230人が本棚に入れています
本棚に追加
「――っ!」
大きく息を吸いこんだ。冷たい空気が体に流れ込む。ひゅっと喉が鳴った。あまりの冷たさに何度も咳き込んだ。
「トウカ!」
名前を呼ばれ水音がしたかと思うと、ウツギがトウカのもとまで駆け寄ってきた。
あんなに荒れていた水は静けさを取り戻し、胸のあたりでゆらゆらと揺れていた。
「ごめん――、ちょっと、疲れた」
ウツギの顔を見た瞬間、安心して体から力が抜けた。水の中に倒れ込む寸前でウツギの腕に支えられる。
首に違和感がある。重い。手で触れた。冷たい感触がある。そこには枷があった。しっかりと、トウカの首に嵌っている。かけられた錠が揺れて、軽い金属音が鳴った。
「まじない、できたんだ」
「ああ」
ウツギの声が震えていた。
そこで、トウカは自分の手がなにかを握っているのに気づいた。意識をしていないのに、しっかりと握っているものがある。
――湖の中で、掴んだ手。
「タンゲツ」
ウツギの胸の中で視線だけ動かして、手の先を見た。
白い女性が立っている。
鏡の中でも、湖の中でもない、ここにタンゲツがいた。白い髪はしっとりと濡れて、月の瞳でトウカを見ている。その首にはトウカと同じ枷がある。
やはり感情の薄い瞳。だが、そこにわずかな光が灯っているように見えた。息遣いもある。ここに、生きている。
まじないは成功したのだ。タンゲツも自分も、今ここにいる。
トウカの呼びかけに応えるように、タンゲツはその眼差しをトウカに向けた。
――ああ、生きてる。ちゃんと、動いてる。
どうしようもなく嬉しくて、心が震えて、涙が浮かんだ。
タンゲツが瞬きをする。一歩踏み出した。それにあわせて水面が揺らぐ。垂れていた腕を持ち上げた。ぽたんぽたんと水が水面を跳ねる音がする。
その瞳でトウカを真っ直ぐに見つめて――。
タンゲツの手がトウカに伸びた。
首元に彼女の腕が回っていた。
ぐっと引き寄せられる。タンゲツに抱きしめられている、と分かって、トウカの頬を涙が伝った。
――あったかい。
涙が止まらなかった。
「ごめんね、私、ずっとあなたのことを忘れて、ひどいこともたくさん言って」
震える声で伝えて、しかし首を振った。ごめんはもう、たくさん言った。今、相応しい言葉はもっとあるはずだ。こういう時になんて言えばいいのか、トウカはもう知っている。
「――ありがとう。ずっと私のそばにいてくれて。会いたかった」
トウカもタンゲツの体に腕を回して、抱きしめた。ここに、ちゃんと彼女がいる。それを確認するように、強く抱きしめた。
そうしていると、ふいにトウカとタンゲツを二人一緒に包む者がいた。
「ウツギ――、泣いているの?」
「うるさい」
つっけんどんに言いながら、ウツギはトウカとタンゲツを一度に抱きしめていた。その腕が震えている。
「ほんと、泣き虫だなあ、ウツギは」
「お前だって泣いているくせに」
「うるさいよ――、ウツギ、痛い」
抗議をしてみても、ますますウツギの腕の力は強まった。ぎゅうっと痛いほどに抱きしめられる。
――救えたかな、みんなのこと。
トウカはウツギにもたれかかった。
「やっぱり、あったかいな。みんながいてくれると、あったかいよ」
(第8話「湖の中」 了)
最初のコメントを投稿しよう!