺されて死ぬ、という筋書きですよね。でも、西原さんは刺されて死んでいくまでの演技に納得されていないのかなと感じて」
図星であった。
もしも舞台袖で見ていたとしても、よくそこまで見て取ったものである。
本当に、この子は私のことをよく見ているファンなのかもしれない。
「……ええ、そうね。あなたがずいぶんよく見ていてくれたみたいだから話すけど。正直言って、満足いっていないわ。ひとが刺されて死ぬときに、あれが本当に正解なのか、何度も迷っているの」
「はい、そう感じました。ですから、こうしてついてきたんです」
言うと、少女は今までの清らかさが消え去るような不敵な笑みを浮かべた。
口角が不自然にあがり、いったいこんな表情を作るにはどう訓練しているのかと聞きたくなる顔だ。
「だからついてきたっていうのは、どういう意味?」
私は人目を避けるために、一本狭い通りに彼女を誘って問いただす。
暗がりで見ると彼女の不気味さは増していくようであった。
「こんなことは、大好きな西原さんだからこそお話することです。決して、他言無用ですよ」
そういって焦らした少女が小さな左手をまっすぐに伸ばし、そこに自身の右手の人差し指を突き立てた。
「ひとが本当に刺されて死ぬところ、見てみたくありませんか?」
「それは、どういう意味よ。新しいアトラクションでもあるわけ?」
「違います。本当に、ひとが刺されて死ぬ瞬間です。それを西原さんが最初から最後まで見れば、今回の舞台のフィナーレである死をきっと完璧にしあげることができるのではないですか?」
ひとが刺されて死ぬところを見る――。
どうしようもなく不謹慎でまごうことなき犯罪行為の見学であるが、確かに今の私に必要なのはそのリアルさかもしれなかった。
それさえ知れば、私はその姿を演じ切ることが出来るかもしれないのだ。
「でも、だけど……そんなもの、見れるはずがないでしょう」
かすかに、自分の声が震えていることに気が付いた。
噂に聞いたことがある。
スナッフフィルムと言ったか。
そういった嗜好の人間のために、実際にひとを殺していく様を録画した映像作品が存在することを、知識でだけは知っていた。
「見れますよ、簡単に。私がすぐにご用意してみせます。大好きな大好きな、西原加奈子さんの演技のためですもの」
「ひとが刺されて死ぬ場面を、見ることが出来る……」
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