ドナーの記憶

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 縄が食い込む痛みも苦しさも、夢とは思えないほどのリアリティをともなっていた。 「かふっ、あ……、がっ! ぐぅ、あー!」  身体の自由がきかない私は、ただうめき声をあげることしかできない。  男が血走った目に狂気を浮かべてロープを締め付けてくる。  眩暈と吐き気が同時に訪れ、喉の奥が意図せずびうびうと鳴った。  まるで首をもぎ取られていくような苦痛に、私の意識がプツンと途切れた。 「いやだ、やめろっ!」  ベッドから飛び起きるようにして目が覚めた。  私は思わず自分の首筋をさすりながら、辺りを見回した。  手術前とは違う病室だが、すでに人工呼吸器は外されている。  呼吸も、問題なく行えていた。  自分自身の力で呼吸が出来る。その喜びは大きかったが、先ほどの悪夢がその喜びさえ覆い隠していく。 「……今のは夢? またあの夢を見ていたのか」  何本も身体から管が伸びているが、多少の身動きはとれる。白熱灯で照らし出された室内は妙に影を色濃く映し出し、どこか不気味であった。 「なぜ、あんな夢を繰り返し見てしまうのか……」  リモコンでベッドの角度を調整し、身体を少し持ち上げる。  もう一度、首に手を当てた。  自分の選択は間違っていない。こうしなければ、私は死んでいたのだ。  そう自分に言い聞かせ、こわばった身体を少しでもリラックスさせようともみほぐした。  まだ全身に疲労は色濃く残っていた。  臓器移植の手術を受けたばかりなのだから、当たり前である。  もう少し眠るべきか、そう考えてリモコンに手を伸ばし、再びベッドを横に倒す。  眠ることに多少の不安はあった。また、あの夢をみるのではないかと。  しかし、あんなものは偶然に過ぎないはずだ。なぜならあの男はすでに亡く、心臓だけが私の身体で血液を送り続けているのだから。  そもそも、そう何度も続けてあれほどの悪夢を見るはずがない。  怯む気持ちを押し隠すように、自分の身体に毛布をかけて目を閉じた。  そこは真っ暗な空間が広がっていた。  私は、低い声で呻いた。また、あの夢である。  手足は厳重に縛り付けられていて動かせない。  足音が近づいてくる。目を血走らせた、あの男。 「やめろ、やめろやめろやめろ! やめてくれっ!」  静かに首に通されるロープ。  ゆっくり、ゆっくりと締め上げられ、くぐもった悲鳴をあげることしか出来ない。  脳天を焼かれるような苦しみのなかで、私の意識は焼き切れていった。 「はっ、あ、ああ!? あ……」  目を覚ますと、先ほどと同じ病室にいた。自分以外のひとの気配はない。 「また、またあの夢を……」  白と黒で統一された室内。定期的になる機械音。チューブだらけで不自由な身体。  そんななかで心臓だけは元気よく、ドクドクと胸のなかで律動していた。 「あれはただの夢だ、ただの夢だ、ただの夢なんだ……」  何度自分に言い聞かせても、あの苦しさと熱さ、冷たさと眩暈と吐き気は現実のように思えてならなかった。そして私をにらむ、血走ったあの目。  これで、同じ夢を続けて三回目。信じたくはないが眠ることはすなわち、あの悪夢につながっている可能性がある。  眠りはとても浅いものだったのだろう。身体には気怠さが、意識にはまどろみが残っている。しかし、私は再び眠ることを恐れた。 「いったいどういうことなんだ?」 「いやぁ、心臓の移植手術は無事に成功したみたいですねぇ、良かった良かった」  聞きなれた声とともに、ベッドの奥からはいずるように黒い影が伸びた。  ぐるりと人型を描いたその塊から、はらりと銀色の髪が揺れる。  影のなかから現れる、異様に肌の白い女。脇坂であった。 「あんた、脇坂とかいう……」 「いやぁ、その節は大変お世話になりました。上田さんがお元気そうでなによりでございます。いかがですか? 念願の新しい心臓は?」  口の両端を吊り上げるように笑い、脇坂が私の顔をのぞき込む。 「心臓に問題はない。きちんと動いているし、こうして自分の意志で呼吸をすることも出来る。医師には術後の経過も良好だといわれている」 「それは素晴らしい。やはり私の見立ては間違っておりませんでしたね。上田さんのためにきちんとしたものをご用意出来て、大変満足でございます」  くふっ、くふっ、と空気をはじき出すように笑う脇坂の腕に私は手を伸ばした。 「心臓の手術を終えてから、悪夢ばかり見る。これはどういうことだ?」 「悪夢、ですか。ははぁ、それはきっとお疲れなんですよ。元気になればそんなものはどこかにいくでしょう。うん、そう。多分、きっと、くふふ、だいじょうぶですよ」 「ふざけているのか! 私が繰り返し見る夢は……あの男の夢なんだぞ!」 「はて、あの男、と申しますと?」  脇坂が芝居がかった様子で大げさに首を傾げて見せる。  そんな脇坂の様に苛立ちを感じながら、私は周囲に誰もいないか視線をめぐらせてから声を潜めて言った。 「私が、その……首を絞めたあの男だ。脳死させて、あとはお前がどうにかするといった、手足を縛られていた男の夢だ」 「くふっ、くふふふふっ。はっはぁ……その夢のなかで、あなたはどうされているのです?」 「私は真っ暗な空間で、頑丈な椅子に縛り付けられている。身動きなどまったくとれない。そして、闇の向こうからロープを手にしたあの男がやってきて、狂ったように私の首を絞めるんだ。まるであのとき、私がやったように!」 「くふっ、考えすぎですよ。きっとあのことをとても気に病んでおられるから、そのような夢を見るのですよ上田さん」 「それだけで、三回も続けて同じ悪夢をみるものか! それにあの首を締め付けられる苦しさは、ただの夢なんかじゃない。あれはまるで……本当に私が絞め殺されているような感覚だ!」  脇坂は「ふぅーむ」と間の抜けた声を漏らし数度頷くと、おどけてパッと腕を広げて見せた。 「そんなにリアルな夢を見てしまうんなんて、さぞやお困りでしょう。いやぁ、実に怖い。これはホラーだ、超常現象だ。うーん、どうしたものですかね。くふっ、さてさて、それではここでひとつお話をさせていただきたいと思います」  脇坂が私の心臓に指をあてた。  ピクリと心臓が跳ね上がったような錯覚に顔をしかめる。 「記憶転移、とよばれるものがありまして。臓器移植によって臓器提供者の記憶の一部が臓器移植された者に移るという現象です」 「提供者の記憶が、私に移るというのか?」 「はい。あくまで一説には、ですが。そもそもそのような現象事態が存在するか否かを含め、医学関係者などの間では正式に認められたものではありませんが……ひとつお話しましょう」  脇坂はくふっ、と笑い声を漏らすとベッドの周囲をゆっくりと歩き始めた。 「クレア・シルヴィアという心臓の臓器移植を受けた女性の話です。彼女は一九八八年、とある少年から心臓移植を受けました。そして順調に回復していったとき、いくつかの変化が現れたのです。ひとつ、苦手だったある野菜が好物に変わった。ひとつ、ファーストフードが嫌いだったのにチキンナゲットを好むようになった。ひとつ、以前は静かな性格だったのに、とても活動的な性格に変わった」
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