最終章 春が来る

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 トウカは目を開いて、絶句した。 「た、タンゲツ――、おはよう」  トウカの枕元にタンゲツが座っていた。白い髪に白い着物、月のような瞳でトウカを見下ろす。いつの間に部屋に入ってきたのだろう。  タンゲツにも部屋が一室与えられているのだが、ふと気づくと彼女はいつもトウカの部屋にいるのだ。 「早起きだね」  トウカは苦笑いして、起き上がると支度をする。着物を着て、衿には祖母からもらったお守りを忍ばせた。ヒバリとウツギの妖力がこもったお守りは、湖の渦の中に消えてしまった。トウカはなくしたことを謝ったが、ウツギは「役目を終えたんだろう」と笑うだけだった。 「枷のある生活にも慣れてきたな。よし、行こうか」  トウカの声にタンゲツは小さく頷く。  襖を開けると気持のいい東風が吹いた。どこからか桜の花びらが舞い込んでくる。気持ちのいい朝だ。 「もうすっかり春だね。みんなでお花見行きたいな。アサヒやヨシノとカグノも誘って。あ、でもみんな花より団子かなあ。お弁当たくさん用意しないとすぐになくなりそう」  ふと、トウカは足を止めた。  どこからか鳥のさえずりがした。小さく愛らしい声だ。トウカは瞳を閉じて、その声に聞き入る。風が吹いて、髪がなびいた。その風に乗って、声がする。 「綺麗」  タンゲツがぽつりと呟いた。トウカは驚きながら、彼女を見る。彼女が口を利くのは珍しい。そのうえ、口元にはかすかに笑みも浮かんでいた。  タンゲツは最初こそ人形のようだったが、冬を越え春を迎えると、少しずつ話したり笑ったり、表情を見せるようになった。  昔と変わらない、美しい微笑みだった。 「うん――、綺麗だね」  トウカはもう一度鳥のさえずりを聞いてから、タンゲツの手を取る。 「行こう」  二人連れ立って茶の間へ向かう。そこではウツギとポチが待っていた。すっかり座卓の上には朝餉の用意がされている。タンゲツを見ると、ウツギは呆れたような顔をする。 「また勝手にトウカの部屋に行ったのか」 「うん。朝からびっくりした。でも、ずっと私についてきてくれるのは、なんだか可愛いんだ。子犬みたいで」  母親になった気分、と言えばウツギは笑った。 「ねえ、今度お花見しに行こう。アサヒとヨシノとカグノも誘って」 「バミさんは?」 「――やっぱり誘わきゃ駄目かな」 「誘わないと拗ねるだろうな」  嫌そうな顔をするトウカをウツギはまた笑った。  うーんとトウカは唸る。 「拗ねるとあとが厄介だろうし、仕方ないか――、じゃあお昼にみんなに声かけてくる」 「ああ。だが、あの面子だと花より団子だろうな」 「私もそう思った」  二人の笑い声が響く。  ふいにポチがトウカに駆けよって、髪を噛んで引っ張った。お腹が空いた、とその目が訴えている。 「ごめんポチ。まずは食べようか」  タンゲツを座らせて、トウカもその隣に腰を下ろす。小さな尻尾を振るポチの頭を撫でながらトウカは微笑む。  今日も穏やかな日になりそうだ。  全員で手を合わせていただきます、と言って、一日が始まった。 *****   トウカは一人立っている。   空から白い花が降り注いで、かぐわしい香りでトウカを包む。   白い月明かりがどこまでも優しく世界を照らした。   聞こえてくる鳥のさえずりは美しく辺りに響く。   トウカは一人――、ではなかった。   この世界には、最初から花も月も鳥も共にいてくれたのだから。 ***** (『鳥居をこえた向こう側-紐解き結ぶあやかし縁(えにし)-』 了) (スター特典 人物紹介「トウカ・ウツギ・ヒバリ・タンゲツ」 公開中) (次頁「あとがき」)
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