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少女はわずかに迷ってから、階段に足をかけると赤い鳥居をくぐって一段一段上っていく。下りてくる人影と少女の距離は自然と縮まっていった。
「あの」
静かな闇夜に声はよく響く。カランと、相手の下駄の音がして止まった。
「すみません。私、道に迷ってしまって――」
そこまで言って、少女は次の言葉を失った。階段を下りてきた人物を呆けたように見つめる。
月灯りを柔くうけとめる白い髪に、ほっそりとした輪郭。薄墨色の着流しの上には青鈍色の羽織をかけた男の姿。目を離すことができなかった。
男の方でもじっと少女の顔に視線を向けて、立ちすくんでいる。見つめあって、無言の時間が流れた。だが。
「どうして」
吐息のような声で男がそれだけ言った。低く心地の良い声だった。目を見開いて少女を見つめている。少女ははっと我に返るとその目から逃げるように顔を背けて、慌てて言葉をつなぐ。
「あの、私、おばあちゃんが仕事で使う薬草を摘みにきたんです。今日のうちに摘みに行かないとって朝話していたのをすっかり忘れていて――、でも夜の山は勝手がわからなくて道に迷ってしまったみたいで」
声は、だんだんと小さく空気に溶けてしまう。
男はじっと少女を見つめたままだ。
「――えっと、どうかしましたか?」
時が止まったように動かなかった男は、しばらくして「そうか」とそっと顔をあげて月を仰ぎ見た。少女もつられて上を見る。ぼんやりとした淡い月が浮かんでいた。
「なんで人の子がこんなところに、と思ったけど。そうか、道をはずれてこちら側に迷い込んだんだな」
男はゆっくりと言葉を紡いだ。
月から少女へと視線を移し、目を伏せる。そして次に顔をあげたとき、その顔には微笑みが浮かんでいた。
「人間のお客様とは珍しい。ようこそおいでくださいました、あやかしの世へ」
微笑む白髪の男は美しく、あやしく、ひどく儚くて、目を離すことができなかった。
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