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「今日は知人のもとに行ってくる。変なやつだが、人を取って喰いはしないから、お前も会ってみるか?」
「いえ――、私はいいです。ごちそうさまでした。あの、お皿片づけます」
食欲はない。だが食べなければウツギの小言が始まる。いつもそうなのだ。しっかり食べろ、栄養がどうのと淡々とした口調で説かれる。トウカもこれには懲りた。無理に箸を動かしておひたしを平らげたあと、皿を片づけようと腰を上げた。だがそれをウツギが止める。
「俺がやるからいい。ポチ、トウカについていてやれ。昼までには帰ってくるから、留守は頼んだ」
わんと返事をして、ポチはトウカの肩に飛び乗った。わずかな重みがかかる。ウツギは最後のご飯を一口食べると、てきぱきと皿を重ねて勝手場に向かった。その様子をじっと見たあとトウカも立ち上がる。
「本当、お人好し――。行こうかポチ」
ウツギはよく働く。部屋を借りている身のトウカの世話を一から十まで焼いてくれる。よほどのお人好しで世話好きなのだろうと、この数日の間だけでも知ることができた。
トウカは割り当てられた自室の前、縁側で柱にもたれかかって庭を見つめた。風が吹くと木々が揺れて、ざあっと音を立てる。こうしていると人の世と大して変わらない。あやかしの世にいることを忘れそうになる。
でもよくみれば空を飛ぶ鳥ではない影や、大きななにものかが地を這う音がする。
「あ」
ふと生垣の上を横切るものがいた。生垣はトウカの背と同じくらいだが、それをゆうに越える人影。ちらりとこちらを向いたその顔には大きな目が一つ。トウカの肩が大きく跳ねた。
立ち上がって部屋に入り、襖を閉める。
「やっぱり、あやかしなんて無理だよ」
ポチが不安そうにトウカを見上げた。
(第二章 第1話「不可思議な朝」 了)
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