死に際演技

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 ごクリと、生唾を飲み込んだ。今回の舞台の死ぬ演技さえ大成することが出来れば、きっと私は長い間芸能界で演技派女優として生き残れる。  なにより、演じることを生きがいにしている私の演技の幅が大きく広がるのだ。 「興味があるわ」  気が付いたときには、私は口に出して言っていた。  脇坂と名乗った少女は、私の返答に嬉しそうにうなずいた。 「ええ、そうでしょう。そうでしょうとも。あの『西原加奈子』さんが完璧な死に際の演技を手にすれば、もう演劇界に向かうところ敵なしです。私の大好きな西原さんが、芸能界の頂点に君臨する……こんなに嬉しいことはありませんわ」  嫣然と微笑む少女に気圧されるように、私は生唾を飲み込んだ。 「それで、その……いつ、それを見せてくれるの?」 「少し準備が要りますので、そうですね。次回の舞台の練習が終わった後はいかがでしょうか。確か明後日、もう一度全体練習があるんですよね。私も、そこにまたスタッフとして出勤いたしますので」 「そう、それじゃあ明後日、また会いましょう」  ひとが死ぬところを見る。  自分にとって、大きな岐路であった。私は脇坂に背を向けて、再び家路についた。  ひとが刺されて死ぬ瞬間とは、いったいどんなものなのだろう。私は次回の舞台練習まで、どんな仕事をこなしていてもそのことが頭の片隅から離れなかった。  二日後、彼女との約束の日。  私は今ひとつ身の入らない稽古を終えようとしていた。  そして舞台練習のラストシーン。 「そんな……私が、こんなところで! こんなところで、死ぬなんて……」  私のフィナーレの演技が終わると、稽古場は拍手に包まれた。  私は起き上がり笑顔を浮かべながらも、うすら寒い気持ちでその拍手に応える。  ――これから、真の死に際演技を手に入れるんだ。こんなうわべだけの賞賛にさらされるのも、いまのうちだけだ。  監督や演出、共演者たちを見返す気持ちで立ち上がり、簡単な打ち合わせを終えて家路についた。  そして、自宅のマンションへ向かう道に差し掛かったところで、足を止める。  ほどなくして、笑みを浮かべた脇坂未明と名乗った少女が現れた。 「お疲れ様です。今日の演技は今までで一番良かったですわ、西原さん。もう、人が死ぬのを見る必要なんかないんじゃないかってくらいでしたよ」 「お世辞は嫌いなの、からかわないで。さあ、行きましょう」 「ええ。では、こちらに」  脇坂はまるで寂しい道、狭い道を選んで歩いていくかのようにどんどん細い道へ進んでいく。そして、一軒の小さなガレージへとたどり着いた。  この街にこんな場所があったのか、と思い建物を見つめる私を目で誘うようにして、脇坂がガレージに入っていく。  夕日はもうほとんどビルのなかに埋もれていて、ガレージの奥を見渡すことは出来ない。 「さあ、ここが西原さんの大きな転機となり得る場所ですよ」  私がガレージのなかに入ると、脇坂はボタンを押した。ガレージの入り口に、鉄製の大きな扉が天井から降りてくる。  確かに、これほど分厚い鉄の壁があれば叫び声がこだましても外には漏れないだろう。  スナッフフィルムの映像に、ずいぶんと大仰な準備をしたものである。  だが、脇坂がガレージの奥から運んできたものを見て、私の息が止まりかけた。  手足を縛られ猿ぐつわをされた、私と同じ年頃の女性である。 「な、なによ、これ……」 「わかりませんか? これからこの女を刺し殺すんですよ。そうすれば、西原さんは女が死んでいくところを存分に見れるでしょう?」 「そんな! そんなことしていいわけがないじゃない! 私はてっきり、ひとを殺す映画か何を見せられるものだと思って……」 「そんなものじゃ、本当のリアルは伝わりませんわ。私は大好きな西原さんに『本物』を感じて欲しい。本当の死を見て欲しいのです」 「何を言ってるの!?」  そう語った脇坂の手には、いつの間にか芝居で使っていたものにそっくりのナイフが握られていた。  縛られ、猿ぐつわをされた女性はすでに涙をこぼしていた。  このひとを、今からここで殺す?  脇坂という少女は、顔色ひとつ変えずになんてことをいうのだろう。 「そんなこと出来るわけないでしょう! バカなことを言わないで!」 「この女性はいろいろワケ有りでして。だから、存在が消えても問題ないんですよ。なぁんにも心配ないんです。殺されても罪に問われることも、ましてやなんらかの事件になることもない。西原さんには信じられないでしょうが、世の中にはそういうひとが何人もいるんですよ」  暴力団や風俗、もっと言葉に出来ないような粗暴な仕事。  そのなかで人が消えていくという噂は聞いたことがある。だけど、これとはそれとは別問題だ。そもそも、こんな少女にそんなツテがあるとも思えない。  それなのに――。  純粋にひとの死を目の前で見たいと思う、ひとりの役者としての自分がいた。  私があと一歩、どうしても立ち入れない演技の領域。  それは、死。  今なら、その領域に立つことが出来るのだ。そして一部始終を見ることが出来る。  見たい。どうしても見たい。  役者の私がそう言っていた。叫んでいた。  私は口元に両手を当てて、それでもついに……小さく頷いてしまった。 「やはり。あなたは演技に何ひとつ妥協しないひとだ。だからこそ、私はあなたのファンになったんです。最高です、そのお返事。ああ……あなたのファンで良かった」  くふっ、くふっ、と空気が漏れるような笑いをこぼし、少女がガレージを小さくステップする。そして、ナイフの切っ先をゆっくりと縛られて動けない女性に向けた。 「それでは早速やってまいりましょう。……ああ、よければ、西原さんがお刺しになられますか?」  くるりと手元でナイフを回し、脇坂がナイフの持ち手を私に差し出す。  私は何度も首を左右に振って拒絶の意を示した。私がしたいのは人殺しではない。  人が刺されて死ぬ様を見届けることである。 「それでは、私が」  猿ぐつわをされた女性は泣き叫び、声にならない声を漏らしながら必死に首を左右に振っている。そんな仕草を無視するように、脇坂が女性の衣服を縦に裂き、その腹部を露わにした。  手足を拘束された女性は抵抗することが出来ない。  その腹部の中心に、ゆっくりとナイフの刃先が当てられた。 「西原さんの舞台では、男が勢いよくナイフを刺しますよね。ですから、私も一息にこの女の腹を刺し貫きます。一瞬も、見逃さないでくださいね」  耳に絡みつくような声で言った脇坂が、なんの躊躇もなく手にしたナイフを一気に女の腹に突き立てた。  そして素早く女の猿ぐつわを外し、手足を拘束していた縄をナイフで切っていく。  拘束を解かれた女性は束の間立ち上がり、すぐにその場に崩れ落ちた。 「ぐぎゃ! ぐぅあああ! ……えぐ、助け、あっ、ひっ、いたっ、ああああ! あっ! うう、ぎゅうあ、あぎ! あ、あ、ううああ……」  女性は声にならない声を発し続け、腹部を抑え地面にのたうち回る。  うつむいて倒れていた女性を、脇坂が蹴り上げて仰向けにした。そしてとろけたような柔らかな笑みを私に向ける。
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